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#02 私という私

サンフランシスコに到着して早々に私はお酒の失敗をしました。日本でもニュージーランドでも、そしてアメリカでも私の失敗は繰り返されたのです。私の学習機能、どこの池に落としてきたかなぁ。女神様に「金の学習機能」「銀の学習機能」「銅の学習機能」のどれを落としたかと聞かれても「正直そもそも落としてなんかいねぇよ。最初から持ってなかっただ」と答えるしかないです。

そしたら、正直な私に世界最新かつ高性能の学習機能をくれたりするのかな。


「あー、またやっちまったぁー…」

目が覚めたとき、昨夜のことを思い出し、私は唸った。飲み過ぎで頭が痛い。ああ、アメリカに着いて早々二日酔いとは。

なんでそうなったのかわからない。昨夜、私はステレオの前でサンバを踊っていた。私には、レゲエミュージックでさえもサンバに聞こえた。最高にいい気分。酔った頭で激しく踊ったサンバ。浅草サンバカーニバルにでも参加する勢いだった。何を隠そう、私は普通のダンスは踊れない。

昨晩のこと。
San Franciscoに到着した翌日である。私はビクターの友人主催のパーティに招かれた。新居お披露目パーティということらしい。友人の名前はアラジン。新進の写真家ということだった。

ニュージーランドへ旅立つ際、"もしものために"と私は何着かドレスやスカートを日本から持ち込んでいた。しかし、自然の豊かなニュージーランド、しかも私が滞在している場所は大牧場の真ん中ということもあって、パーティへ出席するような機会はまったくと言っていいほどなかった。あったとしても、私のスタイルであるTシャツとGパンで十分に事足りた。アメリカへ旅立つ際、私はそのような無駄な荷物は一切持って行くのはやめようと思った。だから、ビクターにパーティへ行こうと誘われても、私にはそこへ着ていくためのドレスなど、一着もなかった。

ビクターと共通の友人の女性もそのパーティに出席する予定だったので、彼女のドレスを借りることと相成った。私は背が低い。彼女のドレスはぶかぶかで、一目で借り物とわかる妙な姿でのパーティ出席だ。でも、かまわない。私は私だ

アラジンの新居はウォーターフロントの高級マンションの一室だった。夕日の沈みかけた海を目の前に、ポーチには二つの灯火ともしびが赤い炎をちらちらと揺らしている。部屋の至る所に彼の作品が飾られていた。作品はエキセントリックなものから、自然の美しさを訴えるものまで様々だ。

私が一番目を惹いたのは、黒人妊婦のヌードであった。彼女の周囲には、月桂樹の輪が光輪のように飾られている。母になる女性の神聖さが写真から語られているように感じた。女性って、太古の昔からこんなふうにお腹を膨らませて、次の世代を産んできたんだ。力強くて、清らかで、美しいその姿は、生きる者への神秘のメッセージに見えた。それをアラジンに伝えると、彼は満足気に頷き、家中私を引っ張りまわして一つ一つ、自分の作品を紹介してくれた。

こういう一瞬の美しさを捉えることがことが出来るのって、やっぱり才能だよなぁ。私、人は必ずなんかしらの才能を持っているんじゃないかなって思うんだ。それがどんなに小さな才能だとしても。才能はお金と直結するものじゃなくて、それを知って生きる悦びにするものなんじゃないかな。人生の最大のテーマって、自分を知ることだと思うんだけれど、どれだけの人が自分を知ろうとしているのかな。自分を知らなければ、他人を知ることも出来ない。他人を知って、自分を知ることもある。人って動物と違って、子供が大人になるまでに一緒に暮らしていくだけの長い寿命があって、私達は前世代から次世代へ連綿と時を紡いでいる。私は次世代に何を伝えることが出来るのかな。私もいつか、こんなふうにきれいな妊婦さんになれるのかな。

パーティはオリエンタルな出席者でいっぱいだった。ドイツ人、イギリス人、インド人…実に国際色豊かである。灯火の前で語り合う人達、音楽に合わせて踊る人たち。私はマルガリータを飲みながら、モデルの女性と世間話をしていた。つまみは私の大好きな野菜スティック。マヨネーズをたっぷりつけて、バリバリ食べる。マルガリータを飲み干して、次は赤ワインに手を伸ばした。私の隣にいたモデルは、今はビクターと話をしている。私の隣に、黒人男性が座った。私達はワイングラスを片手に、アメリカに根強く残る人種差別について話し合った。もともと私は熱い人間だ。つい、語りが熱くなる。語りが熱くなるとお酒も進んでしまう。話はクンタ・キンテから特殊な白人の排他的思想にまで及んだ。今思い出しても恥ずかしい。

なぜ、なぜ私は黒人の人に対して、クンタ・キンテの話などをしたのか。

なぜ、私はそんなにまで、よその国の問題に熱くなったのか。彼は私の手を固く握り締め、「もっと語り合いたいが、もう帰らなくてはならない。必ずメールを送ってくれ。もっと話がしたいから」と言って、名刺を置いていった。今考えれば、血走った目をしたちっちゃな日本人を恐れて、逃げ去ったのだと思う。現に彼からのメールの返事は一通しか来なかった。それも、本文が何も書かれていない、タイトルだけのメール。

彼が去った後、私は体が大きくてハンサムなドイツ人にダンスを申し込まれた。その時の私はかなりの酒を飲んでおり、もはや誰にも止められない状態だった。前述した通り、私はダンスが踊れない。踊れるダンスはサンバとゴーゴーダンスだけだ。激しく踊ったサンバのせいで酔いが更に回った。

私と彼は背を向けてランバダを踊り始めた。背の高い彼と背の低い私。彼の腰の位置は私の肩甲骨。今度は彼が私を後ろからハグするように背後に回った。すると私のお尻の位置は彼の膝に。

体をすり合わせながら、酔っていても「男性になめられちゃいけない」という意識が私に働いたのだろうか。それとも、ジャッキー・チェーンの酔拳を思い出したのだろうか。なぜだかわからない。とにかく、ランバダを踊っていた私は、くるりと回って、彼に回し蹴りをしたのである。

ハッと避ける彼。中国拳法さながら、私は高く回し蹴りをする。それに参加するビクター、他の人達。私は、ミニスカートを履いていることさえ忘れて、男達の顎を目掛けて回し蹴りをする。幸い、パンツは黒だった。見られたとしても、ブルマーとなんらかわらない。(そんなわけない)

男達が私にキックをしようとする、それを私は二の腕でキャッチする。ハッ、(パシッ)、ハッ、(がしっ)、ハーッ!(キック!)すごい!私、かっこいい!!本物のカンフーガールみたい!私は頭の中では、鮮やかに太刀打ちしているのであった。そして、私はゆっくりとこう言い放った。

アイ ・ アム ・ ア・ティピカル・ ジャパニーズ ・ ガール!
(意味:わたしは典型的な日本人です)

カーリーヘアのドイツ人が叫んだ。

「へぃ!みんな、見てみろよ!彼女、ダイナマイトだぜ!!へぃノリコ、この高さまでキックできるかな?」

彼は自分の顔の高さに手を持って行った。あったりきしゃりきのこんこんちきよーっ!キィーーーック!!!そして、再びこう言い放つ。

アイ ・ アム ・ ア・ティピカル・ ジャパニーズ ・ ガール!
(意味:わたしは典型的な日本人です)

「へぃ!彼女最高だぜ!みんな見てみろよ!ノリコ、もう一度、ここの高さまでキックできるかな?」

あったりきしゃりきのこんこんちきよーーーっ!!!キィーーーック!!!!!そして私は再び…。

これを何度繰り返したことだろうか。
あとはよく覚えていない。とにかくご機嫌で、帰りのビクターの車の中では、ひたすらべらべら喋っていたと思う。

気がついたら朝だった。

もう、二度と二日酔いはすまい、と心に固く誓った。
いつも固く誓っているのに、簡単に破られてしまう誓いであった。

私の旅は、始まったばかりであった…。

(つづく)


この時の私はまだ「人生の最大の目的は自分を知ること」とか言ってるんですよ。あんた、そっからやで…。知ってから始まるんやで…って思います。まぁ人生ひよっこの私でしたから、まだまだ知らないことだらけだったのです。

人生の意味とかテーマとかなんて、そんなの順を追うごとに変わるはずなんです。一つクリアすれば、また次の課題がやってくる。それをクリアすればまたその次の課題がやってくる。永遠に終わらない人生の課題。

人はなんのために人生の課題をこなすのでしょうね。魂を磨くためでしょうか。

最近は、そうでもないかも、と思い始めています。
人生の課題は、この人生を心底味わうためにあるのかなって思うのです。

えー、この話は長くなるのでまた今度。

#最後に重いの持ってこないで #人生とか #ティピカルジャパニーズガール


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