手引きの声掛けに気付かないとき/街中で頻繁に出会う即効催眠術師たち

白杖歩行で移動中、気にかけて声をかけてくださったひとに、気付かないことが良くある。

横断歩道の信号で、「今赤ですよ」などと声をかけてくれる場合は、大抵その場に居る中で信号を認識できていない者は恐らく私くらいのものだろう、きっと私に声をかけているのだなという認識回路が働き、即座に「ありがとうございます」と返せるようになった。
…いや、実は、これも、少し前までは難しかったのだ。

視覚で周囲の状況を判断できていないと、声が飛んだ時、誰が誰に向けて声をかけているのか、判断することが非常に難しい。そして、どうしても判断に時間がかかって、更に反応するまでに時間がかかってしまう。

私(達)は、幼い時から反応が遅い反応が鈍いと言われていたが、そしてそれを、どちらかといえば小脳が機能していないため脳の中での伝達回路が迂回するがゆえの遅延であるというように思われていたようなのだが(いや、ある程度身体機能の知識なども得ている今では、通常考えてそうでないことだけは明らかにわかるが…)、恐らく、これが随分あったように思う。
子供の頃や学生時代、通常学級の子ども達に囲まれ揉まれながら自分も見えているようなつもりでいたが、実際に、誰が誰に話しかけているのか、認知できないことが非常に多くあった。更にはそれが普通の当たり前の状態であったので、何らの自覚もしていなかった。
が、今思い返してみれば、誰が誰に話しているのか、自分に声をかけられた時にこれが自分にかけられているものなのかどうなのか、判断できず、勘を働かせるのにも非常に時間がかかっていた。

道端でも、明らかに私の耳に向かって話してくれると(つまりどちらかというと隣から)、耳が反応してくれるような気が最近はするのだが、しかし人は、大抵話しかける時は正面(目の前)から話しかける。そうすると、どうやら自分に向かっているのかわかりづらい時が多く、遅延が生ずるのだということがわかってきた。
少なくともこれはあくまで現段階の私の場合であるのだが。

その上、
「何か困っていますか」だとか
「お手伝いしましょうか」
「この道路、今渡ろうとしています?」
「信号赤ですよ」
などという、あまり通常発されないような声であれば、まだ、自分に向けられている以外が考えにくい(つまり消去法的考え方で)ので、反応できるようになってきた。
しかし、これは私の主観的自覚なので、もしかしたらただの焦りのためにそう感じて実際はそんなでもないのかもわからないが、やはり反応は遅れている気がする。
視覚障害は、どうしても反応にも遅れは出るのかもしれないと最近(自分を観察していて)思う。

そして、最近、面白いことが。
私の居住宅は観光地にある。
ここ数年、またどばっと町中が観光客や外国人で溢れるようになってきた。

つい先日、家のすぐ近くの横断歩道を渡ろうとしている時、いつものように誘導ブロックに沿って横断歩道の岸の端まで行こうとしていると、この時何人か信号待ちをしているのかなというような気配は感じていたのだが、ふと、「Wait,wait,wait…」という男性の声が聞こえた。
直感的には外国人の家族で、家族内で会話しているか子供に何か言っているのかなと考えるのが早いか向こうが早かったか、私の白杖に前方から手ですとっぷがかけられた(別に掴まれたとかいうわけではなく、手を翳されたような感じだったと思うが)。
その後、そのままふわりとやさしくだが白杖と白杖を持っている私の手の部分に大きな手が添えられたので、そこではっきり私に声をかけられたのだなとやっとわかったわけだが…恐らくもうその瞬間には、外国人男性は、私には英語が伝わらないかもしれないと思ってしまったのだろう。
その後、信号が青になってから、私のその白杖(と私の手)をやんわりとだが握りながら、一緒に渡ってくれ、その後放してくれた。その時急いで、「ありがとうございました、Thank you」と声をかけたのだが、聞こえたかどうか、そのまま行ってしまった。

大きな手が赤信号で私の白杖に添えられた時点で、英語で話しかけてみれば良かったのかもしれないが、私としてはどうしてもその十数秒は、何かそのまま固まってしまうものだ…。
ちなみに、催眠療法の視点からはこれを「カタレプシー」という。(笑)

いや、ある種冗談ではなく、これこそ即効催眠のやり方なのだ。
一番有名でわかりやすいのは、ミルトン・エリクソン流の即効催眠だ。
例えば、握手をしようとして、握手をする寸前に相手のその逆の手で握手しようとしていた手首を掴まれ(つまり”握手をしようとしていたはずなのに”握手の寸前で握手が成立しない、できない状態)、自分の差し出したが掴まれた手をびっくりしたような顔で凝視される。その瞬間「見て下さい!」と言われ、被験者は一瞬極度の混乱状態(緊張状態)に陥るという現象が起こる。その時、被験者はしばらく固まってしまうのだ(カタレプシーという、トランスサイン/催眠現象である)。
その時に催眠者から助け舟(つまり暗示)が出されるとー「そう…そうして(自分の)手のひらの筋や凹凸をみていると、あなたの全身にゆったりとリラックスが広がっていきます…」-そのまま深いトランスまで入ってしまうのだ。
ひとの心というのは、瞬間的に「何が起こったかわからない」状態になると、瞬間的に極度の混乱状態に陥る。そこで暗示(解決法、自分がどう動いていいかの指示)が来ると、一も二もなく飛びついてしまうのだ。

横断歩道で、また道端でいきなり人に話しかけられた時、瞬間的に私はこれを体験しているのだと感じている…。
特に先日の横断歩道では。
横断歩道の岸のブロックの端まで辿り着こうとしていて辿り着けるはずだったのに、そして隣から何か英語(Wait)が聞こえたが数名の気配がしたのでそちらの会話かなと思いこもうとしていたのに、突如私に手がかけられ、つまり一瞬私には何事が起こったのかわからない混乱状態が起こるのだろう。
「え」と思っている間カタレプシーが起こり、そのまま数秒状況変化がないので状況判断ができるかできないかの境あたりでストップしたままになり、その後、やんわり白杖を掴まれ歩きだされるのではっと我に返る(と同時に、大人しくそれで連れて行かれるがままになってしまうー暗示に従ってしまう部分もある)。しかも白杖を掴まれるという行為自体も、実は少々緊張を強いられる行為だ(あの時の彼としては言語の通じない女性の身体にいきなり触れることもためらわれ、ああするしかなかったのだと思うが)。
そして横断歩道を渡り切って白杖が放された時に、本当に我に返って、急いでお礼を叫ぶことができた、というわけだ。

他にも考えてみると、道端で突然声をかけられ手引きなど手助けをいただいた時、話しかけられた瞬間やどう声をかけられたかなど、あとでうまく思い返せない(もしくは思い返せても一種夢のような意識状態が違った感覚)ことが多い。
恐らく、周囲に必死でアンテナを張りながら慎重に集中を高めて道をひとりで歩いている時(集中&緊張状態/ちなみに感覚はK-体感覚が働いている状態)、突然外側から声をかけられ(A-聴覚)、外界からの情報が一瞬過多&感覚がオーバーロードし処理渋滞に陥るのだろう。
それでいながらその言葉の内容というのは私を救おうとしている(私のリラックスを呼び起こそうとしている)ものである。そのため、その「解決法」に反射的にすがりつく。のだが、その前に僅かな時間、カタレプシーが起こっている気がする。その声に反応している時の自分の体感覚としては、集中・緊張と、大きな安心感が一気に同時に高まっている状態なのだ。実際。そして、その瞬間、周りの状況に張られていたアンテナ…つまり周囲の状況把握が一瞬大幅に遠のき、その人の声だけになる。その人の声だけに集中が向けられている瞬間が現象として私の中に現れている。

催眠誘導(しかも即効)の際に必須の共通条件は、
・集中(緊張)状態とリラックス状態を交錯させる(素早く交互に繰り返させる)こと
・集中の方向性を操作(誘導)すること
・感覚のオーバーロード(瞬間情報渋滞状態)・混乱を起こさせること
・出てきたトランスサイン(催眠現象)をすかさず利用すること

である。
こういうとき、私はこれらを見事に全部使われている…。(笑)

こんなに、日常で頻繁に即効催眠をかけられまくっている(しかも催眠療法士)も珍しいだろう。

福祉(障害理解)的記事のつもりで書き始めたのだが、催眠のしかもどちらかというと学術的記事になってしまった。(笑)


そんな、街中で無自覚天才催眠術者たちに頻繁に催眠をかけられている本格催眠療法士ですが、視覚障害(私の場合は視覚認知異常ではあるが)は、不思議なほどに潜在意識のしくみや催眠、カウンセリングに役立ち有益に働いている。
(ついでに、ただし、私は”いわゆる”即効催眠といわれている技法を使うのは苦手である。なぜなら、催眠士側に非常に視覚とスピードを要する技法が多いからだ。ただし、そういう”いわゆる即効催眠”技法でなくとも、寧ろ即効催眠よりも結果的には素早く深い催眠に入れることのできる技法がごまんとあるので、私はそういう方を良く使う。)
催眠療法士は、催眠を教える時、目で相手の様子をよくよく細部まで観察しろと教えるが(私もそう教えると思うが(笑))、しかしながら、クライアントの観察・洞察というのは、決して視覚だけではなく、五感と全身すべてにおけるカリブレーション(観察力・洞察力)なのである。視覚で取得することが難しい分、他の五感で気付く、しかも視覚を働かせていることによって逆に気付きにくいクライアントのトランスサインや変化が、手に取るようによくわかる。
更には、五感の上で必要で、本当の意味でクライアントを支え補うのは、目では見えようがない人生の道と潜在意識の状態を視る、魂(心)の眼なのである。

(自分の)潜在意識の見ているはずの道(人生の道)でも、顕在意識には見えません。
私は、世の顕在意識の見ている世界をどうやらうまく視認することができておりませんが、潜在意識から見える世界は良く見えます。
街中では、顕在意識の目が働いている方々のお手伝いをいただきながら、その分、”人生の道”や”心身の健康・可能性を拓く道”のお手伝いをさせていただいております。

また、”人生の道”を探る白杖の使い方である、潜在意識のしくみ(催眠)や心理技法など、講座・セミナー・ワークショップなどで、お伝えしております。

ちなみに障害理解の面でも、セッションやワークショップ開催しております。

ご興味いただきましたら、ぜひ一度、お話かけくださいませ。
(どこのフォームからでも直接私に繋がります。)


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