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心が蓋を閉めたとき 開けたとき

前回にUP致しました裏庭といえば竹林!と描いた絵に、
嬉しいご感想をたくさん頂戴いたしました。
ありがとうございます!!

まだまだ学びながら練習として描いているので、完成後は反省点も多々あるのですが、ワタクシは褒められると調子に乗ってしまうという仕様なので(笑) もっと描こう!!というやる気向上中でございます。

で、今朝頂戴したS様からのメッセージを読んでいた時、絵を描くことについて思い出したことがあります。

ドーベルマンズもCooさんもだーい好きです。❤️
どの絵もそれだけでもとても素敵な絵なのに、Cooさんとドーベルマンズが居ることで、その絵がもっと素敵になりとても輝きを放っていますよ(キラキラ)

S様より頂戴したメッセージ

Sさん、嬉しい感想本当にありがとうございます!


ワタシ、子供のころは絵を描くのが大好きだったんですよね。
毎朝 新聞に入ってくるチラシの裏側をチェックするのが日課だったんですょ(笑)

チラシの裏が白いと絵が描けるから、見つけるたびにとっても幸せな気持ちになっていたことを思い出しました。

でも、11歳の時に描くことをピタリとやめたんですよね。

小学5年生の図画授業の時に、写生画を描きに生徒は神社に連れていかれまして、ワタシは神社の本殿を描き、その絵を図画の先生がコンクールに出してくださりコンクールで入賞したんです。


で、その図画を担当していた先生は美大でも講師もされていて、ワタシに絵を今後本格的に続け美大に進んだらどうかと提案してきたことがありました。

その話をその時の担任が母に伝えたところ、母はその時は喜んだのですが、その後、絵を続ける際にかかる費用を知ってからは、ワタシがチラシ裏に絵を描くのを見るたび、嫌な表情を浮かべ下手だのなんだのと描く気を削ぐような言葉を浴びせてきていました(笑)

そしてある日、ワタシがコツコツと集めていた裏が白いチラシが、ビリビリに破かれゴミ箱に捨てられていたんです。

母が犯人だと知ったワタシは猛烈に抗議しましたが、待ってました!といわんばかりに(おそらく理論武装していた母 笑) ワタシの絵をミソクソにけなしはじめ、ワタシの口からそこまで言われるのならもう二度と絵は描かない!! と言わせることに成功。

 シンシア&ラムっちょの激しめなバトルにおののくレオ坊


絵を描くことは大好きでしたが、ワタシは絵が下手だから描かない。
そう自己暗示をかけて描きたい気持ちに蓋をすることにしたわけです。

今振り返って大人の目線でみれば、子供にとっての母の影響は大きかったんだなぁ~と思います。

親だけでなく周りにいる大人の影響は子供にとっては大きいですよね。

だから、言葉は本当に大事。


そして子供の頃、大人から何かしらの言葉をいわれたりしたことで、
自分は本当はこうしたい!ということに、自らが蓋をして閉めてしまったことを大人になった今、自分に向き合い思い返して 探して 見つけて 開けてあげること。

それもとても大事だと感じました。

ワタシがそうできるようになったのは、やはりドーベルマンズの生き様をみせてもらえたこと、ドーベルマンズと過ごした愛溢れる時間、ドーベルマンズをワタシと一緒に見守って下さった皆さんとの繋がりがあったからだとおもっております。

心より感謝なのです!

ドーベルマンズと裏庭にて


そして~~最後に付け加えますが、ワタシは母にこうされたから絵を描くのをやめたんだ!とは思ってません。
自分が勝手に蓋を閉めたんだよね~ということを伝えたかったのです。

我が心の師匠 『親の呪いが解ける瞬間(とき)』より

たちの「悩み」の根源は

「勘違い」であり

「誤解」です。
自分自身、というひとについての勘違い
勘違いセルフイメージです。

・わたしは嫌われている
・わたしは、できない
・わたしは、価値がない
・わたしは、ひとを怒らせる
など。

いま人生がうまくいってない人は

自分を磨くための何の努力も必要ありません。

ただ、ただ、この「勘違いセルフイメージ」を

終わらせてください。

どうして勘違いが起ってしまったか。

それは、特に他人の言ったことや、したことを、

まちがってうけとったことに端を発します。

他人の言動、特に親の言動を

「そのまんま」受け取った

「子供の目線で」受け取った

「目に見えるものだけ」受け取った

ことによって

「事実ではないこと」

「もっと裏に事情のあること」

そして

「自分自身を、その事実と関連付けた」

ことで、自分自身の価値を勝手に自分で下げてしまった、

ここが問題の根幹です。

例えば、親が、子供が何か危険なものを手にしたときに、

ちょっと叩いた。

そのことで

「私は嫌われている」

例えば、親に虐待された、冷たくされた。

そのことで

「わたしは、そういうことをされる、価値のない人なんだ」

と思ってしまった。

冷静に考えると「事実」と「自分の受け取った価値」が違うのはわかりますか?

「叩く」ひとの事情と「叩かれる人」の価値は関係ないんです。

自分で自分を全否定する必要はないということですね。

「そんなことするひと」はいても「そんなことされるかちのないひと」は、いないということなんです。

さして、そんな「誤解」が、心のねじれを生んで、愛情の流れを悪くします。

愛情の流れが悪くなるとうまく愛情を表現できないしうまく愛情を受け取れない。

そうやって愛が滞って「問題」となります。

結局、色んな悩みを聞いてきましたが、根底で共通するのが

「わたしは あいされて いない」

という言葉です。

この、人生最大の勘違いがとけた瞬間、愛情が温泉のようにとめどなくあふれだす。

こんなに、いっぱい、あった。こんなに、まわりには、いっぱい、あった。こんなに、自分の中にも、いっぱい、あった。

それだけですね。なんだ、バカみたーい、と笑えます。

そのためにも、ひとつこの言葉をつぶやいてみるのをお勧めします。

「ホントウハサビシカッタ」

です。

我が心の師匠 『親の呪いが解ける瞬間(とき)』より


もしアナタにも呪いがかかっているのなら、呪い解いてみてね♪

穏やかな表情のアンとラムっちょ

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