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SDGsを現実の事業戦略に落とし込むには?【第3話】

「共通価値の創造」(CSV:Creating Shared Value)とは?

 前回までで、現代企業が求められている社会的責務が“共通善”から生じており、企業が直面する事業環境の変化(市場→社会)に応じて制度化が進んできたことを説明しました。本当は“共通善”というものがなにかを最初にお話したほうがよりわかりみになるのですが、まずはそこは置いておいて、企業にとって実務上も馴染みがある経営理論から解き明かしていきたいと思います。

 この回から、文章が長くなりますので、覚悟してください。

※今回の第3話と次回の第4話は、現代の経営理論をSDGs事業戦略にあてはめるには限界があることを指摘する内容です。興味のない方は飛ばして第5話を読んでいただいて構いません。

 “共通善”もしくは“共通価値”をあつかった経営理論で、ひとかどのもの―川上から川下まで齟齬がない理論として成立している―は、わたしが知る限りでは2つだけです。

 1つめは戦略論の分野で超大御所のM.E.ポーター博士が2011年にM.R.クラマー博士と発表した企業と社会の「共通価値の創造」(CSV:Creating Shared Value)です。これ以降は、「共通価値創造戦略理論(CSV理論)」と表記します。

 2つめは組織論の分野で、これまた超大御所の野中郁次郎博士が2007年以降に紺野登博士と発表しているもので、企業価値の源泉であるイノベーション創出の視点から知識創造において共通善を論じたものです。これ以降は「知識創造理論」と表記します。

 今回の第3話では、CSV理論についてみていきます。この理論は、現代のSDGs系ビジネスのすべてが暗黙に依拠するといってもよいものですが、自分には決定的な齟齬があるようにしか思えません。

 それでは本題に入ります。

 CSV理論では、企業は社会的価値を創造することで経済的価値を創造できるとし、それには次の3つの方法があるとします。

①製品と市場を見直す
②バリューチェーンの生産性を再定義する
③企業が拠点を置く地域を支援する産業クラスターをつくる 

 ①については、様々なフレームワークやツールがありますから説明は不要でしょう。CSV理論(というか競争戦略)としての特徴が出ている②と③について、簡単にご説明したいと思います。

 「②バリューチェーンの生産性を再定義する」についてです。次の図は、CSV理論が定義するバリューチェーンが企業の生産性とどのような関係にあるかを示したものです。矢印が一方通行ではなく相互であることがポイントです。

バリューチェーン

 企業活動によって、天然資源や水利、安全衛生、労働条件、職場での均等処遇などは、様々な社会問題に影響を及ぼすと同時に、逆に企業の生産性もこれらの影響を被ります。CSV理論は、その接点というか関係性こそが、企業にとっての経済的価値と企業外コミュニティに対する社会的価値をあわせた「共通価値」を創造するチャンスと位置づけとします。

 「③企業が拠点を置く地域を支援する産業クラスターをつくる」は、企業が自社の生産性を高めるためにクラスターを形成し、それが結果として共通価値の創造に寄与するというものです。次の図は、ダイヤモンドモデルと呼ばれる、クラスター形成の要素を示したものです。

ダイヤモンドモデル

 クラスター理論は、ポーターの競争戦略理論のフレームワークとしてはかなり古典的ですが、これを今日的な意味で解釈しなおし、クラスターを構成する条件の欠陥やギャップを解消することで、共通価値を創造できることになるというわけです。なぜなら、クラスターを形成する要素のおおくは企業外のコミュニティだからです。

 このように、CSV理論がいう社会的価値とは、上記3つの方法によって達成される企業の利潤最大化が、同時にバリューチェーンとクラスターでつながる関係先が抱えるニーズを解決するものでもあるという意味で「共通価値」となる解釈です。

 理論的アプローチとしては、企業活動の客観的側面(手段)に着目しています。その要素である資源配分・プロセス・計画・構造を、21世紀型的なビジネス環境の変化に対応させるように講じることで社会との共通価値を実現して企業成長に繋げる戦略を指南したわけで、従来の競争戦略的立場から転換したわけではありません(※1)。

(※1)CSV理論が従来の競争戦略的立場に立脚している点については、学術界から種々の指摘や批判がありますが、それらは割愛します(気になる方は私の論文を読んでください)。個人的には学問である以上は理論的な整合性がとれていることが第一義的に必要なことで、その点でCSV理論に欠陥はないと考えます(実務につかうと運が悪ければ損害が出る)。

 CSV理論は、共通価値を創出するうえで、クラスターとロケーション(地域性と経済的結びつき)を重視していますが、これはグローバル経済の時代にこそ必要であるとします。従来の競争戦略理論との整合性があるのでなんとなくそうなんだーと感じてしまいますが、しかし、これは理論的な穽陥でもあります。

 というのも、CSV理論では、企業と社会との結びつきを、地理的・経済的紐帯のみを前提にしていることと、共通価値の変容を時間軸のみでとらえている(と解釈できる)ために、理論構造的に今日的なリスクコントロールには対応できないはずだからです。

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 例えば、エスニシティにもとづく違いはグローバル経済において避けて通ることはできません。なぜなら、地理的・社会的範囲の違い(=コミュニティ)に応じて共通価値の内実は変容するからです。欧州でのブルカ規制(※2)や捕鯨を巡る問題がそれにあたります。「価値」(Value)の相違を巡ってコミュニティ相互間で鋭い対立が生じるわけですが、なぜかCSV理論はそのようなコミュニティの違いに頓着していないか無視していると思われ、理論的な解は示されていません。

(※2)フランスでは2011年から公共の場所でのブルカの着用が禁止されていますが、これには国是である政教分離の要請から数十年にわたり議論されてきた経緯を踏まえたうえで、近年のイスラム系移民との軋轢が制度化を後押しした事例といえるでしょう。

 そのうえで、今日においては、上位階層からの規範の押しつけが現実化します。そのグローバルビジネスにおける最近の制度化がESG投資であり、ルール形成です。果たしてこれらを単に「価値」(Value)と解して差し支えないのでしょうか?制度には一定の強制力を伴うからです。

 しかも、今日の高度情報化社会では、直接的な経済的結びつきがないコミュニティであっても、有事をきっかけに、SNSを通じた情報連環によって瞬時に企業と関係性を持ち、時として企業に対して大きな影響を与えます。いわゆる「炎上」の多くは、倫理的にふさわしくないと大衆が判断する発言や行動、事件などがインターネットで拡散されることで生じます。

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 2020年に突如として勃発し、多くの企業や行政が対応を余儀なくされたBLM(Black Lives Matter)運動がその一例です。BLM運動を受けて、IT大手のIBMは警察向けに提供している顔認識ソフトウェア事業の終了を表明しました。大衆監視や人種によるプロファイリングに使われている同社の顔認識ソフトには黒人の認識精度が悪いといった課題があり、それが黒人への不当な扱いを助長していると批判される恐れがあったからです。

 このように、局地的な炎上事案がインターネットを介して直接的な関係性が薄い日本を含む世界中に瞬く間に拡がり、世界的な大企業が1つの事業部門の閉鎖を余儀なくされるような有事は、企業のリスクコントロールにとって極めて重要です。ところが、この問題をCSV理論で考えると、IBMの決断とは異なる戦略解が導き出されるのです。

 というのも、CSV理論におけるバリューチェーンには、BLM運動の担い手である黒人は存在しません。そこでCSV理論に忠実にクラスターを活用して課題を解決するという文脈で考えると、導き出される戦略解は、外部の研究機関なりの技術開発支援を受けることで「黒人の認識精度を上げる」となるわけです。IBMが本来採るべき戦略は事業撤退ではなく、これだったのでしょうか?(※3)

(※3)CSV理論をベースに企業への戦略を指南するコンサルティングファームであるFSG.incはIBMを主要顧客としている。同社はポーターが出資し、クラマーが設立した。BLM運動へのリスク対応をCSV理論にもとづいて各社に指南したか否かはわからない。

 それは、おそらく違います。というのも、CSV理論とBLM運動が仮に「価値」(Value)という同じフレーズをつかったとしても、その意味と重みは全く違うものだからです。

 CSV理論が共通価値と呼ぶものは、企業が事業活動を展開するシーンというきわめて限定された地理的・経済的範囲で連環するもの、いわば“バリューチェーン”限定的で“クラスター”限定的なのです。それゆえに、CSV理論が想定する“Value”とは、本来は「価値」ではなく「利益」と訳すべきなのです。

 これに対して、BLM運動は、人種差別や格差という社会構造上の不正義を反映したものであり、その原動力は“Value”などという軽い言葉ではありません。「善」(Good)にもとづく共感あるいは反感です。そうでなければ、繋がりの薄い諸外国にまで、あれだけの速度で騒動が伝搬することはありません。IBMが事業撤退を決めたのは英断であり、時勢感覚に優れた経営判断といえます(※4)。

(※4)IBMが顔認識ソフトウェアの事業を打ち切った背景に採算性などの社内事情があったか否かは気になるところではあります。また終了を発表したが、ほとぼりが冷めたらこっそり再開することも考えられます。

 CSV理論がかかげる“Value”は、善(Good)とは異なり、まさにValue―価値というよりも利益―ですから、本来は「共通価値」ではなく「共通利益」と訳すべきものなのです。それゆえに、競争戦略としての理論構造は一貫しているものの、複雑かつ非連続的で変化も激しい今日における戦略設計としては理論上の対応は困難なはずです(Stead・Stead 2014, pp.101-148)。その齟齬は木村(2016,p.116)が批判するように「倫理的には正しくない」こととして顕在化する恐れを内在化しているともいえます。とりわけ、共感を媒介として生じる鋭くスピード感のある対立構造について理論的な解を示していない点は理論上の限界であるといえます。

 ところで、CSV理論の“Shared Value”を「共通価値」ではなく「共通利益」と訳せば、SDGsも同様の理解で良いのでしょうか?確かにSDGsでは、企業が導入することで長期的な企業価値向上(株価が上がる)が実現できるとされますから、あながち間違いとはいえないでしょう。英語の“Value”を価値と訳すか利益と訳すかの違いは、日本語の言葉遊びの気もしますよね。

 この点、組織論の分野の知的創造理論では、企業の知的創造性こそが価値の源泉であること、それは善(Good)から生まれるものであると定義します。次回の第4話では、この知識創造理論についてご紹介し、SDGsとの接点についてみていきましょう。

(第4話につづく)



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