熊野とは③ 神仏習合・・仏教伝来(聖地に)
写真は、神さまである那智の滝と仏教の三重の塔。熊野の神仏習合の象徴的な写真です。仏教が6世紀に伝来し、熊野は仏教を受け入れ日本古来の神道と融合していきます。
神社へ行くと権現という文字をよく見かけるかと思いますが、なんやろ?って思っている人が多いと思います。権現の「権」は「仮の」、「現」は「現われる」の意味で、一般的には神さまは、仏さまが「仮」の姿で「現れた」ものということです。もともと神さまが君臨していたところに仏さまがきたので、そんな考え方にしたのかもしれません。熊野では逆で、神さまが仏さまの姿になって現れたというのが熊野権現という説もあります。
熊野権現の誕生
熊野の三社は、それぞれ仏さまの姿も持つことになり(熊野権現)、三社の権現を熊野三所権現といい、それぞれを相互にお祀りすることで熊野三山が成立します。熊野三所権現と熊野三山の他の神々を合わせると熊野十二所権現といいます。
従って、熊野三山の一つだけにお参りしても、熊野の神々にはご挨拶できます・・ができれば三山にお参りくださいね。
本宮|熊野本宮大社
主祭神の家都御子大神(素戔嗚尊)は、阿弥陀如来。
速玉|熊野速玉大社
主祭神の速玉大神(伊弉諾尊)は、薬師如来。
那智|熊野那智大社、那智山青岸渡寺
主祭神の夫須美大神(伊弉冉尊)は、千手観音菩薩。
熊野修験
熊野とは①で紹介したように、熊野には人々を圧倒する自然があり修行の場として、修行僧が入山しました。平安時代には、熊野の霊験が修験者によって全国にその名が広げられ、やがて上皇、貴族たちが熊野の神仏に憧れ参詣するようになります。
熊野は神仏習合の聖地と紹介しましたが、修験道も含めた神仏習合なのです。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」には、3つの霊場があります。
・熊野(自然崇拝、神仏習合)
・高野山(仏教、真言密教)
・吉野・大峯(修験道)
3つの霊場(信仰)は密接に関わりあい、それぞれの聖地として成立しているのです。
当時の熊野ブームの先駆けになったのは、修験者によるところですね。
熊野への道は、難路であり道案内役の先達が必要とされ熊野の修験者たちは先達、御師(道案内、宿の手配、祈祷・参拝の案内)として活躍することになりました。(今で言うガイド、旅行会社、着地型観光です。)
明治時代になると、修験禁止令により熊野修験は廃止されます。
1987年那智山青岸渡寺の現高木住職の強い思いと努力により熊野修験が復活しました。今、熊野を中心に活動しています。
一般の方も参加ができる修験もありますよ。ぜひ那智山青岸渡寺まで。
熊野は浄土
神仏習合の地となった熊野は、11世紀ごろから熊野全体が浄土の地と見なされ、聖地として栄えていきます。
本宮は、阿弥陀如来の西方極楽浄土。
速玉は、薬師如来の東方瑠璃浄土。
那智は、千手観音の南方補陀落浄土。
平安時代後期から鎌倉時代に上皇、貴族たちが熊野を訪れるようになります。鎌倉殿の13人で西田敏行さんが演じた後白河上皇が34回、尾上松也さんが演じた後鳥羽上皇は28回が熊野御幸を行っています。京都、熊野往復で約1ヶ月、総勢平均で300人(最大817人)だったそうです。
余談ですが1回の熊野御幸で今のお金で10,000円(1泊1日)×30日×300人=90,000,000円。熊野御幸1回の平均費用は約1億円ですかね。地域にとってはものすごい経済効果だったんですね。
上皇、貴族から始まった熊野詣は、武家、庶民と広がっていきます。
武家の代表、大泉洋さんの源頼朝、小池栄子さんの北条政子も。
神倉神社(熊野速玉大社摂社)の石段は源頼朝が寄進したもの。
那智の熊野古道に北条政子の供養塔があります。
熊野は寛容
仏教を受け入れた宗教的寛容性に加え
「信不信を問わず、浄不浄を嫌わず、身分の違いや老若男女を問わず。」
熊野はだれでも受け入れてきたところ。当時にすればすごいこと。
これが庶民まで熊野詣が広まった大きな理由です。
今でも熊野は遠いところですが、気軽にお越しいただきたいところです。
日本第一大霊験所
熊野三山の3つの大社には、「日本第一大霊験所」または「日本第一霊験所」と書かれているものがあります。
日本で最も霊験のあるところ・・日本一の最強パワースポットという意味です。人々を圧倒し自然信仰が興るほどの大自然とそれを神としてきた地にできた神仏習合の聖地。
パワースポットブームででてきたようなところではなく、熊野は古からそういうところなのです。
日本第一大霊験所、お越しになったらわかります。それだけで!!
スーパースター
日本の宗教界のスーパースターが熊野を訪れています。
役小角(役行者)・・修験道の開祖
弘法大師空海・・真言密教の開祖
一遍上人・・時宗の開祖
安倍晴明・・陰陽師
熊野の大自然は彼らに大きな影響を与えたことでしょう。
蟻の熊野詣
熊野詣では、平安時代に上皇・貴族の熊野御幸から始まり、鎌倉~江戸時代には武家から庶民のブームになります。その様子は「蟻の熊野詣」といわれ、蟻が列をなして歩くことにたとえられるほど多くの人が熊野を訪れました。
熊野に行くと何か懐かしいような気がするのは、きっと皆さんのDNAに熊野があるからです。ご先祖さまが訪れています(笑)。
時の権力者だけでなく、庶民まで熊野詣を愛した理由は、
・熊野は浄土 (前述)
・熊野は寛容 (前述)
信不信を問わず、浄不浄を嫌わず、身分の違いや老若男女を問わず。
・魅了する熊野の圧倒的な自然 (熊野とは①で紹介)
・過去、現在、未来の安寧を得る。よみがえりの地
速玉が前世の罪を浄め、那智が現世の縁を結び、本宮が来世を救済する。
といわれ、熊野三山を巡れば過去、現代、未来の安寧を得ると考えられていました。
熊野は昔も今も変わらず旅人をお待ちしています。
古の熊野詣をお土産は何?
今みたいにお守りやグッズはありません。
推測でしかないですが、以下の2つであったかと思います。
■熊野牛王神符(牛王符)
熊野の牛王符は最も権威の高いものでした。自分の名前を裏書きして神にそなえることで誓約したことになります。今の契約書、誓約書ですね。
戦国時代の味方の誓約や赤穂浪士の四十七氏の誓約などに使われたきました。この誓約を破ると熊野権現の使いであるカラスが一羽死に、本人も血を吐いて苦しんで地獄へいくというものです。
今は、
・竈(台所)の上に祀れば、火難をまぬがれる。
・門口(玄関)に祀れば盗難を防ぐ。
・懐中して飛行機、船に乗れば、災難をまぬがれる。
・病人の床にしけば、病気平癒となる。
熊野牛王神符は、熊野信仰の人々をあらゆる災厄からお守りくださるも のです。私が最もお薦めする熊野のお土産で、それぞれの大社で今もお求めになれます。800円です。
■なぎの葉
なぎの木は、熊野速玉大社に巨木がありますが、熊野権現のご神木でその葉は魔除けとなり熊野詣の帰りを守ってくれるものでした。
葉の葉脈が幾筋も通っており、なかなか破れないので男女の縁が切れないようにと大切したという習慣もあったそうです。
熊野速玉大社で苗木をいただける(有料)ときもあります。
日本人の旅のはじまり。
当時は庶民は自分が生まれた土地から外にでることはありませんでした。上皇貴族から始まり庶民まで広がった熊野詣こそが日本人の旅の始まりです。お伊勢参りは熊野詣のあとです。
また、熊野詣により、宿の手配、道の案内・ガイド、祈祷の順番を行う御師、先達などいわれるシステムができました。また熊野比丘尼を中心に熊野の信仰を全国に布教した営業チームもできています。まさしく今の旅行業の始まりでもあります。
旅行会社の皆さんは熊野は必ず来るべきところですね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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