「下駄の部分」も含めて高い自己評価を続けていると、あとあとギャップに苦しみます
従来弊社では中小企業の経営者の方をメインの対象先として仕事をしてきました。
その際、ご自身としてはすごく頑張っているのに、外からはあまり評価されない場合、「ご本人の『裏』で頑張っているのでは?」という仮説からセッションを始めていました。
この「裏」というのは、本人の感情にアプローチする形で、本当はモヤモヤする仕事なのだけれど、その感情に蓋をして気づかないままの状況です。実は感情の奥底にモヤモヤがあるので、本来の力が発揮できません。
逆に、ワクワクしながらやる場合は「表」。自分でもやっていて楽しいので、本来の力が発揮できる状態です。一生懸命頑張っているのに、思ったほど評価されないのは、自覚ないまま「裏」で努力しているケースです。
一方、最近は企業にお勤めの方向けの仕事も増えてきました。
すると、前述のような「表」と「裏」のケースに加えて、「下駄の部分」をどう評価するかによって、本人は頑張っているつもりでも、外からの評価が低いことがあることに気づきました。
この「下駄の部分」とは、所属している会社や、肩書、資格、学歴、過去の実績などです。
つまり、自分で自分の実力を評価する時に
「俺は●●会社の××部長だ」
「私は■■の資格を持っており、営業成績もトップでした」
といったように、真の実力以外の要素も含めて自己評価する感じです。
もちろん、世の中には、この「下駄の部分」を高く評価する人もたくさんいます。けれども、本質的なことを見抜く人や、そういう「下駄の部分」に関心のない人からすると、
「それで?」
「でもねぇ」
と思われていることも少なくありません。
そして、そのような評価を受けることが多くなると
「自分はこんなに頑張っているのに、なぜ周りは認めてくれないんだ!」
と、怒りの矛先が相手に向かうことになります。
中小企業の経営者の場合は、自分の実力勝負で頑張っている人が多いので、これまでは、この「下駄の部分」はあまり意識していませんでした。
しかしながら、企業にお勤めで、かつ、ある程度高いポジションの人の場合、「下駄の部分」も含めて、自己評価していることが多いので、自分の実力以上に高く自分を評価していることを気づいていないことがあるのです。
先の「裏」の話と組み合わせて考えると、本来力を発揮できない「裏」の状態で仕事をしていても、「下駄の部分」を含めて、外部からも一定水準以上の評価を得られることが多いので、「自分の実力はすごい」と勘違いしている訳です。
けれども、ある時、昇格できない、本社から子会社に出向する、役職定年になる、といったように「下駄の部分」が揺らぎ、外部からの評価が露骨に下がっても、「自分はできる」と思い続けているので、周囲とのギャップがだんだん大きくなってくるのです。
世の中には「元●●」という肩書で売れている人もおられます。
ただ、「元●●」という肩書で本当に売れ続けている人は、単にキャッチコピーとして分かりやすい表現を使っているだけで、自分の実力を正確に把握し、かつ、自分の「表」の状態で仕事に取り組んでおられます。
つまり、「下駄の部分」は「下駄の部分」として一定の効果があるということを分かった上で、マーケティングの戦略の一つとして、あえて使っているのです。
一方で、「元●●」や「▲▲大学出身」という「下駄の部分」を意識しないで、高く自己評価をしているので、外からの低い評価とのギャップに悩んで、かえってちぐはぐな行動を続けている人も少なくありません。
「表」と「裏」の部分は我々が専門的に取り組んでおり、それを解明できるプロセスを持っています。特に感情とも関連しているので、なかなか一人で気づくのは難しいかもしれません。
一方、この「下駄の部分」はやはり、本人が自分で気づくのが一番。
私は15年前に起業して、しばらくしてから、自分の実力について、かなり下駄を履かせて自己評価していたことに気づきました。
この気づきはできるだけ早い方がベター。勘違いしたまま、努力を怠るより、早く気づいて努力を重ねた方が後々うんと楽になります。
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