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言葉のある世界においで

 今、イマジン・ドラゴンズを聴いている。デジタル・ドラゴンズと、一度、打ち間違えた。それも、ワクワクした気持ちでいる。デジタル機器を、遊び心で使えているからだろうか。
 時刻は23時前。さっきまで、泣き叫んでいたところだ、もっとも実際は五月蝿くはなく、皮膚の上はさらさらで、外観はおそらく無表情。ただしきっと思い詰めた表情で、つまり内面は、涙に鼻水、赤い血青い血、いろんな体液でひたひたにして。
 音楽を流そうとしたのは久々だ。それくらい、心に、時間に、余裕がなかったのだろうか。そういえば、心に余裕がない時には決まって時間にも余裕がない。時間に余裕がない時に、存外心に余裕が生じている場合もあることを思えば不思議なことだ。
 それにしてもイマジン・ドラゴンズは夜に聴くのにぴったりだ。願わくば、小さな音でも細部の再現力の豊富なヘッドフォンで。ドラゴンは夜に立ち上がるべき生き物なのだ、などとも思う。
 何かを考え始めるには、きっかけがいる。いまちょっとあたしは、キーボードを用意してセッティングしてみたところだ。それで、パタパタと機械的に文字を打っている。きっかけは、ある本を読んだことだった。本を読むというのは、つまり、他人の書いた文章を読むというのは、はっきり言って、読んでしまえばもうこちらのものであって、そこにきっかけを生じる何かの兆しを発見したのならメッケモノ、実はその時点でもう他人の文章に用はない。本は、そのようにして読まれるものであることが望ましいと思うし、あたしの文章だってそのように読まれたいとーーいたって生真面目にーーそう願う。他人の創造のきっかけになることこそ望ましいのだ。
 「私」は世界を物見遊山しに生まれてきたのではない。積極的に関わってきて、それで、あたしの場合は、泣く状況になったのだ。そしてそれから、矛盾するようだが、そのような状況を、けれどやっぱり、物見遊山してみるのだ。それくらい、大らかになるのだ。あたしは、そう考えてみたのだった。そしてそれが、心に余裕をもたらしてくれた。
 本を読むことこそが、あたしにその世界を開かせてくれた。
 あたしは君に、言葉のある世界においで、と、そっと耳元で囁きたい。現実にがんじがらめ取られたあなたを癒す場にしてあげたいとあたしは願う。
 それであなたはきっと、あたしの言葉の虜になるの。

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