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モルガン

私は大の運転好きで、リハーサル会場が高速道路を使って行くような遠方だったり、コンサートが車で行くような地方会場だったりすると、ゴールが近づくに連れて「ああ、もっと遠くに行きたい。ゴールなんてなければいいのに」と思ってしまうのです。旅のモチベーションは探究心。この道はどんな先に続くのだろうと思い巡らせていると、ついつい走り続けてしまうのです。


私はTakaka Hillを越え、Nelsonを通過し、Blenheimへ到着した。
道路の脇に車を停めて、今夜の宿泊場所を考える。時計を見る。まだ3時前だ。

いける。

私はそう思った。Blenheimで一泊するのはやめて、この先のKaikouraという町まで行くことに決めた。2時間くらいで行けるだろう。私は右にウィンカーを出して、Blenheimを後にした。ルート1号に乗ってどんどん先に進むんだ。あの山の向こうには何があるんだ。

ぐんぐん車を走らせる。やがて景色は海沿いの景色へと変わった。左手に荒い波が寄せている、丸い入り江の向こうに、夕日に赤く照らされた大きな丘が見える。壮大な美しさに心を奪われ、そして、地球の長い歴史について思いをめぐらせる。力強く隆起したあの丘は、この島に人が移り住む前からあって、どの歴史のときにもあの丘は存在していたんだよなぁ。そう考えると実に神秘的である。あの丘のふもとあたりがKaikouraかな。そろそろ日が暮れてきた。日が暮れる前に宿を決めたい。少し急がなくては。

ようやく到着したKaikouraは、Takakaを凌ぐ小さい町であった。
今夜の宿を考える。こんな小さな町では、冬季休業というところも少なくはない。前もってバックパッカースに電話するのはキライだが、もしもの場合を考えて、私のメモにあるバックパッカースに電話をかけてみた。

「ざんねーん!9月にまたオープンするから、また連絡してよー」

やけに気さくなおやじの声が受話器の向こうで響いていた。そうか、やっぱり休業中か。でも、さっき通ったとおり沿いに、いくつかバックパッカースがあったぞ。ちょっとぐるっと回ってこよう。

私はグルグルと小さな町、Kaikouraを回り始めた。うーん、どれもイマイチ。おや、すごくきれいなバックパッカースがあるよ。これって本当にバックパッカースなのかな。きれいすぎて不安になるよ。その隣にあるバックパッカースの方が、いかにもバックパッカースという感じで落ち着いた雰囲気だ。よし、ここに決めた。

車を停めて、中へ入る。
オフィスには、左耳にピアスをした体の大きなマオリ人が立っていた。

「今夜、部屋空いてますか?」

空いてますよ。何泊ですか?寝袋は持ってますか?
ずいぶん静かな話し方だ。少し、声のトーンも高い。もしかして、組合の人かな。

一泊13ドル。10ドルはデポジットとして加算されるから、23ドル渡さなくちゃいけない。ところが、財布を見たら20ドルしかない。ご、ごめん。Eftpos(※NZのデビットカード)は使えますか?え?ダメ?わかった。じゃあすぐに、キャッシュディスペンサーに行ってくるよ。

「あ、いいですいいです。7ドルをデポジットでもらうってことにして、合計20ドルでいいですよ。」

おー、なんて優しい。ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるね。

部屋へ荷物を運ぶ。ベッドが6台ある部屋は暖かく、清潔だ。しかも、今のところこの部屋には私一人しかいないようだ。さー、コーヒーでも飲んで、寛ごうっと。

ラウンジへ向かう。テレビコーナーでは、カウチに転がった数人の旅人達が、食い入るように映画を見ている。うーん、静かだ。私は大きなキッチンで一人、コーヒーを沸かし、暖炉の前へ腰をかけた。あとで夕飯を作ろうっと。ふと、外を見ると、先ほどのマオリの男性と2人の白人女性がベランダで話しをしている。彼らの口から真っ白な息があがっているのが見えた。寒そうだ。

私はベランダのドアを開けた。3人とも凍えそうに体を固くして、ベンチに座っている。私は彼らに軽く挨拶をして、そのまま通りすぎた。空を見上げる。う、うわーーーっ。なんて星の数なんだ!一際輝く星が山頂ギリギリに見える。その上には、満点の星を散りばめた夜空が広がっていた。もう、どれが天の川なんだかわからないくらいの星空だ。

「きれい!すごいきれい!ね、きれいきれいきれい!」

私はこの感激を誰かに伝えたくて、3人に向かって叫んだ。

2人の白人は、「オーイェー」と言って、ぶるぶる震えながら部屋に入ってしまった。左耳にピアスをした、マオリの男性だけがそこへ居残り、同じように空を見上げて「そうだね」と言ってくれた。彼の名はモルガン。彼はKaikouraの美しい朝、昼、夜の景色を説明してくれた。彼の話し方は、夢見るポエットと言った感じで、包み込むようなソフトさがある。

私達はラウンジに戻り、暖炉の前に腰をかけた。
マオリの人というのは、Native Americanにも似た文化や考え方を持っている。古い民族特有の神秘さがあるのだ。私はそういった古い民族の風習に敬意を感じるし、自分の国についても誇りを持っている。たまに、外国で出会う日本人の中に「日本なんかきらい。外国が一番いい」という人に出会うが、私はそれに対して何も言えない。自分の国を好きになれない人が、他の国を好きになれるのだろうか?自分のことを愛せない人は、他の人も愛せないのと同じだよ。自分の国のことをそんなに知りもしないくせに、外国ばかり知ろうとしても、現実は見えてこないよ。

モルガンとそんな話をしている間に、話が日本の漢字や文化について発展していった。気がつくと、ラウンジのみんなはもう自室に戻ってしまったようだ。モルガンはラウンジの電気を消した。目の前に燃える火を見つめながら、私達は自分達の文化について、栄養について、読んだ本について話をしつづけた。モルガンは目をキラキラさせて聞いている。本当にきれいな目をした人だ。

「へい、のりこ。僕の部屋で話をしないか」

普通だったら警戒するこんな誘いを、私は安心して受け入れた。
モルガンは蝋燭ろうそくに灯りをともし、静かな音楽をかけた。モルガンが、カウチに腰をかけて私を見つめた。

「のりこに見せたいものがあるんだ」

彼が手渡した、赤い日記帳。なんだろう?
ノートを開けると、そこにはポエムが書かれていた。それは非常に美しい詩で、人は何を求めて生きているのか、ということが綿々と書かれていた。

「のりこの言っていることや、考えていること、やっていることは、本当にこの詩に書かれているとおりだ。君は真実を貫いて生きている。なんて美しいんだろう」

新手の口説きかとも思ったが、モルガンはそんな人ではなかった。モルガンは、清らかな人なのだ。

私はこのバックパッカースにもう一泊することにした。
モルガンは「2泊以上すると一泊10ドルになるから、あの20ドルだけで十分だよ。」と言ってくれた。ありがとう、モルガン。

私が眠い目をこすり始めたのが、明け方の4時半だった。もう、眠ることにするよ。そう言うと、モルガンは少し寂しそうな顔をしたが、時計を見て頷いた。

「のりこ。僕は今夜のことは忘れられそうにないよ。こんなふうに日本の文化を語られたことはなかったし、君の考え方や話してくれたことで、僕はどれだけ今までの疑問に答えを見つけたことだろう」

あーもー、モルガンったら、そんなに感激するのはまだ早くってよ。目が覚めたら、なんて安っぽい人間と話してしまったんだろうって後悔するかもしれないじゃない。

また明日も話をしようね。そういって私達はそれぞれの床についた。

明日はこのKaikouraで、何をしよう。

(つづく)


海外では、臆面もなくポエムを見せてくれる人が多いような気がします。ポエムとは無縁そうな強面の人でも、自分のポエムを綴った詩集を持っていました。モルガンは調子がいい時のクリス・ハートが詩人になったような人でした。目が澄んでいて美しく、その瞳は彼の心を映しているようでした。

この頃の私は、20代最後の歳を目一杯に生きていました。
そして「生きる意味」というテーマに青臭くも真正面から問いかけている真っ最中でした。その答えはじわじわとわかってくるものなのですが、この頃の私は明確な答えがどこかにあると信じていました。

さて、次回はバックパッカースで作った創作料理のお話です。

#あの山の向こうが知りたい #それが私の生き方なのかも #好奇心だけでここまで来ました #山の頂上はただの通過点


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