『大豆田とわ子と三人の元夫』 7話 大豆田とわ子に言ってほしいこと
書いてるうちに何だか大切なことに気づいた気がする、テレビメモw 【大豆田とわ子 #7 】
話が通じない、絶対に理解し合えない、人間らしい良心や想像力がない‥‥坂元裕二って定期的にそういう人物を登場させたくなる人のようだ。
スカパラ谷中敦が演じた完全無欠の女性蔑視社長に、『それでも、生きていく』のサイコパス風間俊介や『問題のあるレストラン』の傲岸な杉本哲太を思い出してたんだけど、なんと谷中さんは前座で、真打はオダギリジョーだったw
坂元裕二が描く「邪悪シリーズ」の中で小鳥遊(オダギリジョー)が新しいのは、単に邪悪な人間ではなく、人と人生への優しいまなざしをもつ愛すべき変人でもあるということ。
「企業買収の悪魔」の異名をもち札束で人間をぶっ叩くオンと、哲学的かつ心のこもった言葉で傷ついた人を慰めることのできるオフ。
小鳥遊の中で両者は矛盾なく並び立てるものらしい。
証明不能な数式のように難解な人物。
かごめを死なせたわけも何となくわかってきた。
大豆田とわ子は、多くをもっていた。
かわいい娘、
気の置けない親友、
充実した仕事と社会的地位、
それに見合った収入。
広くておしゃれな家。
努力や苦労は当然あるとして、それでもなかなかいるもんじゃない。こんな恵まれた中年女性。
その優雅さや洒脱さを楽しむだけではなくて、
それが「剥ぎ取られていく」過程を目撃させられるドラマなんだね。
むしろ後者が主眼なのかもしれない。
そもそも、主人公が母を亡くしたところから始まった物語だ。
母を亡くし、
親友を亡くし、
娘と離れ、
片腕のようだった同僚の女性に裏切られ、
今、会社を失いそうになっている。
あの家も失っちゃうのかなあ。
こうなると、気になるのは、
●大豆田とわ子は三人の元夫まで失ってしまうのか、それとも‥‥?●
というところだけど‥‥。
思うに、昼間は元気だったかごめが、その夜、帰らぬ人になったように、私たちは運命の前に無力だ。
心筋梗塞も、娘の巣立ちも止められないし、
資本主義グローバリズムは人間に残酷で、
他人の生き方を変えることはできない。
だから、
「野菜を食べて、ちゃんと寝て」
「元気でいてほしい」
と、まだ失われていない三人の元夫の健康を祈ることしかできない大豆田とわ子なんだけど、
何もかもを剥ぎ取られた彼女が彼らに言うべきは、
「そばにいてほしい」
「助けてほしい」
という言葉なんじゃないのかな。
職場でも、娘を送り出すときも、かごめの葬式でも、
いつも気丈に振舞ってきた大豆田とわ子。
いい年した大人なんだから、
苦労があるのも、大切な人を亡くすのも、
それでもがんばらなきゃならないのも当たり前。
しょうがないこと。
私たちはみんな、そう思ってしまう。
でも、「助けて」って言っていいんじゃないかな。誰だって。
小鳥遊(オダギリジョー)の無邪気な邪悪さに追い詰められて、大豆田とわ子がそう言えたらいい。
配偶者でもない、血縁関係もない相手でも。頼っていいんじゃないかな。
助ける側も、一人きりだったら重たいかもしれないしできることは限られるけど、三人くらいいれば受け止められるんじゃないかな。
坂元さん、また風呂敷広げすぎなんじゃないの~?
と思わなくもないけど、続きが楽しみ。
大豆田とわ子を孤独なままで終わらせたら許さない!!!
と、ハンカチ握りしめながら見ている、大豆田とわ子および松たか子の強火担のイノウエなのですw
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