愛は失わない

「幸せになってね」

それは、「他人」に贈る、最上級の花束である。そして、私がこの世で最も言われたくない言葉のひとつだ。
大切な人にその烙印を押されたにも関わらず、いつまでもその人のことを「他人」にすることが出来ない私の一方的な感情は、愛を語る上であまりにも歪だった。
愛し方も愛され方も分からない私が愛を語ろうとすることが、そもそもの誤謬だったのだ。


夜は長い。
時間も細胞活動も、進んでいる気はしない。
こんな私も、いつか幸せになるかもしれない。だけど、そこに君はいない、ただそれだけのことだ。かつて恐竜が絶滅した土地の風景はこんな感じだろうか。四季はなく、どこもかしこも細胞が死んでいくにおいがする。


その日から、長い時間が経った。1ヶ月かもしれないし、5年ほど経ったのかもしれない。
今の私には、花束を分解し、ひとつ1つの花に分ける作業が必要だった。最も言われたくない言葉を紐解こうとするのは、精神面に耐え難いダメージを残すかもしれなかったが、決死の思いで分解すると、甘かった記憶も、苦かった記憶も、傷つけあった記憶も、たしかに紡がれたふたりの足音も、全部全部思い出して、涙が止まらなくなった。
気づけば、何度目かの夜となり、そこには海が出来ていた。私は、君のすべてを愛していたのだ。足元に広がる海を見ながら、やけに冷静になっている自分がいる。
海面を揺蕩う月に、「おまえは何故揺らいでいるのか」と問いかけたが、返事はなかった。私は構わず、話し続けた。「おまえが存在してくれて助かった」、そう言うと、月は照れくさそうにえくぼを見せ、はにかんだ。

そうか。私は花束を貰ったのだ。受け入れ難い現実だったとしても、それはたしかに花束だった。そう気づかせてくれた、憎たらしくも愛おしい、そんな夜だった。

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