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人生でしたいことリストだけじゃなくて、しなければいけないことリストを考えるー3ヶ月後に人生が終わるとしたら…海外ノマド生活の知恵

私は12歳から、様々な国を転々として、海外ノマド生活を送っている。

3ヶ月後に人生を終わらせると決めた

というのは、私は様々な国を転々としているので、毎回移動するときはその場所での生活(人生)にはもう戻らないかもしれないことを知っているので、そこでの生活(人生)が終了する、という気持ちでいる。

そこで出会った人、そこで築いた関係、仕事など、全てから別れを告げる覚悟をすることも多い。移動は急に決まることもあるし、大抵1~3カ月前にはその終わりがなんとなく見えている。
ただし、最近は移動が急に決まることもあるので、3カ月も猶予がないこともある。

でも、こういう体験ができるお陰で、私は移動の度にこれがここでの最後、と思うようになっているし、特に人との出会いは【一期一会】だと思っている。

そんな状況をいつも1つの人生が終わるかもしれない、という気持ちでいる。そうすることで、いつも「いつか自分の人生が終わってしまう。」ので、のんびり生きているのではなく、毎回「この人生(生活)がもう少しで終わってしまう。」と思うと日々後悔しないように一生懸命生きていくことができる。そんな中でやらなければいけないことを、色々考えていく…


したいことリストだけじゃなくてしなければいけないことリストを考える



このテーマでは国を移動するときに考える、10つのやらなければいけないことについて、考えている。


国を転々として生きていると、諸外国での生活は決して楽ではない。どちらかというと辛いことも多い。昨年、2023年までいたベトナムでは、本当に辛い日々が多かった。それでもそこでやりたい「使命」みたいなものがあって頑張っていたが、結局その国からも出ることになった。
そこで3ヶ月後にこの国での生活(人生)を終えると決めたら、少し心が軽くなった。

例えば今生きているのが苦しくても、もうこれ以上頑張れないと思っても、そう言う時って終わりが見えないからだと思う。
だから、今生きているのが辛くても、この人生があと3ヶ月で終わると思えるだけで、かなり気持ちが軽くなる。逃げ場がないから、生きていることが辛くなってしまうのだ。いつか終わりが来ると分かっていたら、そこまでは頑張れることもある。けれど終わりの見えない辛さや苦しみの中にいるときは、どうしていいか分からないので、自分で終わらせてしまうのかもしれない。

だそして、例えばこれが病気で余命3ヶ月と言われた場合にはその数字は絶対じゃない。それ以上生きてしまうこともあれば、それ以下のこともある。
それに病気の時は身体も辛いし、思うように好きなことができないことだってある。最初のうちは良いが、余命3ヶ月だとしたら、恐らく最後の1ヶ月は病院で過ごさなければならないかもしれない

私の場合は国を移動するから、この生活とはもうさようならだ、と思うという発想だが、もしも今辛い日々を送っているときに、今すぐ衝動的にその人生を終わらせてしまうのではなく、一旦「あと3カ月」と決めて、その3カ月を思い切り好きなことをして生きてみようと思えたら、もしかしたら3カ月後には考え方や周りの状況が変わっているかもしれない。だからこの、自分で人生あと3ヶ月って決めることは結構前向きなことだって思うのだ。

ただし、こんな発想は誰にも勧めない。これは私みたいに孤独な人間にしか勧められないことだと思う。きっと家族がいたら、愛する恋人がいたら…そんな発想にはならないかもしれない。これは国を移動して生きている私にとっても、もし家族や恋人がいたら、こんなにも国を移動して自由きままに生きていくということはなかなか難しいことかもしれない。

だから、私のような生き方はあまりお勧めしない。あくまでもなるべく誰にも迷惑を掛けないようにしたいとは思う。

さて、最近では終活なんて言葉もある。だからある意味人生を終わらせるのであれば終活も必要なのかもしれない。どこの国にいても、移動するときには今までの自分とも、今までの人生とも決別する、という意識でもある。と言う事は、この国で、最後にしたいことリストだけじゃなくて、しなければならないことリストも必要だと言うことだ。

しなければいけないことリスト…ここで何をしなければいけないか


●日記を燃やす


私は日記を書く習慣があったんだが、各国で結構色々「やらかして」いる。その都度、誰にも言えない話を書き残しているが、その時の日記は誰にも言えないことだらけなので、まずは日記を消去しないといけない。紙だからできれば燃やしてしまいたい。せっかくの思い出だけれど、そこでの人生を忘れたいと思って、その場所を離れることが多いので、誰にも読まれないと思って、墓場まで持っていく秘密がたくさん書かれている。だからまずは日記を捨てないといけない。
まずは日記を読み返してみるのか、恥ずかしいからそのまま捨てるのか…
あれを読んでいるだけで、3ヶ月終わってしまいそうだ。
たくさん笑った日も、泣いた日も…気ままに書いていた日記。
あれを読めば色々初心に戻れそうだ。でもきっと…読まないだろうな、と思う。
そこでの人生が終わって、またいつかそこでの日々を思い出すときもあるだろうけれど、それは読み返さず、頭の中の思い出だけ、で良いと思う。どんな思い出もいつか書き換えられたり、間違えた思い出になったり、そしてどんな辛い思い出もその辛さは時間とともに薄れていく。もし又日記で読み返してみたら、思い出して辛くなることもあると思うので、全て燃やして、その国での人生は頭の中の良い思い出として、残していきたい。


⚫︎お金の整理をする、お金を使う

あまりないケースのようだが、私は一応各国で銀行口座を開設することが多く、為替などを気にせずその国で稼いだお金をそこで使うという生活をしている。だから、その国を離れるときは、まずは今あるその国のお金を整理する。

実は私は趣味が貯金で嫌いなことは消費、浪費だ。だから、海外で現地採用、現地組織に属しているので、お給料的には恐らく日本人枠にしたら下の下だったと思う。でも、私の生活も現地並みなので、問題なく過ごしているが、そのお陰で少し貯金もできた。

そして、そのお金を外に持ち出しても、その国と同じ価値出ないことも多い。(最近2024年)であれば、円安なので、日本に持って帰る方が得なこともある。けれど、大抵のアジアの国やアフリカなどの国なら、物価は日本よりもずっと安いので、それならその国でためたお金はそこで使いきるほうがきっと安全だ。

なので、その国での暮らしが後3ヶ月…となればこの貯金を使ってしまったほうがいいかもしれない。このまま放置するわけにいかないので、このちょっとあるお金の使い道を考えないといけない。ということはこの先のことを考えてしていた貯金も思い切り使ってしまおうと思う。

ただ、困ったことに、とっさにはしたいことがあまりない。せっかくなら美味しいものを色々食べたい。実は旅行などもあまり好きではないのだが、旅行もしておけばよかったのかなあと思ったりもした。
宿泊なんかも、部屋の中の移動が面倒だと思うので、大きな部屋が苦手だ。ある程度清潔で、ちゃんと寝られて、できれば机とWIFIさえあればあんまり気にしないので、本来なら物価の安い国なら割安に良いホテルで少しのんびり過ごしてみる…。なんてのも良いのだが、家が好きで家でのんびりするのが一番だと思っている私には、人生最後でも旅行をしよう!とはあまり思わないようだ。

美味しいものは食べたいがそのレベルもどのくらいのものを食べたらいいかよく分からない。でも、最後に好きなものを好きなだけ食べたいなと思う。
移動が多い生活なので、最近は欲しいものも買いたいものも減ってしまった。今までならもう少し欲しいものもあったのに、こうも移動の多い生活をしていると欲しいものもなくなってしまう。また、今いる国では特に欲しいものもなかった。

少しこれからどうお金を使うか考えていかないといけない…。

⚫︎身辺整理

そしてやっぱり荷物整理が必要だ。とりあえず、断捨離をしよう。必要最低限のものだけにして、残りの生活を過ごそう。きっと本物のノマドは、トランク一つで移動するくらいなんだろう服など要らないものを捨てて、(どこかに寄付) 身を軽くしようこういう生活をしているのでミニマリストに憧れるんだが、なかなかできない。結局人は死んだら何も持っていけない。国を移動するときも、トランク1つ、2つだろう。だから、最後にミニマリストを目指そうと思う。

実際こんな生活をしているせいで、良い服とかブランドもの服にも縁がない生活をしてきた。基本的に楽なもの。でもどうしてかどこの国いても、調理道具が多い。これだけ、なんとかしないといけないなと思う。

会いたい人に会う

そして大事なことは「会いたい人に会う」こと。これは、もうその人に一生会えないかもしれない、そういう思いでいないといけない気がする。私の出会いはそういう出会いが多い。もう二度と会えない友達、知り合いなんて山ほどいる。いつの間にか連絡の取れなくなる人も多い。

今でこそ、こうしてSNSなどで繋がれるのだが、それでもなかなか難しい時がある。だから、最後に会いたい人に会う。でも私はこういう生活をしていたせいで、人に「会いたい」とか「さみしい」という感覚すら最近はなくなってしまった。

逆にどこにいてもいつか自分はそこからいなくなると知っているので、「一期一会」をすごく大事にしている。会ったときは思い切り相手のことを思うようにしているし、距離感がすぐ近くなる。けれど一回離れたら、もうそれで終わり、なんてことも多い。本当の友達は少ないかも、しれない。よっぽどでないと、もう会えないかもしれない友達となんて繋がっていることはないのだ。しばらくしたら、その縁は切れる。

そして、私の環境はかなり特別だったので、なかなか友達という友達もできなかった。SNSも国を移動するごとに別のものを作っていた。だからその国を離れたら、SNSで繋がっている友達とも切ってしまう。(切れてしまう。)

本当はもっといい関係を続けていきたいとも思うのだが、私もその国ごとに性格や思考が変わる。(これは話す言語に関係しているんだと思う。)結局、この国では言語もちゃんと覚えることができないまま、終わってしまったので、思考というところでは日本語で生活していたので、あまり関係ないかもしれないが、その日本語がいつもの自分の日本語ではなく、教えるための日本語、外国人と話すための日本語だったので、またそこで自分の新たな思考回路ができた気がする。

この思考回路とここでの人間関係とも、決別したいなと思っている。

思いつくことはこれくらいだろうか…

★この話しはフィクションでもありノンフィクションでもあります。
人生を終わらす…は本当に人生を終わらすというより、私の場合は国を移動するのでそこでの生活が終わる、ということで、それは私にとってそこでの自分との決別、周囲の人たちとの決別、などを意味する。だから、それが私にとっては1つの人生が終わる、

私のノマド生活は実は国を移動したから、しているのではなくて、どちらかと言うと、今いる国にいることが辛くて、そこから抜け出したいという思うで次の国に移動する、その場から逃げるため、ということもが多い。だから、毎回その国での人生を終わらせて、次へ進むという感覚でいる。でもこう考えることによって、今、この時を一生懸命生きることもできる。


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