見出し画像

#15 旅のパートナーはハニー三世

前回の旅日記はこれ。

いよいよ本格的に一人旅が始まりました。
私がまだ日本にいた頃、一番最初に自分で所有した車がTOYOTA ハイラックスサーフ でした。その車のナンバーが8282だったことから、私の愛車はハニーと名付けられることになります。初代ハニーから、NZで買ったオンボロカーがハニー二世、そしてアメリカで借りた車がハニー三世となったわけです。


私は車のトランクを閉めた。

小さなスーツケースとダンボール箱に入れた食材は、きっちりと中に収まってくれた。助手席には、大切なPCを入れた小さなナップザック、全米地図、ロサンジェルス近郊地図、そして水を、運転しながらでも取り出しやすいようにきちんと並べた。エンジンをかける。溶けてしまいそうに暑い室内に、勢いよくエアコンの風が回る。ハンドルを握る。それは日差しに照らされて、焼けるように熱かった。

私はもう一度、お世話になっていた白いアパートメントを窓越しに見上げた。見送りはいない。みんな、大学へ行ってしまったのだ。この街には、旅の終わりに再び立ち寄る予定になっている。だから、それほど感慨にふけることはなかった。さよなら、皆さん。秋になる頃また会いましょう。

ギアをドライブに入れる。この瞬間から、私とハニー三世の旅が始まった。
外は今日もいいお天気。絶好の出発日よりだ。ロサンジェルスから南に位置するアーバインの日差しは、9月とは言え焼けるように暑い。何しろ一年のうち90%が晴れている街である。乾燥した気候なので、意識して水を飲むようにしなくてはならない。さもなければ、脱水症状を起こしてしまうのだ。車内はエアコンを付けていても日差しに当たっている部分は熱い。水はあっという間にぬるくなったし、私の左腕もいい色に焼けそうだった。

今日の目的地は、Big Bear Lake。アーバインから、東に89マイル(約142km)いったところにある。それまでの道順はちょっとごちゃごちゃしているけど、全然へーき。だって2時間くらいで到着しちゃうんだもん。順調に行けば、午後2時には現地で宿探しができるかもしれない。

埃っぽくて、まっすぐな道をどんどん走る。
辺りの景色は殺伐としていて、目の前の道路からは陽炎が立ち昇っている。私は東へ向かいながら、アーバインやサンフランシスコがだんだん背後の彼方になっていくのを意識していた。今度来るときは北から現れることになるんだなぁ。そんなことをぼんやり考えていた時だった。私は、車内にただならぬ異様を察知した。

室内が、臭い

こ、これはどういうことだ?いつの間にか、ハニー三世の中で異様な匂いが充満していた。鼻をツンと刺すような匂いだ。この匂いを嗅いでいると、何やらお腹が減ってくる…。こ、これは…。

中国四千年の歴史を背負った香辛料、ハッカクの匂いだっ!!!

灼熱の太陽で温度の上がったトランク。その中へ入れておいた食材の匂いが室内へ流れ込んできているのだ。心なしか洗濯用の粉石けんの匂いもする…。旅の終わりまで私はこの匂いと付き合っていかなくてはならないのか。ハニー三世、あんた見た目はきれいなのに中身は臭いのね。まるで、外は着飾るけれど見えない下着には気を配らないっていう、A型の女みたいよ。まぁ、食材は私が積めたんだけどさ。

車での長旅には中華の食材に限る。なぜなら、中華の食材には栄養価が高く、日保ちのする乾物が多い。しかも、それらの乾物は簡単に調理できる上、美味しいときている。干ししいたけや切干木耳はご飯と一緒に炊いても美味しいし、ラーメンに入れても美味しい。中でもハッカクは癖のある匂いだが、これを調理に使うだけで本格中華の味になる。魔法の香辛料だ。私は他にも中華醤油やごま油、米を積んでいた。ちなみに、米の価格は驚くほど日本より安い。お腹にたまるし、調理は簡単だし、日保ちもする。旅人の強ーい味方だ。

流れる景色に、緑が見え始めた。モミの木のような、ツンツンと尖った木々の森が横を流れていく。長い上り坂に、ハニーの小さなエンジンが高い音を上げる。どんどん上へあがっていくぞ。Big Bear Lakeは山の上にあるスキーリゾート地だ。今は夏だから、シーズンオフで人は少ないに違いない。今夜は湖畔沿いに泊まりたいな。静かな湖を散歩したい。

途中、Running Springsという地名や、Lake Arrowheadという地名の看板を目にする。水の豊かな山なんだなー。なぜか私は水の豊富な山へ入ると心が落ち着く。けれども道の両脇に見えるモミの木達は、白い乾いた土の上に生えていてどうもうるみが足りない。もっと先へ行けば湖が見えるのかな。カリフォルニアの乾燥した景色にはもうお腹がいっぱいだった。ん? ちょっと待てよ。今私が飲んでる水のボトルにはArrowheadと書かれている。先輩のところでも、米を炊くのに使っていたのはArrowheadと決まっていたし、スーパーで見かけるボトルも、ほとんどがArrowheadではなかったか? なんと、私は水源地近くを通りすぎているのだ。”涌き水”と聞くだけで私は心がわくわくする。日本では涌き水マップを作成していたほど、涌き水への興味は尽きない。宿が決まったら、さっそく見に行ってみよう。私はアクセルを更に踏んだ。

Big Bear Lakeは、シーズンオフで閑散としている上、各所が工事中であった。それにしても埃っぽい。湖畔なのにも関わらず、周囲の土は乾ききっていた。さぁ、さっそく宿探しだ。私は観光所へ寄って、宿のリストを手に入れた。リストには「観光センターへお電話ください」とフリーダイヤルが書かれていた。うむ。観光センターが条件に合う宿を探してくれるのだな。さすがリゾート地だ。

さっそく電話をかけ、希望の条件を伝える。安くてキッチン付きのユースホステルかモーテルがいいな。

「残念ながらキッチン付きの宿は、この辺りにはありません。他に何かご希望はありますか?」

うううーん、特にないです。安ければいいです。電話の向こうの女性が、手頃なモーテルを見つけてくれた。ユースホステルや普通のモーテルに比べたらずいぶん高い。やっぱりリゾート地って高いよなぁー。安い宿がないのだから仕方がない。ここはちょっと奮発しよう。あとで節約すればいいや。

「では、お客様のご住所と電話番号をお願いいたします」

まじ? 日本の住所を口頭で伝えるのは、面倒臭いなー。大体さー、KANAGAWAとか言ったって、スペルは? って聞かれるでしょ? そしたらさ、8文字のスペルを全部言わなくちゃいけないわけだ。それを延々と町名まで続けなければいけないって? …んーたまんねーっ。

「あの…。私は日本から来ている旅行者なんです。あなた、本当に日本の住所が必要ですか?」

オーマイガーッ!!(← この人は、オーバー会 会長に違いない) そうだったの? まぁ! まぁ! まぁ!」

それに、アメリカに来てから電話で宿を予約するのは初めてだから、少しどきどきしています。

「私もこんなの初めてよ。ハッハッハーッ」

…明るい女性だ。女性は私の住所を登録することはなく、Japanとだけ予約機に入力して、あとは適当にごまかしたようだ。そうそう。仕事にはこういう臨機応変さが必要だよね。さ、無事に宿も予約できたぞ。

「あなたの旅を楽しんでね!」

そうするよ。どうもありがとう!私は電話を切った。うん、実に気分のいいやりとりだった。

私はさっそく宿へ行って、荷物を下ろした。部屋のドアを開ける。

重たそうな木製のベッドに、メルヘンチックなフリフリのベッドカバー、そしてクッション。小さなお花模様の壁紙には、金の縁の壁鏡がかかっている。ああー身分不相応な部屋だよ、こりゃ。でも、たまにはこんな贅沢も必要か。私はベッドのふかふか感を少し楽しんだ後、湖の周囲をドライブに出かけた。

Big Bear Lakeはそれほど見応えのある湖ではなかった。それよりも、その周囲に建築されている別荘のほうがずっと素敵だ。白とオレンジのレンガで造られた2階建ての家や、大きな国旗を下げた小さなログハウス。そんな景色を眺めながら、私は緩やかにカーブする車道を気分よく走った。湖畔を抜けると、くねくね曲がる山間の道に出る。道路はきれいに舗装されていて、なめらかに下っていた。私はきちんと法定速度を守りながら、カリフォルニアに広く出回っているArrowhead waterの水源地へ向かった。水源地は、Lake Arrowheadのすぐ近くにあるはずだった。

小さな見晴台を見つけると、そこへ車を止めた。さっきから探している水源地は、どこにあるのかまったくわからなかった。くるくる走り過ぎて、少し疲れちゃった。車を降りると、目の前に広がる大きなLake Arrowheadがドーンと横たわっていた。夕方の太陽は、水の上で金色に反射している。きらきら光る水面は、世界中どこにいても同じように美しい。

しばらく景色を眺めたあと、私は宿に戻ることにした。

宿へ戻る道のりは、緩やかな上りのワインディングだった。私はハニー三世のことをあまりよく知らない。ここらで、彼女の実力試しをさせてもらおう。私は、強くアクセルを踏み込んだ。コーナーに差し掛かる時、彼女がどこまでグリップするのか限界に挑戦だ。キーッ! タイヤが鳴く。当たり前だよ、細いタイヤなんだもの。それでもハニーは持ち堪えていた。非力なのにエライなぁ!

次のコーナー、また次のコーナー、と私はガンガン攻めて行った。前方の車がどんどん避けてくれる。しかし! 後方から、おっかない顔をした四輪駆動車(しかもアメ車だから排気量がでかい)が追い上げてくる! 負けてはいられない。私は更にアクセルを踏んだ。(良い子は真似をしてはいけません)アウトからインを忠実に守りながら、後ろの車がイライラしないようにどんどんスピードを上げる。もう少しでBig Bear Lakeの湖畔へ到着だ。人通りもわずかだが多くなる。私は脇に車を避けて、後の車を前へ行かせた。通りすぎるとき、大きな車が ”ケッ” と捨て台詞を残していったような気がした。

残りの道のりは、のんびりと運転した。もう、キケンな真似はさせないからね、ハニー。

私は、頑張り屋のハニー三世が気に入った。

(つづく)


初めて電話で宿を予約した時のやりとりは今でもすごく覚えています。ここには書いていませんが、電話越しの女性から、最後に温かい言葉をもらった時は少しグッときて泣きそうになりました。思えば、こんなふうに人の温かみに触れることの多い旅立ったように思います。

さて、私はこれからどんな人達と出会っていくのでしょうか。そして、その出会いを通してどんなことを思い、どんなことを経験していくのでしょう。

お楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?