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別れは突然やってくるという話。あるいは「伝える」ことについて。

はじめにお伝えしておきます。本日、取っ散らかります。

今週に入って2人との別れがありました。休み明けてまだ3日ですよ、って。ハード過ぎやしませんか、って。どちらも思ってもみなかった人、思ってもいなかったタイミング、思ってもいなかった状況なので、頭も気持ちもついてゆかず、ただただぼんやりとしています。いつ、どんなかたちで、誰と会えなくなるかはわからないし、人生には想像も出来ないようなことが起こるし、そんなことは嫌という程わかっているハズなのに。「また明日ね」と別れて、その明日がやってこないだとか、それは特別なことでなく、いつ、誰の身に起きても不思議がないことだと、常々思ってはいるのに。

そんなワケで、今回の別れについてはまだしばらくぼんやりが続きそうですが、それはそれ。今日は、「突然の別れを意識する中で気づいたこと」についてちょこっと記します。

「よかった!生きてた!」は本音です。

私は自分の友人と連絡がつきにくい状況があったのち、電話やメールやLINEが繋がると「よかった!生きてた!」と言って・記してしまうことがあります。LINEネタや恋愛ネタのコラムなんかに「言われるとイラっとするワード」って書かれていることが多い、それです。世間一般には「ウザい」なんて、マイナスイメージとされている言葉です。もっとも、こと恋愛は、好意の有り無しがベースだからなのでしょうけれど。

本気で言ってるけど文句ある?

私は、幼い頃から、生きるとか死ぬとか続くとか別れるとか、そういう感覚が一続きにあるタイプでした。想像力が逞しいところへきて、更に心配性だからかもしれません。「行ってきます」と出掛けて行った人が「ただいま」と帰ってくる保障などどこにもないと思っている。(まぁ、実際、無い。)だからあまりにも連絡が取れないとひどく動揺、心配で心配でドキドキしっぱなし。そのため、連絡がつくと無意識に「よかった、生きてた……」と言ってしまう。で、生きるも死ぬも比較的ニュートラルに抱いているタイプであるのになぜ「よかった」と思うんだろうという……うん、少しだけグルグルモードに入ったので考えたのですけれど。いちばん大きいのは「よかった、あなたが生きている、だから私はこれからも言葉を渡せる」という安堵なのですよね。愛というほどではないけれど、好意とか感謝とか、そういう類。同時に、日頃いかにきちんと自分の気持ちを伝えていないかを思い知りました。心掛けているからそれなりに伝えているつもりだったんだけど、まだまだ足りなかったみたい。

好きな人に好きって言ってる?
愛する人に愛してるって言ってる?
感謝している人にありがとうって言ってる?

ただただ、それだけです。とはいえ、そのあたりは一人ひとりの考えかた、生い立ちや、思いかたもあるので一意見として。私は何事も「伝わるように伝えなきゃ伝わんないし、伝わんなきゃ伝えていないのと同じ」というスタンスなので勇ましいことこの上ないのですが。たまにはね、思うのよ「もうちょっと穏やかな表現ができたらよかったのに」って。だけど、その辺りはもう……、牡羊座の女なのでメラメラギラギラでもある程度仕方がないと、割り切っている今日この頃。だから、都度、伝えてゆくんだ。好きなら好きって言うんだ。欲しいものは欲しいって言うんだ。

でね、繰り返しになるけど。

明日も会える約束なんてないのだよ。お互いに生きていたとしても、その人とはもう二度と会えないかもしれないのだよ。きちんと気持ちを伝えてる?好きだとか、愛してるとか、有難いとか、どんなに強く思っていても、思っているだけでは足りないのだよ。伝えられるうちに伝えておかないと、伝えないまま伝えられなくなってしまうかもしれないのだよ。確かに、自分の気持ちを伝えるのって怖いよね。恋愛なんかだと「嫌われたら」「拒絶されたら」「今の関係が崩れたら」なんて考えたりしてしまうかもしれない。だけど、好きなら好きって、欲しいなら欲しいって、今、言える状況にあるなら、言わないと後悔する、そう思うよ。そりゃあ、相手のコンディションに配慮することは必要だから、伝えるタイミングは読まないといけないけれど、臆病になって、怖がって伝えないでいるのは違うよ。伝えないで終わるのは馬鹿げてるよ、「相手を大切に思う、自分の気持ち」を冒涜してるよ。そういう人はまず、誰かを大切に思う自分の気持ちの尊さに気付きましょうよ。とても素敵なことよ。あなたはとても勇敢な人よ。

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