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ノマドはベトナムに来て人間不信になった。穏やかな日々の中で現実逃避中

海外ノマド生活を送る私は、現在、ベトナムのハノイにあるベトナム法人企業で、仕事をしている。元々、正社員雇用のはずが「労働許可証が取れないから。」という理由で毎月の業務委託契約にされ、VISAも会社から取ってもらえず、とりあえず自分でVISAを取ってベトナムにやって来た。

海外ノマド生活を送るくらいの私なので、そこまで安定を求めていないのだが、それでも、その国で仕事ができて、問題なく暮らせるようなVISAなどきちんと取得していない状態で、こうしてベトナムで生活をするというのはなかなか落ち着かないし、私自身だって、そんな生活を海外でしたいとは思っていない。

そんな私の日々の生活と人間不信になりそうな日々…


質素な日々の暮らしの中

私は現地企業へ現地採用の身なので生活は質素だ。

ある日も近所のアヒル屋さんでアヒル半身買って120kvnd( 700円くらい)。これでもここでは贅沢品だと思う。物価は日本はここの2~3倍。だから700円てことはここでは1500円感覚だ。そう思うと意外と贅沢。

ここでは鳥キモなども売っていて、鳥キモなら1つ10kvnd( 60円)ほどで買えて3、4つあればその日のおかずになる。
それとローカル八百屋さんで小さめトマト4、5個で5000vnd 30円 玉子4つ10kvnd 60円ほど。

これで十分おかずになる。300円で今日のおかずが買える。ベトナムの物価なら300円でも結構高いかもしれない。

アヒルが結構高めだから、アヒルも食べれば1食1000円(これは大体2食分)

結構ベトナムにしたら豪華な1人飯。でも、最近外食すると意外と高くなっていて驚く


質素な暮らし②超ローカルカフェへ


現実逃避はしていてはいけないのだが、少しでも気持ちを落ち着かせつため、そんな中でもカフェだけは欠かせない。最近は仕事後にサクッとカフェを買って飲んでいる。それだけが憩いのひと時だ。


私の家の近所にあるこのベトナム風の店はとにかく、安い!そしてお手軽。だから仕事帰りにさくっと寄って1杯のカフェを買って帰る。

和む…

このローカルカフェはロックダウンの時もずっと開いていて、本当に私にとって大切な場所だった。だからここを離れるのも寂しい。

カフェさえ飲めればと、自分を元気にして来た。でも、谷あり谷あり…ゴロゴロ転がるように色んなことが起こり、もう疲れてしまった。いつになったら上がれるんだろう。

人は皆自分が一番だし、自分が大切なんだって思った。それは当たり前のこと。そう分かっていても、この国に来てから、誰かに助けを求めることがなかなかできない、そんな国だなと思うのだ。

ベトナムに来て人を信じられなくなった

実は私はベトナムに来て3年、人を信じることができなくなった。

今まで本当に誰かのためにと頑張って来て、でも自分は本当に周囲の「今」だけを生きる風習のベトナムに振り回されてきた。
そのせいで、ベトナムに来て何も信用しないし、明日のことも分からないと思うようになった。

なんだか悲しいことだけど、そう言う国民性だなと思う。

それは、裏切りとか嘘ではなくて、今日言ったことは今日のこと。明日は明日、先のことは分からない、先のことは変わる。ベトナムではそう言う思考回路なんだって思う。だから先の予定とか、未来のこととか、そして約束なんて守られたら約束になる。

それは個人でも、大学でも、企業でも、友達でも、大切な人でも同じだ。もしくは私は誰にとっても「どうでもいい人」だったのかも、しれない。

今しか生きていないから、今日大切な人は明日の大切な人ではない。今日の出会いは今日だけかもしれない。でもこれは日本の「一期一会」とは違う。

ベトナム人は優しいしフレンドリーなんて言うが、実際はちょっと南のヨーロッパの人のように、陽気でフレンドリーだけど、本当の友達かは分からない。そんな印象だった。

自分が本当に苦しんでいる時に助けてくれるのが友達だけど、そんな人にはベトナムで出会うのはなかなか難しい。それはもう一つのベトナム人の特徴か、現代人の特徴か、「想像力」に欠けるという気がするのだ。
だから、相手が困っている、という状況を想像することができない、という気がする。

コロナの間も、皆大変なのは分かるが、知らない国で、知らない言語で分からないことが多い。けれど、人は誰かの状況を想像できない、というよりは、誰かの「知らない」ということ理解することが難しいことなのだろうか、と思う。

目の前しかみていないんだと思う

これは、所謂、日本の「空気を読む」とか「察する」と言うのと異なり、本当に相手のおかれている状況とか、自分以外の状況を想像できないんだろうな、あまり考えないのかなという印象があった。

言いたいこと、思ったことはちゃんと言う、というのは分かるのだが、そうではなくて、それとはちょっと異なるようにも思う。

欧米なら、「思ったことをはっきり言う」というのは私も分かっているつもりなんだが、

例えば私はあるベトナム人の子の家に遊びに行くことになって、彼女のバイクの後ろに乗って、(乗せられて)家まで行くことになったのだが、その運転していた子がバイク転倒した。

その時、彼女は転んだけれど、それで済んだ。ただ、その時、私は後ろに乗っていたので、バイクが膝の上にのっかった。元々膝を痛めており、かなりの痛みだった。そこで「病院に行きたい」と言ったんだが、「とりあえず家に行こう」と家まで行き、脚を見たが、血が出ていない。

だから痛みが目に見えない、そうなるともう膝が痛いと言っても、彼女は自分の過失と自分は怪我をしていなかったので、その事故に関して両親に
「大丈夫、なんでもない」
と家族に言っている。

後ろに乗った私の膝の上にバイクがのかったって言っても(その状況?痛み?を想像できない?)自分の過失を隠す方が優先される…。そんな感じだった。結局私はそのころベトナム語もできないし、一人で病院に行くこともよくわからず、そのまま放置となり、最終的に膝に水が溜まり、歩けなくなってしまったのだ。

そして、松葉づえ生活になって「歩けない」と言っているのに、職場で与えられた寮はエレベーターなしの5階。毎日そこから降りるのもの、上るのも大変な2カ月を過ごすことになり、食事などもまともに食べることのできない生活をしていた。

そんな状況でも、そのバイクに乗せてくれた子は自分が日本語の勉強をしているからと普通に私と日本語の会話をしようとして、自分の都合と利益だけを考えていた。

こういう話って、日本の方には「バイクの後ろに乗る自分が悪い」なんて責められることもあったし、だからその子を責めるつもりはなかったがのだが、それでも、私はその子に優しくしてあげたりすることはできなかった。皆平等には対応していたけれど、彼女にだけ、優しくしてあげるなんてことはできなかった。

それなのに、彼女は私が彼女に優しくないと、の悪口をみんなに言っていたそうだ。

そういう意味での「想像性に欠けるなああ」という印象がとても強くなった。これはベトナムに来て1年目のことで、それからもたくさん我慢をしたり、辛いこともあったり、そういう「想像力のない人たち」にひどい扱いを受けることもあった。

でも、それはちょっと繊細な性質持ちの私のせいでもあるので仕方ないと思いつつ…3年もの月日を過ごしてしまった。

人種差別と言うか人種の壁か否か

ヨーロッパは人種差別がある、と言うし、人種差別を感じた日本人の方の話もたくさん聞いたけど、私は人種差別を受けた記憶がほぼない。そしてなぜ人種差別を受けないかも実は分かっている。

ベトナムでは逆の人種差別を感じることがある。日本の方の方がなぜか上のような、そんな場所な気がするのだ。

けれど、それでも日本人は外国人。ベトナム人だけの環境にいると、結局はこの国で頑張ってもあっさり捨てられることもある。信頼関係もあっという間に簡単に崩れることもある。そんな印象だ。

あんなに仲が良かったのに、あんなに信頼していたのに、ある日簡単に裏切られる。それでもいつかはと人を疑わず信じて進んできてもびっくりするくらい裏切りに合う。裏切り、というと大げさだが、言ったことが守られない、守られた時にやっと約束になる。今言ったことは今だけと思わないといけない、ただそれだけだ。

もっと言えば、そこに契約書があっても、それすら無効に感じる、いやそれすら無効にしてしまう。そんな国だなと思う。

口約束なんて、その日だけ。

「約束は破られるもの、約束は守られたらラッキー」

それくらいに感じてしまうのだ。でもそう感じるのは私だけ、かもしれない。でもそれくらい相手にも誰にも、何にも期待しないととても楽になった。私はそれはとても悲しいことだと思うのだ。

逆に私の地元(フランスの地方)では口約束だけでもちゃんと成立していることもある。契約書社会のフランスで、ちゃんと人と人の人間関係が成り立っていた。

ベトナムではそれをなかなか感じない。 辛いことが多いこの国で本当に私はなぜここに来たんだろう…。そんなことを感じながら、せっかくならこの国を好きでいたいと思いながら、どんどん好きじゃなくなって、この国を離れることになるような、そんな気がするのだ。


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