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コーヒーと私の純情な感情

昼を過ぎ
気温がグングン上がっていく時間帯。

わたしは家にあったボトルコーヒーをちょうど飲み切ってしまった。

「仕方ない」

家族が帰ってきて冷蔵庫を開ければ絶対に「コーヒーがない!」と言うだろう。
面倒くさいと思いながらも近くのコンビニまで買いに行くことにした。

しかし、どんなに店内を探してもいつも買っているコーヒーがない。
一瞬、「スーパーまで買いに行くか?」と考えたが外はうだるような暑さだ。
できれば行きたくない。

「もう、これでいいか」

私は飲んだこともないコンビニオリジナルのコーヒーを買って家に帰ることにした。

「コーヒーの違いなど特に気にするまい」

同じ時間をかけ家へ帰る。
やっぱり日本の夏がしんどいのは湿度のせいだなと意味もなく考えたりする。

野良猫も日陰で寝そべっている。
「にゃあ」と声をかけてしまうのはわたしだけではないはずだ。

そうこうしているうちに家につく。

今日はもう絶対外に出ないと心に決め、冷蔵庫にコーヒーを突っ込む。
クーラーの利いた部屋でゴロゴロするんじゃ!と独り息巻いていた。

そして、家族が帰ってきた。
「新しいコーヒー買っておいたよ」とわたしは言う。

しかし、冷蔵庫にあったコーヒーを飲んだ娘の第一声は「なにこれ不味い!」と言う言葉だった。

その瞬間気持ちがモヤっとする。
「なんかごめん」という気持ちと少しばかりの怒りが湧いてくる。

時間が経つにつれ「文句があるのなら自分で買いに行け!」と考える。
流石に「私が買ってきたコーヒーが不味いだと!」とまではいかないが、せっかく買ってきたのにという気持ちはある。

いったい何が気に入らないというのか?

いや味か。

フィクションです

人間は面白いもので、コーヒーの味の評価がまるで自分の行為を否定されたように感じたりしますよね。
実際、「このコーヒー美味しいね!」なんて言われていたら不満は感じないと思います。

勘違いしてはいけないのは「美味しくない」という感想は「コーヒーの評価」であって、あなたに対する文句ではないということです。

この時、どうしても「暑い中わざわざ買いに行ったのに!」という「○○してあげた」という気持ちが先行することもあると思います。
だからやりきれない気持ちになったりするわけです。

でもよく考えると、そこにあるのはコーヒーの味が好みではなかったという事実だけなんです。
コーヒーの好みがあなたの行為を否定したように聞こえるかもしれませんが、実際は関係ありません。

「いつも飲んでいるのとどこが違う?」と聞けば会話が弾むかもしれませんが、その思考よりも「否定された」という感情が先に来ているので不満が溜まります。

逆に飲んだほうは、「このコーヒー独特な味だね」と表現すれば、その後の会話のスムーズに進むかもしれません。

こうしたちょっとした表現の違いで人の感情が変わってくるのは面白いと思いながら、誤解も招きそうだなと考えた次第です。


こしあん


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