悪魔祓い、という言葉からふと思い出した出来事
悪魔祓い。
ふと、思い起こしたことがあった。
別に悪魔祓いの儀式を良くする宗教などに関わっていたわけではないのだが。
ただ、私達の器はキリスト教家系だ。プロテスタントであるし、元々日本基督教団であったので悪魔祓いなどというものはまるで知らずに育った。
そんなものの存在を知ったのはなぜかと言えば、恐らく心理学関係で自分達の状態を知るために解離性同一性障害に関しての資料を調べていたような時。この時、アメリカでのDIDの幼少期のトラウマを見ていると、何故か何度か悪魔祓いの記述が出てきていた、くらいか。
ちゃんとした儀式だったのかは知らないが、まさか自分達が体験することになろうとは思ってもいなかった。
キリスト教とも、私は神論者ではあるが社会的、公的な場ではキリスト教関係の場はあまり訪れなかった。
そんな中、成長してから、プロテスタントの教会に一時期通っていたことがあった。
私達の内情が非常に不安定になってODを試み、状況を危ぶんだ器の母親に「病院(精神科)に行きたい」と遂にぼそりと口に出した時があった。精神科不信の塊であった彼女は、私達に「それならせめて、この地域(引っ越して年月があまり経っていなかった)にも教会があるらしいから、そこに行ってみようか」
と言って、日本基督教団ではなかった(寧ろ日本基督教団は幼少期に全く別の意味で嫌な体験をしていたので、毛嫌いしていたのだが)、そして今までまるで縁を持ったことのない聖霊派という派だったようなのだが、その情報の教会というのを探してくれたのだった。
少しだけその馴れ初めを綴ると、この時私達はODの反動でふらふらな状態だった。この器の家族は確か、その教会を調べてくれたのだが、移転してほんの少し離れた場所に位置しており、それでもとにかく行くだけ行ってみるかと、車で連れて行ってくれたのだったと思う。この時はまだ車のある生活だった。
この器が19歳の時だ。
教会へ連れて行ってもらった時、丁度そこの牧師がまるで待っていたかのように(偶然)外へ出ていた。
そこの牧師に話を聞くと、この人、心理学部出身&坊主出身なのだと言う。
そして、心や身体に不調や障碍を抱えたような人も良く集まっている教会なのだと。
ひとまず入ってみると、丁度その日のその時間帯、もうすぐ学生会が始まる予定だったようで、この器と丁度同じくらいの年齢の女性2人がばたばたと学生会の準備に通りがかり、気さくな2人と挨拶をし、そのまま学生会に出てみないかと誘われ、恐らくまだ意識も朦朧としていた私達は、そのまま流されるように。
しかしそこで祈りの時に、愛と感謝に触れ、心の決壊が破裂し、それからもうまるで止まらず大泣きに泣いた。
この時、最初に会った2人の内1人が(この2人は2人とも本当に最後まで近しく関わってくれたのだが)、ずっと抱き締めて、プレイズソング「君は愛されるため生まれた」を口ずさみ続けてくれていた。3時間かそこら、過呼吸状態を起こしながら、腕が麻痺しながらも泣き続けていた。
実はこの人とは、急接近し、あっという間にカミングアウトもして内部の交代人格たちとも直に関わってくれていた。
確か芸高中退で、音大のピアノ科並みにピアノが巧かった。
クラシックも弾けるしコードも読めるし、本当にまじめな努力家だったのだろう。うつ病を患って中退したというのだから。
この教会の学生会は、たまに季節ごとのイベントで、合宿のようなものをやっていた。
いろいろなところへ集団で泊まりがけで行って、毎朝舞昼毎晩礼拝や食事生活などを共にする。
要は林間学校やら部活の合宿と全く同じ話である。
私達も何度か参加していたのだが、ある時、別の教会との合同合宿で、その別の教会の牧師の話も聞くことができるような機会があった。
これは良かったのだが、この時何があったのだったか…ただ個人的に、そのピアノが巧い彼女を含めた数人がいるところで、確かまたカミングアウトをすることになったのではなかったか。
この時、(私達が通っていた)教会の牧師にもカミングアウトをしてみようというような話になったのだったか。
覚えていない。
ただ、別の教会のその牧師にも相談してみようというような流れになり、その牧師と(こちらの牧師がいたかは覚えていない)、私達の学生会仲間2,3人と、夜、話をしていた、ような記憶がある。
そして…確か、その牧師が、解離性同一性障害について、交代人格が交代するということについて、何やら不穏な説明をとくとくとし出したのだったと思う。
まあ、単純に簡単に要約すれば、悪魔が乗り移って出てきている(聖書で言うレギオン状態)なのだと。
だから、祈りましょうね。祈って、悪いものは出ないように、払いましょうね、という流れになったのだと思う。
聖霊派の教会はどうも祈りの時に異言を使う。
祈りの時、それぞれがそれぞれに、まるで暗号のように、魂の奥底から出てきたままに異言で喋り、祈るのだ。
そしてそのままヒートアップしていく。
この時もそうだった。
その時の主人格、音香はただ存在を知って欲しくて、それと同時に苦しんでいる現状を知って欲しくて、カミングアウトをしたのだと思う。
そのため、その祈りが始まった時も、大人しく受けた。
(この時、しかし確か、内部で聞いていた生連が「悪魔祓い…?!」と、かなり訝り危惧はしたようだ)
これが大騒ぎの元となった。
学生会のメンバーだって若い。牧師の言うことには素直に従う。
そして、特に私達と一番最初に仲良くなったピアノの巧い彼女は、私達を楽にしてくれたいともう必死だ。
音香は強い祈りの中で、「邪悪なるもの、出ていけ!出ていけ出ていけ出ていけ!!」と、必死の彼女に器を叩かれながら、そして周りでは取り囲んで逃さないかのように祈りの、日本語や異言の声の渦。
この中で音香は、強い存在否定を感じることとなってしまった。
トランス状態の中で、出ていけ出ていけと強烈に叫ばれ続けるのだ。
…ふと今この瞬間に思った。
もしかしたら、「私(交代人格)はここに存在してはならない。(特に年上相手に)本音、腹にあることを言ってはならない」と強く根付いたのは、この体験も深く関わっているだろうか。
幼児期の頃から恐らくこのプログラムを幼児決断することは多くあった。しかし、この時、19歳とはいえ、深いトランス状態であったはずだ。
この時に強くそのプログラムを確定して強烈に握りしめてしまったかもしれない。
これらのプログラムばかりは、本当に日々、解除しようとしながらも強い抵抗が浮上しながら苦しんでいる。
話を戻すと、この時、音香は完全にパニックと過呼吸に陥った。
それでも、悪魔祓いではこのような変化は実際悪魔が追い出されそうになって苦しんでいると解釈されることがある。
祈りはますますヒートアップした。
…何時間くらい続いたのだろう。
…その後、いつからだか生連が交代して、落ち着いた口調で何か話したか何か説明をしたのだということは覚えている。
そして、確か敢えて落ち着いた態度を見せて、もう大丈夫だというような態度をとったのではなかったか。
退行催眠でこの時にまた入ってみたら、もしかしたら無意識の記憶から何か出てくるかもしれないが。
今回、音楽スタッフとして携わらせていただいている劇公演の企画にて、脚本の中で悪魔祓いに近い概念が登場する。
その企画始動の集まりに行き、本読みに参加していた時、ふと、これを思い出したのだった。
こんな体験があった。
ということを思い出した、ということを綴っておきたかった。
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