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『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』(フェルナン・ブローデル) ‐参照用スケール

フランスの歴史学者、ブローデルの「日常性の構造」を読んでいくオンライン読書会の第2回目。今回は、ブローデルが歴史を見ていく上での視点である「スケール」を感じとっていく。ブローデルは複数の要素を挙げながらスケール感をわかりやすく説明してくれている。

【概論】
本書が執筆された1979年の人口40億なので1800年の人口の5倍だが人口構成のピラミッドが同一ではないため単純比較できないにしても、視座が開ける。

■都市・陸軍・艦隊
現代感覚からすると19世紀以前は全て小さいが、農村人口10:都市人口1だった15世紀ドイツ最大都市ケルンの人口2万というのは現代で言えば10-20万超の人間・活力・才能・被扶養人口が集中していたと言える。
そのため軍隊の規模は、16世紀初頭イタリアを蹂躙していたドイツ傭兵隊は1-2万、大砲10-20門だったが、現代でいえば5-10万よりも強力だった。1571年のイスラム圏vsキリスト教世界のレパントの海戦でも合計10万人。これは現代で言えば50-100万人になる。
フランスは1600年ごろ「収容能力」に対して人口が超過したためイベリア半島等へ移住が進んだ。18世紀以降避妊の慣習が他国に比べて進んだのはこれが理由では。

■人口密度と文明水準
陸地面積1億5000万k㎡だが高密度文明が専有している地域は1100万k㎡(フランス国土の20倍ほど)でこの「一筋の狭いリボン」に30億人(1979年)が集中している。
1500年ごろの地図では世界は76の区画で文明・文化が分布しており、この黒い部分に「重み」がかかっており、今もアメリカに広がったとは言え固定されている。またヨーロッパ人が世界を「旅行」する前から人類はすでに世界全体を冒険し、住めるところには住んでいた。ヨーロッパ人が自前で成功したのは大西洋の発見と支配であり、その源泉は艦隊・船舶・航跡・海員・港・造船所だった。
ただ、東南アジアやインドシナ、インドは密集地帯が散らばっておりイスラム圏は沿岸にのみ位置していた。

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なおジャン・フーラスティエの研究では一人が生きていく食料を確実に確保するには1.5haの耕地が必要だった。人口由来の緊張が生ずると農業改良か外国への移住が発生した。

■「未開人と野獣」
歴史を見る時文明を見るだけで済ましがちだが、その外側では農耕ができないため狩猟採集の原始生活が染み込んでいて、特に極東では非人扱いが非道に行われた。そのような地域でも人がいなくなると野獣は繁殖した。18世紀になっても世界各地には野獣が多く、狩猟産業も栄えたがそれでも「ジャングル・ブック」状態だった。

【わかったこと】
統計的に信頼できないこともブローデルの視点に従って類推していくと、事実に「近しい」状況が見えてくる。戦史などの物語は大げさに描かれがちであるが実際の数字で見ると、そのスケールの小ささに驚く。この章で見えてきたことは現代の我々からすると途方もなく人間という存在は18世紀まではちっぽけで地球上のごく限られた地域で、限られた食料生産量の範囲内で増減を繰り返しながら生きてきていたに過ぎないというものだった。
歴史を読み解いていくときに、ここでも触れられているが華やかな文明や現れては消えていく英雄たちの叙事詩物語的なものに目が行きがちであるがブローデルの視点を通すと、とたんに矮小な人間という動物の活動範囲に過ぎないということが見えてくる。18世紀までは。

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