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泣くな男だろ

カズくんは穏やかで優しい男の子でした。主張をするタイプではなく、人の話を静かに聞くタイプです。今頃、どんなおじさんになっているのかな。


今朝は、ヤギの乳絞りが終わったら、ちょっと車で遠出をする予定になっていた。ドライバーはカズ。カズは私のひとつ下の男の子で、私のまぶだちのだんなの従兄弟の息子である。ほとんど他人という噂もあるが、私には関係ない。はははー。

幸い、天気も良い。カンカンと音が鳴りそうなくらい乾いた空が、日本の正月の空のようだ。静かだなぁ。

その日、私達はファームでの仕事を手早く終了させ、早めの昼食を取り、ドライブの準備に余念がなかった。ことに、カズは「Takakaの素晴らしさをのりこさんに見せてあげるよ」と言って、張り切っていた。

私達は美しい牧場風景を堪能しながら、Collingwoodという、Takakaよりも更に小さな町まで行き、ルート1号線の果てを見た。そして、今来た道を引き返し、今度は南島の最北端まで出かけようということになった。

ハニー二世よりもボロい車。彼は、「車検を通すのにすごくお金がかかってしまうことがわかって、とてもショックなんだ…」と言って落ち込んでいた。なんでも500ドルほどかかるらしい。どこがそんなに損傷しているのか、と聞くと、足回りが中心だとのことで、それはもう修理するしかないんじゃないの?という他はなかった。そういえば、昨日の夜も車検場で渡された見積書を穴があくまで眺めてたっけ。車検は必要なものだし、お金は払うしかないんだから、落ち込んでも仕方がないのに。心の中で解決するのに、とても時間がかかる人なのかな。

私には何も助けてあげられることはないので、放っておいた。
陳腐に慰めることも出来ただろうが、それは相手に対して失礼だし、それほど私もイージーな人間ではない。

景色を堪能しながら、無口にドライブを続けている最中だった。

バシッ!

一瞬、何が起こったかわからなかった。いきなり前方の視界がグチャグチャになってしまった。そう、対向車の跳ねた石がフロントガラスにあたって、フロントガラスが割れてしまったのだ。大きな石がごろごろしているニュージーランドではよくあることである。私も常に「明日は我が身」と思って走っている。

しかし、この出来事は既に落ち込んでいたカズの心を更に打ちのめした。
フロントガラスの新品を入れると、車にもよるけど、大体300ドルから400ドルほど取られる。1,000ドルかー。これは痛いなー。悪いことが起こる時って、本当に悪いことが続くもんなんだねぇー。

車を横付けする。フロントガラスはミシミシいっていて、今にも砕け散りそうである。小さなガラスの破片がシートにパラパラと落ちてくる。うーん、危ない。

「どうしよう…」

途方に暮れるカズ。ここから一番近いガレージかガソリンスタンドに行くしかないんじゃないの?そうしたらなんかしてくれると思うよ。そこまでソロソロと運転するしかないよ。ガラスを剥ぎ取るガムテープもないんだし。

その後のカズは機敏だった。バックシートからシートをはがし、フロントシートにかぶせる。

「危ないから、のりこさんは後ろに座ってて」

といって、更にガラスがかかるといけないから、といってジャケットを貸してくれた。そして、運転しながら、しきりと私に謝っていた。

「せっかくの予定が台無しになってしまってごめんね。ごめんね」

いいってことよ。明日の予定も決まっていない私なんだから。別に今日じゃなくてもいいんだしさ。明日だってあるし、明後日だってあるし。謝らないでよ。意味がないから。

ガソリンスタンドに行く途中、道路工事の作業員達がびっくりした顔してこちらを見ていたり、そばを通り過ぎた自転車が、何気なく振り返って、ギョッとしたりしていた。

カズが不愉快な顔をしている。別に彼らはからかっているわけじゃないんだから、怒らなくてもいいんだよ。…大丈夫?

「あ、ぜんぜん大丈夫だよ」(にっこり)

うそだね。全然大丈夫なんかじゃないくせに、どうしてそんなこと言うのかね。私達は車をガソリンスタンドに預けて、近くのカフェでコーヒーを飲むことにした。しかしなぁ、車検のことでも落ち込む人なんだから、今回のことでも、かなり落ち込むんだろうなぁ。フロントガラスの損傷は、それほどレアではない、ということを伝えたが効果はなかった。私のハニー二世のフロントガラスも、Takakaへ来るまでに2つもクラックが増えてしまったんだよ。うーん、まだダメか。よし、これは取っておきの話だぞ。これでダメならもうネタはないな。

「Takakaに来る途中でさ、白いワンボックスが後ろのドアを開けたまま、路駐してたんだよ。でね、横を通り過ぎるときにね、ピカッって光ったんだよ」

ギョッとするカズ。えへへ。どーだー、まいったかー。

「の、のりこさん。それはスピード違反だよ。切符がホストファミリーの家に送られてくるよ。たいへんだよ」

大丈夫だよ。お金を払うだけでしょう?たいへんなことはないよ。生活が苦しくなるだけだよ。でも、ちょっと節約すればいいだけだしさ。別にたいしたことないと思うよ。笑い事だと思うよ。日本と違って、点数が減るわけじゃないし。

カズは悲壮な顔をして私を見つめた。
ああ、可哀想なノリコ。事の重大さに全然気がついてついてないだなんて…といった顔だ。

気の毒なカズ。ネガティブな思考から逃れられないようだ。当然、コーヒーはご馳走させてもらった。今は少しでもカズにいい思いをさせてあげたい。私だったら、車検が通らなくてフロントガラスが割れたら、落ち込むよりも怒ってるね。たぶん、車を蹴っ飛ばして「うりゃー、このいいとこナシのポンコツめー」と叫んでいるだろうな。そして、お酒を飲んで酔っ払うだろうな…あ!ひらめいた!今日はワインでも買ってきて、カズに飲ませてあげよう。酒を飲んでぐっすり眠れば、気分も爽快だよ!

我ながらグッドアイディアだ。後でこっそり酒屋に行ってこよう。
ガソリンスタンドに戻ると、応急処置が施されたカズの車が見えた。ガラスを取り除いたフロントガラスの部分に、ガムテープでビニールが丁寧に張られてた。そうそう、この風景ってよくWhangareiでは見かけたものだよ。そろそろと車を発進する。スピードを上げてしまうと、ビニールが弛んで恐い。音もすごい。うーん、ニューな体験だ。

なんとか無事にお家に着いた。すると、カズのお母さんからお手紙が届いていた。

「あ!頼んでいたクレジットカードだ!」

ああ、良かった。少しでもいいことがあって…。ん?カズの顔が再び能面のようになってしまった。どうしたの?

「おふくろが入院した」

えええー?大丈夫なの?話を聞くと、まぁ、盲腸とかその手の類の手術のためらしく、特に心配するようなことでもないらしい。しかし、ネガティブ思考のカズは更に落ち込んでしまった。うーん、これは落ち込むよ。3連発だしなぁ。ちょっと(酒の)量を増やさないとな。

洗濯物を取り込んで来ると言って、家を出た。さて、酒屋はどこにあるのかな。ガレージで仕事をしている、ホストファーザーに聞いてみよう。

「今日はカズが落ち込んでいるから、ワインを買いに行こうと思うんです。酒屋ってどこにあるんですか?」

すると、彼は驚いたように私を見た。

「どうして僕のワインを飲まないの?」

え?あの趣味で作ってるってやつ?量が少ないんじゃないんですか?

「いーっぱいあるんだよ。遠慮しないでよ」

と言って、冷蔵庫のドアを空けて見せてくれた。外に置いてある3つの冷蔵庫は、すべてワイン保存専用の冷蔵庫だった。中にぎっしりと詰めこまれたワインのボトルを見て、本当に驚いてしまった。

「これなんかどうだい?美味しいよ」

なんかの野菜から作ったという白ワイン。一昨日試してみたけど、辛口で美味しかった。ありがとうございます。買ってきたものよりも、もっと喜ぶだろうな、カズ。

夜、夕飯を終えてしばらくした頃、ホストファーザーが私に目配せをして立ち上がった。カズは私の前に座って、ぐったりと一点を見つめている。相当落ち込んでいるらしい。

「カズ、ワインを飲むぞ」

と私達にワインを注いでくれる。実はこの家では、毎週水曜日と土曜日にしかワインを開けない。週に2回、グラスに2杯、と決めているとのこと。今日は金曜日。驚くカズ。

「え?あ?え?あ、さんきゅー…」

摩訶不思議な顔をするカズ。どうして今日はワインを開けてるんだろう…とつぶやいている。いいから、ごちゃごちゃ考えないでぐぐぐーっと飲んでよ。きっと君を温めるだろうからさ。

ワインは次から次へと出てくる。いつもより多めに出してくれているようだ。うーん、カズくん、いい人達と暮らしているねぇ。

さまざまなワインをたっぷり楽しんだ後、ホストペアレンツは寝室へと去っていった。

暗くなったダイニングで私達は、冷たいビールを飲んでいた。

「今日は金曜日なのに、なんでワインが出たんだろう。こんなことは初めてだよ。」

それで、気分は治ったの?もう落ち込んでない?

「うーん、落ち込んでないと言ったらウソになるかな」

そうか。じゃあ、仕方がない。白状するよ。今日はさ、カズが落ち込んでいるからって、特別にワインを開けてもらったんだよ。ホストファーザーの提案で、自家製のワインがいいだろうって。いい人達だね。カズくんは幸せだと思うよ。小さな事にはくよくよしないでさ、もっと大事なことに注目しようよ。そしたら、気分はもっと良くなるよ。

カズががっくりと頭をうなだれて、ありがとう、とつぶやいた。しばらくして彼が顔をあげたとき、少し目が赤かった。涙を我慢したのかな。

でもさ、落ち込んでいる時の薬って、人からの優しさなんだよね。それも上滑りの優しさなんかじゃなくて、心から調合された逸品。心に優しさを塗ってあげると、傷口に優しさが染み透って、心を軽くしてくれるんだよ。

元気出してくれたかな。

うん、元気出た、と言ってにっこり笑った、今回の笑顔は本物だった。

明日は私の車で遠出をしよう。

(つづく)


当時の私が怖いくらいにポジティブでガタガタ震えます。
そして、他人の不幸を更に大きな自分の不幸で小さいものにしようという発想…。恐ろしい…。

この頃の私は、飲めば忘れられる!という危険な思考を持っていました。そういえば会社員時代、友人が失恋した時も、下戸の彼女に代わって私が大酒を飲み、ボロボロになりながら電信柱のもとでゲーゲー吐く私の背中を彼女がさすりながら「なんか元気出てきた」って言ってたことがありました。

さて、次回は私の中の野生児が小さく暴れる物語です。

#何者でもない #何者でもないということは何にでもなれる #落ち込んでいる時に #優しくされるあてもない #そんな時は #誰かに優しくしてみてください #案外元気をもらえるものです

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