催眠と解離/統合とは

最近、催眠療法における「統合作業」について、少し言葉に詰まった経験をした。

統合作業、私は、どの技法においても、実践において体感でこれが統合だ、という感覚を掴んで来た。
やることは同じなのだが、しかしクライアントにより起こることはみんな違うし、表面的なやり方も変わる。
だから、言葉で説明するのは、難しい概念である。
先生方にも、「統合とはこうだよ」という説明はされたことがない。

しかし、少し別の角度から、最近また言語化できかけている気付きがある。

「解離」である。

現代の催眠療法士は、解離性障害は基本的に扱わない。というより、ドクター(主治医)がいて診断がある場合は、催眠療法士はそのドクターの指示に従わねばならない。だが、日本では催眠はまだ深く知られていない上、いずれにしても潜在意識にアプローチする催眠は効果が大きく、そしてその効果自体が顕在意識に理解の及ばない範囲が大きいため、ドクターが”責任をとれない”と判断するため、基本的に催眠療法は行われない。
私自身が解離性同一性障害当事者であるから言うなら、解離には、催眠は、まさに覿面なのだが…。
そして、例えどんなものにせよ、”責任”はクライアント本人にある。これをドクターが勝手に背負い奪う権利はないのだが、この辺りがよくわからないことになっているのが現代日本社会でもある。
特に解離性同一性障害は、人生の必然において起こる、しかも人間の自然現象である「解離」の誤作動(方向性を間違って作動した、という意味で)なので、そもそも人間になくてはならない現象・能力であるためそれに効く薬などはない。唯一アプローチできる方法であり、同時に覿面である方法が、潜在意識にアプローチする催眠をベースとして使った包括的心理療法なのだ。

まあ、その辺りは本日の論点ではないので、さておき。

催眠の歴史のテキストなども現在目下制作中のため、歴史にいろいろな角度からフォーカスしていても改めて同時に気付かされたのが、やはり、催眠研究と解離(ヒステリー)研究は非常に太く深く繋がっているということ。
催眠研究にはほぼ、「ヒステリー(解離)」という言葉が一緒に出てくる。

そして、そもそも催眠と言うもの自体、潜在意識の中から様々なリソース(言い換えればクライアントのパーツ)を引き出すものであるわけだから、全てパーツセラピーであるという言い方ができる。
パーツセラピーというのは、まさにひとの「解離現象」を利用した療法なのである。

ある意味で、私自身が解離者であるからならではの角度の説明かもしれないが、そのような角度から見れば、「統合」も少し、まあ一面からではあるが、説明がつきやすくなってくる。

ひとの心の問題、人生の問題がある時、それは、「自己不一致」が起こっている。
自己不一致とは何か。自分の中にある自分の一部をディスカウント(無視、否定)しているという状態とも言い換えることができる。

心理療法ではそこを緩和したり気付いたりリフレーミングしたりするものなわけだが(文字数を少なくしたいため、少しすっ飛ばして書いている)、要するに最後の「統合作業」とは、そのパーツを”今ここ”に持ってくる、自分自身であることを受け入れ、一体化する作業、という言い方もできる。

セラピー中はあえてアソシエイトしたりディソシエイトしたりする。
これが、ディソシエイトしたまま(一見アソシエイトに見える場合もあるので言葉で言うには難しいが)クロージングしたつもりになってセラピーを終えてしまうと、セラピーの後でほころびが強く出たり、水面から浮上した状態であらゆる症状に逆に繋がったりすることもある。
だからこそ、セラピーの中における「統合」作業というのは、非常に重要なものなのである。


…ここ最近、記事の執筆にあたって頭痛・眼痛、多忙などによってなかなか内容を端折ったり短くしようとしたり、疎かになっている面がある。そんな流行りの時期なのだろう。


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