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第3回THE NEW COOL NOTER賞食育・子育て・おいしいもの部門~9/3講評

第3回THE NEW COOL NOTER賞食育・子育て・おいしいもの部門へご参加いただいている皆様。

Norikoさん、ゆうのうえんさん、これでも母さんに審査委員をつとめていただく9月度コンテスト、応募期間は9月15日までとなっています。
どうぞ、ふるってご参加いただければと思います。

本日は、Norikoさんの応募記事へのみこちゃんの講評を掲載させていただきます。
どうぞ、楽しんでいってください。

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<講評(みこちゃん)>

「食事を摂る が ごはんを食べるになるとき」

 私は、言葉には独特の優しさ、その瞬間の愛おしさを切り取る力があると思っている。たとえば、りんごのことを考えてみよう。

「木から落ちるりんご」
りんごが描写されています。でもまるでニュートンが観察しているように、なんだかりんごは即物的で味気ないですね。

「りんごか木から落ちる」
今度はどうでしょうか。同じ落下したりんごを描写しているのに、こんどはなんと、りんごが生き生きしていることでしょう。その瞬間を観察する子供は、ニュートンのようにりんごを観察せずに、おもわずりんごが地面に落ちる前に拾おうとして駆け出しているかもしれません。

そこには、りんごとのふれあいの優しさ、りんごが落ちた瞬間の愛おしさがある。

このNorikoさんの「おにぎりは魔法がかかってると思う」 を読んだとき、私は、食べ物にも、食べる瞬間の食べ物と触れ合う瞬間の優しさというものがあるのだな、と思いました。

「木から落ちるりんご」
食べ物にすればこれは「用意された食事」になるでしょう。なんだか、すでに食べることへのプレッシャーが感じられますね。
でも、「りんごが木から落ちる」のように、その「食事」を見てみる。そうすると、魔法のようにその食事は「ごはんを食べる」という、生き生きとした優しい愛おしい瞬間に変貌する。

Norikoさんは、この瞬間をヘルパーさんがお祖母様に作ってくださったおにぎりを、おばあさまが一つ残らず食べたことへの驚きから感じました。

祖母の寂しさや悔しさ、そして本当に祖母が欲している事が少し見えた様に思いました。

お祖母様は、食事を前に寂しさや悔しさを味わっていた、本当に望んでいたのは「食事を摂る」ことではなくて「ごはんを食べることだったから」です。

相手を信頼しているからこそお願いが出来る事。そして自分を想いながら握ってくれるおにぎりの美味しさ。
私はこれが食の原点と言うか、基礎じゃないかなと思っています。

なるほど、と思いました。私が愛してやまない言葉。これと同じように、食べ物にも、食べる瞬間の食べ物と触れ合う瞬間の優しさというものがあるのだと思いました。

料理は栄養を摂るための義務ではない。もっと血の通ったものだなとNorikoさんは気が付きます。

そんなNorikoさんのご家庭では、息子さんがお姉ちゃんにおにぎりをおねだりし、忙しいさなかにNorikoさんが朝ごはんにおにぎりを作ると、
「お!母が朝ごはんを作ってるぞ」とはやし立てる。

Norikoさんのご家庭にりんごが落ちる万有引力の方程式はいらない。ぎゅっと両手で抱きしめたり、いってらっしゃ~いと学校へ送り出したり、距離は変幻自在近くも遠くもなって、いつも暖かく家庭を満たしている。

きっと今日もまたその人と人との引力は、おにぎりを作る人と食べるときの人の気持ちから、優しく愛おしく生まれているのだろう。

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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

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応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
 他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。

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