パニッシュメントワールド
バックパッカースでの生活は自由そのものです。食事をする場所は決まっていても、別にみんなと食事をするわけでもないし、みんなとしてもいいし、料理の内容も人それぞれ。このバックパッカースは、実に国際色豊かなキッチンでした。
そろそろ日が暮れ始めようかという最中、レゲエヘアの若者が屋根を洗っていた。
だから、屋根の下を通ろうとうする私達は、雨のように降り注ぐ水飛沫の下をくぐらなければならなかった。
「こんなところでシャワーなんか浴びたくないわよ!」
カルメンが屋根の上の若者に叫ぶ。ようやく気がついた彼は、水の迸るホースをよけてくれた。
今、私達はバックパッカースの二人部屋に案内されているところだ。ドミトリー(相部屋)が満員なので、二人部屋をドミトリー価格+2ドルで提供してくれるという。プライベートシャワーもトイレも付いているし、お買い得だ。しかし、今晩もカルメンと二人でダブルベッドに眠らなくちゃいけない。
今回のプロジェクトは、『NZでも名高いバックパッカースを視察する』だ。前回泊まったバックパッカースのオーナーが強く勧めるので、そんなにいいんだったら、ぜひ泊まってみようじゃないの、とやってきたのだった。とりあえず、通された部屋は別に悪くもなく特別良くもない。リビングルームに行ってみる。それほど整理されていない。大きなキッチンも、それほどきれいじゃない。暖炉のある談話コーナーも、それほど整理されていない。ここのどこがそれほどのお勧めだと言うのか。
お茶を飲みながらくつろいだ後、私達は夕食の支度に取り掛かることにした。
にわかに宿泊客達が集まり始めた。瞬く間にキッチンが満員になる。実に国際色にあふれてた人々の集団だ。金髪碧眼の若者は、北欧の血が流れていると見た。そして、その横に座る人物はなにやら英語ではない言葉を話している。更に、国籍不明の黒人、明らかにイラン人と思われる若者...他にもたくさんの男の子達、日本人の女の子達。すでに彼らは仲良しで、どうやら長い間このバックパッカースに滞在していると思われる。
日本人の女の子にそれとなく話し掛けてみると、どうやら彼らは南島からずっと旅をしつづけ、ここではフルーツピッキングの日雇い労働をしながら、ここに滞在。現在は果物の獲れない時期なので、休暇を楽しんでいるとのことだった。
なるほど、若者達は既に家族化していて、実に居心地がよさそうだ。そんな彼らに混ざりながら私も居心地がいい。これがNZでも名高いバックパッカースの由縁か。皆、ニューフェースを迎えて少々興奮気味だ。遠巻きに私達をチラチラ見ている。しかし、隙のない私達は彼らに話すきっかけを与えなかった。しかし、一人の黒人が私の心を捉えた。いや、正確に言うと、彼が片手にしている料理に目を奪われたのだった。黒々としててらてらと光った肉の塊。こ、これは一体...?
「豚肉をさー、しょうゆとコショウとちょっと砂糖を入れて煮るだけだよ。簡単だよ」
どことなくオリエンタルさを感じるこの料理。あなたは一体どこの国の出身なの?
「バリ島さ。名前はボン。」
ボンとはそれっきり話すことはなかったけど、それをきっかけにいろんな人が話しかけてきた。
ノルウェー、フィンランド、南アフリカ、イギリス、イランその他いろいろ。皆、既に2ヶ月は滞在しているという。ガヤガヤとごったがえすキッチンに響く笑い声。世界中の人が国籍を超えて一つの家族になるってすばらしいことだな。
夜更けまで止むことのないロックサウンド、外でタバコを吸う若者達。
なんだか、老人のような旅を続けてきた私達には、新鮮な夜だった。
そして、翌日。
Mt.Manganuiの手前に、片道1時間半ほどの湿地帯がある。今日はそこへ散歩することにした。幸い、いいお天気。今日の昼間は暑くなりそうだ。湿地帯には、遊歩道が整備されていて、道行く人は犬を連れていたり、老夫婦が手をつなぎながら歩いている。暖かな日差しの下、キラキラ輝く湿地帯の間を縫うように整備された細い遊歩道。遊歩道の小脇には名も知れぬ植物が生息している。私達は、何を話すでもなく、のんびりと歩き、たまに愛想をふりまく犬をかわいがり、通りすぎる老人に軽く挨拶などをし...時折立ち止まり、Mt.Manganuiの勇姿を眺める。雲一つない乾いた空。小鳥のさえずりと、遠くからヘリコプターの音が聞こえる。実にのどかだ。
しばらくすると、鼻歌を歌っていたカルメンが、黙り始めた。どうやら疲れてきたらしい。私達は湿地帯から抜け、バックパッカースへ戻ることにした。私達は朝ご飯を食べていなかったし、時計は既に1時を回っていた。ああ、お腹が空いた。
ここからバックパッカースまでは、おそらく40分くらいだろうと思う。地図で場所を確認した後、私達は公道沿いを歩き始めた。立ち並ぶ美しい家。アボガドの大木が庭にそびえている家もあるし、赤いレンガ作りの家もある。昼時のせいか、いい匂いもする。
左手に山が見える。そして、正面には、輝く海が広がる…。
ちょっと待て。正面に海が見えちゃいけないんじゃないの?そろそろ、近所のスーパーマーケットが見えなくちゃおかしいはずだ。道路の名前を確認。地図を見る。
「あ…カルメン、ごめん。反対方向に歩いてきちゃった…。」
とっさにカルメンの表情が変わった。キッと私を睨みつける。
"What!? Go to the small room!!! Right now!"
- なんですって!?小さい部屋(ここではお仕置部屋の意)に行きなさい!今すぐに! -
あーん。怒られちゃったよーーー。ごめんなさーーーい。
「今夜はペナルティとして、夕飯の支度全部やってもらうんだから!もう!」
カルメンはぶりぶり怒っている。それもそのはず、もうすぐ着くよと調子のいいことを言われて歩いてきたものの、あと1時間は余計に歩かなくちゃいけないんだもの。あーん、カルメン。笑ってよー。ユーアーラブリー。アイラブユー。
「ノー!!」
バカなことを言いつづける私に、怒ったふりをしていたカルメンもついに吹き出した。
その後、私はカルメンのご機嫌を取るふりをし、カルメンは怒ったふりをしながら、バックパッカースまでゲラゲラ笑いつづけた。
足が棒になるまで歩かされたカルメンは、ことあるたびに「小さい部屋へ行きなさい!」「お行儀良くしなさい!」と私を叱り、私は彼女のために、得体の知れないイタリアン料理とお米を鶏ガラと一緒に鍋で炊いた、なんとなく中華っぽい味のご飯を振舞った。皿を見て、彼女が一瞬ひるんだのは言うまでもない。
そして私は、彼女が寝入るまで機嫌を取りつづけたのであった。
P.S.
このバックパッカースが、本当にNZで名高いかどうかは定かではない。
(つづく)
今考えると、ボンは本当にバリ島の人だったのでしょうか。私の聞き間違えだったような気がするのです。だって、バリ島でボンという名前の人ってそんなにいないし、バリ島からNZに来られる人はほんのわずか。ボンの作っていた肉の塊料理は帰国後も何度か料理しました。でも、異国すぎる味付けは、万人ウケはしませんでした。
次回はTaupoに移動し、魚になります。
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