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インタビュー: 利他の心でいつまでも美しく ~ リラクルーム「凛」中村美幸さん

鹿児島中央駅、天文館近くでサロン「リラクルーム凛」を営む中村さん。
その生き方は、若いころからずっと「ひとに優しく」「この人のために」。
ご自身の子育てが終わった今、少し気持ちをゆるめて自分にも優しくしながら、「シングルマザー向けのマンションを作りたい」という次の夢に向かっています。

聞き手: イノウエ エミ
(2021年10月取材)

◆ いつも「ノーファンデ」です

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―――すてきなサロンでみなさんをお迎えしているんですね。このサロンはどんなきっかけで作られたんですか?

子育てが終わり、これからは、みなさんが健康で綺麗に輝けるようにサポートしたいなと思ったのがきっかけですね。お仕事や子育てで忙しいみなさんも、ここに来たらちょっと楽になって、「また明日からがんばろう」と思ってもらえるような場所を作りたくて。

―――「次世代の健康法」といわれるニュースキャンや、腸心セラピー、骨盤矯正などを提供されています。個人的に、腸活が気になっているのですが。

腸は人の健康のカギを握っている場所。「幸せホルモン」と呼ばれる、リラックスや幸福感をもたらすセロトニンも、約9割が腸で作られるといわれています。体だけでなく、メンタルにとっても、腸はすごく大事なんですよ。

―――腸を整えるために気を付けていることはありますか?

できるだけ腸に入れないように気を付けているのは、添加物。そして小麦粉ですね。昔はパンが好きで、毎日食べていましたけど(笑)。

―――あら、そうなんですね(笑)。私もパン大好きです。

実は、お好み焼きやたこ焼きなど、粉モノも大好き(笑)。だから、100%ダメというのではなくて、お友だちにいただいたり、「今日は自分へのご褒美」というときは今も食べています。我慢しすぎてストレスをためたら逆効果ですものね。

それから、バランスよく食事をいただくこと。外でも丼物や麺類は避けて、定食を選びます。食べる順番にも気を付けますね。最初にお味噌汁、次にサラダなど野菜類、それからお肉やお魚、最後にごはんを食べます。

―――なるほど~。よく言われることではありますが、やっぱり実践すると違うんですね。肌がとても綺麗でいらっしゃるから。

これはね、良い美容液に出会ったのもあって。私、ファンデーション塗ってないんですよ。

―――えっ! 衝撃的。

昔から美容や健康は好きだったから、自分が試していいなと思ったものは取り入れています。

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ニュースキャン。パルス信号(超低周波)を使って健康状態を予測します。着衣のままヘッドホンをつけるだけ。ロシアの宇宙飛行士の健康維持を目的に開発され、「次世代の健康法」といわれています。

◆ ただただお手伝いしたくて

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―――若いころから美容や健康のお仕事をされていたんですね。

22歳でエステで働き始めました。自分がお客さんとして通っていたお店で、そこの店長に「うちで働かない?」と誘われたのがきっかけ。でも、まもなく本社の方針でそのお店を閉めることになり‥‥。みんな辞めていく中で、最後まで残って働いていたのを覚えています。

―――みんなが辞めていくのに、不安を感じたりは?

全然なかったですね。それまで良くしてもらっていたので「お手伝いしよう」という感じ。

―――えーっと、お給料は‥‥。

出ていませんでした。今思えば、どうやって生活していたのか‥‥(笑)。貯金があったからかな。短大を卒業して最初はOLをしていたんですが、飲みに行くでもなく、ブランド物にも全く興味がなくて、質素な生活をしていましたから。「悩みがないのが悩み」というくらいにのんびりしていました。

―――ピュアだったんですね~!


◆ 人見知りの私がこんなお仕事をするとは

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―――その後、マットレスの営業を始めたのは?

友だちに紹介されたのがきっかけです。
まさか自分がそんな仕事をするとは! 私、どちらかというと人見知りするほうだったんですよ。

―――そうだったんですか?

はい。子どものころは内気で人見知り。中学校から仲が良い友だちにも「あなたで売れるの?」「よくやろうと思ったね」言われたぐらい(笑)。
しかも、初対面の方のおうちに訪問するお仕事なんて‥‥。

―――うわ~、緊張する! 本当に、よくやってみようと思えましたね。

若いころだったので「こういう仕事、こういう世界があるんだ」と思ったのと、最初は、売るというより「大事な人に配る」という感覚で始めたんですね。一生懸命「すごくいいものなんだよ」と伝えていたら、ポンポンと売れていったという感じ。そのころはもう、簡単に売れない時代になっていたんですが‥‥。

―――中村さんの伝え方がすごく上手だったのだろうし、まず何より信頼されていたんでしょうね。

ありがたいですね。上の人によく言われていたのは、「売ろうとしていないからいいんだろうね」と。

―――「売りつけよう」というギラギラ感がなかったんですね。

本当に「いいものを紹介したい」「楽になってほしい」という気持ちでやっていましたから。私は、みんなそうなんだろうと思っていたぐらいで。

―――やっぱり、そういう思いが応対にもにじみ出て、お客さんに伝わるんでしょうね。営業成績もすごく良かったのでは?

いえいえ、飛びぬけて良かったわけじゃないけど、平均して売れている、という感じかな。

お客さんに商品を気に入っていただけるとうれしかったですね。「腰の痛い人や困っている人がいたら教えてくださいね」と言うと、「そういえばどこどこの誰々さんもこんな言ってたね~」と紹介してもらえたり。お互いに鹿児島弁でね(笑)。

丸七年、毎日深夜まで働いて仕事だけの人生でしたが、たくさんの学びがありましたね。


◆ 赤ちゃんと一緒に出勤した一年間

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―――30歳で結婚、31歳で出産、32歳で離婚。それからはシングルマザーとして奮闘されますね。お仕事は何を?

結婚と同時に生命保険会社に勤めて、出産後もそのまま続けていました。
まだゆるい時代でしたので、赤ちゃんを抱っこして出社していましたね。

―――え、赤ちゃんと一緒に?

はい。臨月まで働いて、生まれて一か月休んで、二か月目に復帰です。当時はまだ産休や育休のような制度もありませんでしたから。

赤ちゃんをカゴに入れて朝礼に出たりしてね。1歳2か月で保育園に入れたので、それまでは連れて行っていました。営業部長や支部長など会社も公認です。

―――臨月や産後など、しんどくなかったですか?

なかったですね~。しんどくて休んだ記憶がないです。健康に恵まれてきたんですね。

―――すごく勤勉。働くこと自体が好きですか?

どうでしょうね。うちは、父親が大工で母はもともと洋裁師。二人ともずっと現役で働いていました。私自身、高校2年生でアルバイトを始めてから、仕事をしていない時期がありません。働くのは当たり前、みたいな感覚かな。


◆ 底の生活。でもすごく楽しい日々でした

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―――さしつかえなければ、ですが‥‥知人に貸したお金が返ってこなかったお話をうかがってもいいですか?

はい(笑)。離婚したあとですね。
知り合いの知り合いが生け簀のあるお店をやっていて、古い畳を変えたりとか、お店を綺麗にするのにお金が必要だと相談されて。「12月が繁忙期でまとまったお金が入るから、すぐに返します」という感じだったのでお貸ししたら、返ってこなかったんですよ。

―――うっ、つらい‥‥。

少しでも売上を上げるお手伝いができたらと、お皿洗いなんかにも行ってあげたんですけどね。

―――なんて人が良いんでしょう! 取り立ては?

催促はしましたが、一円も返ってこなかったですね。どこかの時点であきらめて、あとは自分でコツコツ返していくしかないなと。自分の名義なのでどうしようもなかったんですよね。何年もかかりました。

―――なかなか大きな金額だったのですね‥‥。そのときは、さすがの中村さんも落ち込みましたか?

うーん。そこまで落ち込まなかったはず。
確かにやりくりは大変でしたよ。よくやってこられたなと思います。
母と二世帯住宅で住んでいたから、母のところにいけば何か食べ物があったのはありがたかったですね。でも、ガス代や電気代が払えなかったり。
子育てが終わるころまで、ずっと底の生活をしていました。ど貧乏(笑)。

―――そうだったんですね。それにしても、人間、生活に余裕がないと心の余裕もなくなって、卑屈になったり荒れる人もたくさんいると思いますが、中村さんにはそういう雰囲気が全然ないですね。

多少はね、「女性は結婚する相手で生活が全然違うのね」と思うこともありました。でも、そこまでうらやましいとは思わなかったなあ。
だって、底の生活でも、すごく楽しかったですもん。

子育ては楽しいし、学校でもずっと役員をしていました。母も私が子どものころ役員をしていて、それがうれしかったんです。だから、私も学校にはパーフェクトに行っていましたね(笑)。

それに、うちは親戚が仲が良くて、年に一、二度はみんなで旅行に行ったりしっていたしね。
「お金もないのに、よく旅行なんて行くね~」と言われることもあったけれど、私にしたら「いつ死ぬかわからないのに、今楽しまないでどうするの?」という感じ。

―――とってもすてきです! 今を楽しみながら生きたいですよね。娘さんもきっとすてきな女性にお育ちでしょう?

どうでしょう(笑)。時々、人に「立派に育ちましたね」と言われるとうれしいです。娘も外ではいい子にしているのかな。家ではお互いわがままを言って、すぐケンカになりますが(笑)。

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立派に育った娘さんと。美しい母子♡


◆ 年齢とともに「生きざま」が姿に出ます

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―――お話を聞いていると、中村さんはとても強い人だなと思います。

そう言われることもありますね。強くあれ、と育てられた部分もあると思います。母も強い人でしたから。

―――弱音を吐いたりは? 

ほとんどないですね。何でも自分で決めてきました。
だから逆に、「こうあるべき」という自分の思い込みを外していくことも大事だと最近は思っています。

「人には優しく、自分には厳しく」という気持ちで生きてきたけれど、ここ数年は「人には優しく、自分にも優しく」に変わってきました。

―――わあ、いつごろからそんな変化が?

子育てが終わってからかな。
マッサージやヘッドスパに行ったりね。毎月お着物を着て出かけたり。子育て中はなかなかそういうことはできなかったけれど、楽しんでいます。

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―――中村さんにとって「美しさ」とは何ですか? どんな人を美しいと思いますか?

あのね、私たちぐらいの年齢になると、生きざまというものが顔に出るんですよ。

―――わあ、そういう話は聞いたことがありますが、本当にそうですか?

そうそう。顔にも、言葉にも、仕草にも、いろんなところに出ます。50も過ぎるとね。
美しい人は利他の気持ちをもっていると思いますね。人のことを思いやる気持ちが姿にあらわれるんです。


◆ シングルマザー向けのマンションをつくりたい

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―――将来は、「シングルマザー向けのマンションを」という目標をおもちですが。

自分の子育てが終わったとき、本当に周囲に感謝したんですね。
親も親戚も近くにいて仲が良かったから、一緒に旅行に行ったり、抱っこしてもらったり、いざというときは預けたり。
そうやって、私はまわりの人に恵まれて子育てができたけれど、みんながそうではないですよね。

―――ほんとに。苦労をしながらのシングルマザーの方もたくさんいますよね。

たとえば2階はワンフロアにしてみんなで過ごせるとか、そんなふうに作ったらどうかな。楽しいでしょ。

―――いいですね~!  

私はどちらかというと、人にお招きされるより、自分のところに来てもらってお茶を飲んだり、おもてなしするほうが好きなんです。これも母譲りの性格かしら。

―――やっとご自分の子育てが終わったのに、人をサポートしたいと思えるのはすごいです。「利他」の気持ちともつながりますね。

子どもたちに淋しい思いをさせたくない、というのが一番の気持ちですね。

やっぱり、子どもは親の背中を見て育つんです。
躾も何もいらないの。そのまま親の真似をして育つから。
だから、子どもたちが淋しい思いをしないでいいように、お母さんたちがそれぞれ自分らしく生きられるように、応援したいなと思っています。

(おわり)

リラクルーム凛では
女性がいつまでも輝き続け
心の底から「自分は素敵なんだ」と思える場所を提供しています 👇
https://www.facebook.com/rirakuroomrin

編集後記

お話を聞くにつれ、柔らかな物腰の中に通っている強い芯に気づき、背筋が伸びる思いでした。中村さんは、人生を自分で切りひらいてこられたんですね。それも、利己的にではなく、いつも人のお手伝いをしたり、お役に立とうとして歩んでこられたことに感動します!  まさに美は利他の気持ちからですね。
猫ちゃんやお気に入りの動画のお話をしているときのかわいらしさにもきゅんきゅんしました♡ (イノウエ エミ)


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