遠回りもまた、人生の楽しみ方。

あれから、また実家に帰ってご飯を食べました。そのあと親とテレビを見たりたわいない話をしながら、同じ時間をしばらく過ごしました。

私はなんと切り出せばいいか分からなくて、ずっと本題を切り出せずにいました。言わなきゃと思えば思うほど、自分の意志とは関係のない話しかできない、意気地のない自分がどうしようもなく憎たらしくなりました。

「そろそろ寝るよ。」と母は階段を上がっていこうとします。何かを言おうとして、でも何も言わない娘を見かねた母が私を抱きしめてくれました。「何か言いたいことあるの?」と言葉を添えて。

意気地のない私は声を絞り出し、「やっぱり(パートナーに)どうしても会って欲しい。」というのが精一杯でした。

「なんであんたは・・・そんなに困った子やねん。」と悲しそうな眼をした母を見て、また私はボロボロと泣いてしまいました。

「ごめんね。」と謝ると「なんで、hiromiが謝るねん。」とまた悲しそうな顔をする母。

もちろんトランスジェンダーの人を好きになってごめんという意味ではなく、ただ母親を悲しませ苦しませてしまったことへの謝罪であったのですが、きっと上手く伝えられていないのではないかなと思います。

「少し時間をちょうだい。必ず連絡するから。ほんとは会いたくなんかないけどね。」

母は私にそう言いました。過度な期待をせず、今も返事を待っています。

*・*・*・*

noteを開設してから、会う人会う人にいろんな言葉をかけてもらいました。ヒリヒリとしていたはずの傷口に、それぞれの人の優しさがぐっと沁み渡るのを感じています。

普段はどちらかと言うと仕事が終わったら直帰して、家でご飯をつくることが多いのですが、連日いろんな人とお会いさせてもらっていて、明らかに飲酒量が増えているような気がします。笑

「私も親に結婚を反対されてて。」

「実は、昔同じようなことがあってね。」

と言われることの多さに驚いています。そんなカミングアウトをしてくれた人たちとの会話の終着点は不思議といつも同じで。「最終的には、親は子の幸せを願うものだから。」という言葉が必ず出てきます。

私が圧倒的に幸せであり続ければ、その気持ちはいつか親に通じる。そう信じて、日々を歩んでいきます。

私たちはお気楽なもので、「性別変わったら一緒に銭湯巡りしよーね。」とか「結婚ってものにとらわれない式とかパーティのあり方って、どんなのが良いかなあ。」なんて未来の話をしています。

遠回りさせてもらえているおかげで、(すんなり結婚となるよりも)圧倒的にいろんな人に応援と共感をしてもらえて、さらに未来を楽しく考える時間が増えていることを実感できています。

回り道の多い人生はロスも多いけど、その分以上にいろんな景色を見れて、発見がたくさんあるものなんだと気付かされました。

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