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突然ですが、私自身の幼き頃の話です(笑)
興味ないという方もいるとは思いますが(笑)

今の私を知る方は驚かれるかもしれません。が、小学校1.2年生はほとんど学校に行っていませんでした。語弊がありました…給食だけ食べに行っていました(笑)

当時通っていた学校は歩いて30分ほどかかる小学校
親が自営業の為家にいない
そして、その当時そこまで学校と家との連携が取れていない
親が離婚調停中?

そんな状況でした

私がとった行動は、行ってきまーすといって玄関から出て行って、家の塀をつたって、屋根に登り、2階の子ども部屋にいき、そこで、両親が出かけるまで待っているという行動に出ます。

そんなこんなで、親が家から仕事に出かけると、ここからは自由時間です☆

ゲーム、漫画、料理、自分の好きなことし放題。

兄弟もいたけど、一緒には学校にはいってなかったみたい。

そして、お腹が空きだす頃に学校へ…お昼ご飯を食べに☆

学校につくと同級生たちが「だいちこくがきたー!!」と騒ぎます(笑)
子どもは、あだ名をつけるのが絶妙にうまいですよね☆感心します
先生も「よく来たね!」と暖かく迎えてくれます。

こんなこと今の時代やれない。
先生の度量がすごい。
遅刻して、ご飯しか食べに来ない。
それでも暖かく迎えてくれる。
同級生たちも何故か暖かい。
その当時の先生の記憶は鮮明だ。
いじゅきみこ先生【沖縄出身】
どうしてそんなに暖かく迎えてくれたのか。

その当時、両親の離婚協議や兄弟が別々になるなど、今思えば大変な時期だったんだな。それをわかったうえで、やってくれてたのかなと今は思える。

親の存在は大きい。それは当事者である僕も大きく感じていた。
家に帰ると、いるはずの人がいなかったり、両親が喧嘩してたり、本当に嫌なこともあった。

でも、こういう暖かい人もいる。そういう意味で凄く救われた。

今まともに生きていられるのも、あの時代があったから。

人間ってあったかい。

はっきりいって、私は劣等生です。

掛け算なんて全然できなかったし、字も汚い。勉強なんてほとんどしていなかった【小学1.2年生まで】。遊んでばかり。

そんな私でも、なんとか大学まで行かせてもらえて、今子どもたちを指導する立場にある。人生ってわからないものです。
人は変われる。でも変わる関わらないかは自分次第、だし周りの大人がそれを後押ししてくれるか。

そういう意味でも、子どもたちを後押しできる大人でありたい。
私を救ってきてくれた親、先生、友達、のためにも。


私は運動が好きで、好きで、ただ好きで今に至る。好きなことを仕事にできている。

大金持ちではないけど、それはとても幸せなことで、今までかかわってくれた人に感謝を忘れてはいけない。

私みたいに好きなことを見つけられるような、教室にしていきたい!

ただ運動技術の教室ではなく、運動を通して子どもたちがスクスクと思い切って生きていけるような教室になればと思っています。

10年目を迎える。

こんな大人もいるんだよ。こんな人生もあるし、人生って愉しいよといえる子どもたちの一つの見本になれればいいな。

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