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ヴォルテールを愛してやまなかったフロベールのように。 ゲーテの著作にかしづいたヘッセの…

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ヴォルテールを愛してやまなかったフロベールのように。 ゲーテの著作にかしづいたヘッセのように。 中国詩の注釈の注釈の注釈に襟を正した吉川幸次郎のように。 そういった先達の顰みに倣う者です。 小説家 諸説家 shosetsuka kakukakushikazika

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■なにをするサークルか  読み切り短篇小説の創作、連載小説、詩、本の紹介、エッセイなど。 ■活動方針や頻度 原稿用紙10枚程度(4000文字程度)の小説を月に一本、みなで持ち寄りませんか? 誠に勝手ながら私、神奈備一鷹の審査あり(まあ、下品さや、愛に欠けるものは省きたい、というくらいの判断。常識的な、法的な、最低ラインをクリアしていただければ大丈夫かと思います)。その他、詩作、思索、アフォリズムのような、様々な方向からアクセス可能な「錯綜体」のような物質(写真や、絵、動画も当然あり得るでしょう)を拵えることを目的とします。 ■どんな人に来てほしいか 小説好き! の方に。あと、できれば、すべての人やものに対しての尊厳を感じている方に(たとえばテーマが殺人やホラーでも、愛が前提であってほしい)。 ■どのように参加してほしいか 誤字脱字がないように(あるけど笑)! それから、自分は推敲いっぱいしていきたいですね。そのような方針に賛同していただけるなら。

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祈ること

一心に礼拝をする その目的の一つは、 交錯する線と線の意味深さ 虚飾のない人と人との意味のある交わりを その神秘を   神秘として体感したいということ そのことから   人々は一心に祈る、その純粋を 私の内にあることを信じ、 虚飾の剥がすことの困難さを乗り越えるために。

    • 鞄を運ぶ

       荷物は最小限に詰め込む。運ぶモノは限られる。ルーティンが大切となる。忘れることのないように。入れ忘れること。入れ過ぎること。運ぶモノが決まっていない、当日にずれ込んだ。それを踏まえて前日に精査しておけるものはチェックしておく。当日に精査するのは場違いである。当日は、思いつきで、「入れる」「入れない」を決めてはならない。当日に生じた入れなければならないモノを、隙間に詰め込む。当日に入れるのは「入れなければならない」モノに限られるのだ。そのスペースを設けるためにも(ないに越した

      • 詩 もしくは、詩

        詩では、言葉は逃げていく。 詩に、言葉は寄ってくる。 詩によって、言葉は決まる。 詩では無い、言葉は有る。 詩らしからぬ、言葉は揺らぐ。 詩にならないと、お話にならない。  そう   それでは    おはな詩に       ならない

        • サイレン

           大きなサイレンが鳴り響いた。また、空襲だ。こんどもカラだったらいいが。空は私たちの空のままであってほしい。どっかの国のものではない。かといって私たちの国の所有物というふうにまで言われてほしくもない。私たちが生きるまま、その頭上に自然にある空であってほしい。まるで猿が見上げるがごとく。たとえそれが嵐で風と雷が渦巻いていたとしてもだ。

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        • 短いお話
          8本
        • 有料記事
          2本

        記事

          おでんのあるいえ

           あつあつのおでんを召し上がれ。たっぷりと用意してあるから。白こんにゃく、食感がいいよ。ふうふうして食べてほしい。この味噌をつけてみて。焼酎をお湯で割ってみて。出汁昆布なんかいれてみたりして。もちろん、梅でもいいよ。  外はずっと冷えていて、いつまでも、暖かくなる素振りを見せない。雪まで降ってきた模様。もっとも、雪が降るとかえって暖かくなるというけどね。吹雪かなければ、ということかしら。静かにおちる牡丹雪なんか見ると、無風さが際立って、同時に気分を穏やかにさせるような気がする

          おでんのあるいえ

          言葉のある世界においで

           今、イマジン・ドラゴンズを聴いている。デジタル・ドラゴンズと、一度、打ち間違えた。それも、ワクワクした気持ちでいる。デジタル機器を、遊び心で使えているからだろうか。  時刻は23時前。さっきまで、泣き叫んでいたところだ、もっとも実際は五月蝿くはなく、皮膚の上はさらさらで、外観はおそらく無表情。ただしきっと思い詰めた表情で、つまり内面は、涙に鼻水、赤い血青い血、いろんな体液でひたひたにして。  音楽を流そうとしたのは久々だ。それくらい、心に、時間に、余裕がなかったのだろうか。

          言葉のある世界においで

          きょうの一文8

          「ホロコースト否定論の目的は絶対的な信者を獲得することではない。むしろ、史実に対して認識の揺らぎを呼び覚ますことである。」(武井彩佳「歴史修正主義」中公新書 2664 2021年 p.99) だから、歴史修正主義者、否定論者はあえて議論の壇上に上がりたがる。そこに証拠は必要とされない。相手には堂々と証拠を求めてくる。 「陰謀論は証拠を必要としない」(p.22)「歴史修正主義の論理は陰謀論に似ている」(p.23) 50%の事実、30%のグレーゾーン、20%の嘘でもって、隠さ

          きょうの一文8

          きょうの一文7

          「にしても、やはり「ふ号兵器」は、苦しまぎれの兵器にはちがいありませんでした。」 (野坂昭如「戦争童話集」中公文庫1991年9版 p.110) ふ号のふは風船のふ。ジェット気流に乗せて兵器を飛ばす、という発想自体が、漫画的だけど、その浮かんでふわふわ飛んでいく絵こそがずばり漫画だ。風船というやつはどうも、何か独特の雰囲気を醸し出す。ジョー・ヒルの短篇にも風船人間の話があった。藤枝静雄の「空気頭」という題名も、なんだか風船っぽい。つまり風船とはどうやら人間の(空っぽの)頭に似

          きょうの一文7

          きょうの一文6

          「ソフィーはまたしても爪を噛み始めた。」 (ヨースタイン・ゴルデル「ソフィーの世界 上」NHK出版 1998年 第8刷 p.360) タルホでも名前を挙げた、バークリは、精神あるいは意志しか認めない哲学者で、その解説を聴くソフィーが爪を噛む行為は、そこにちゃんと爪があることを指し示すためのこの本にとって欠くことのできない重要な行為である。と同時に(この「物語」における)ソフィーという存在はこの文章によれば爪という部分からの示唆でしかない。そのことがよく分かる一文。よってぼく

          きょうの一文6

          きょうの一文5

          「ウィスキーを水でわるように/言葉を意味でわるわけにはいかない」(「言葉のない世界」) (「田村隆一詩集」思潮社 現代詩文庫1 1990年第二十二刷 p.42) 言葉のない世界を望んだ詩人さんは、詩的緘黙に入った時期もあった模様、だが晩年、言葉をすらすらと流して死んだ。洒脱してそうなったのではなく、生き延びてしまった自分をしかたなく受け入れて生活を楽しんだ結果ではなかったか。ぼくはそれで良かったと思うのだ。生き延びるのが先だ。そしてゆっくりと死ねばよい。その悲しみとおかし

          きょうの一文5

          きょうの一文4

          「芸術とは虚空本来のコカイニズムで、象牙の塔の詩人達は、今やビールの空瓶のなかに移住して紫いろのローソクの下に、バークレイの認識論を勉強しなければならない。」 「ちくま日本文学016 稲垣足穂」(2008年第一刷 p.350) このあと、「未来人のかなしい逆説」「月をノコギリでひいた生命の裏面」という言葉を得て、理解を決して求めない字面が延々と続くタルホニズム。まさに「われらの神仙道」の先人なのであります。オートマチックエスセチシズム、ネオシンボリズム、新モデル主義、新遊

          きょうの一文4

          きょうの一文3

          「この行を読み進めて行くことを選ぶか、さもなくば薄闇の中にいつまでもとどまっているといい、本人はそう言ってないつもりでも、気がつくと常にその文章を手渡されている。」 (関口涼子「二つの市場、ふたたび」書肆山田 2001年初版) これの「さもなくば」の使い方が好き。スピークイングリッシュ、オア、ダイ、の、オアの感じですね。 あなたにも手渡してしまいました。

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          きょうの一文2

          「ほかの語り方でほかのストーリーを語らないでぼくが語るようにストーリーを語るいくつかの理由」 (ジョン・バース「金曜日の本」筑摩書房 1989年 初版第三刷 p.1) 「金曜日の本」は、ぼくが大学生の頃に買って夢中で読み、今も時々ごそごそと出しては読み返すエッセイ本。上の一文は一エッセイの一タイトル文です。バースさんの本を読んでいると、入れ子構造=無限への、憧憬というか、快楽というか、その喜びがありまして、それをバースさんがかき混ぜてみせるものですから、読者はその渦の中へ衝

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          きょうの一文1

          「詩人自身よりも詩を愛する人をみていることが非常に好きになった。これは昔からそうであるが、近頃は特に詩を好む人は、ほとんど道徳的に立派な人であるとさえ考える。」 (「西脇順三郎詩論集」思潮社 1979 三版 p.272) ぼくも幾人かは見知っています。自然と交流できたら素敵ですね。

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          目から鱗が落ちる

          「目から鱗が落ちる」ことを考えていて、思い込みの強さの素人哲学的考察にまで行き着きました。いちおう、思い込みの変化についての考察と相成りし候ゆえ、テーマにも沿っているかと思い(変化球ですが)、投稿させていただきます。読者諸賢の一考を促せることができたなら幸いです。 「目から鱗が落ちる」考  自分は何も変わらない。変化に乏しい。生き方や、その姿勢を、180度変えることは困難なようで、実は容易だ。僕は、だから、その現象については自分は変わったと言わない。そしてそれは自分にはし

          目から鱗が落ちる

          加護

          すっかり疲れきっているんだね。いいよ、ここでゆっくりとお眠り。見守っていてあげるから。何かあったら声をかけるよ、それまではお休み。 すぐ起きて。危険が迫っている、移動しよう。ちょっとだけ頑張って。声は立てないでね。あともう少しだ。 これからはまた一人て生きていかねばならない。でも大丈夫だよ、次に進もう。 前に、進め。君のペースで、堂々とね。