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インタビュー:渡邉善治さん ~ ふらりと好きなほうへ

昨年還暦を迎えられた渡邉善治さんからインタビューのご依頼をいただき、驚きました。男性で、会社勤めをしておられ、しかも私よりやや年上の方からのご依頼はとても珍しいものですから。

一方で、どこか納得する気持ちもありました。私が渡邉さんと知り合ったのは5年ほど前、共通の友人が月に一度ひらいていた勉強会です。数か月に一度ふらりと現れ、女性やフリーランスの参加者が多い中にするっと入ってくる渡邉さんはちょっぴり異色の存在(いつも的確な発言で会を盛り上げてくれていましたよ)。
静かなたたずまいだけれど、きっと好奇心豊かな方なんじゃないかなと思っていたのです。

ご本人から「忌憚なく感じたままを綴ってください」とお墨付きをいただきましたので、僭越ながら遠慮なく質問し、書かせてもらいます! ちなみに私、渡邉さんの高校の後輩でもあります。

聞き手:イノウエ エミ (2022年2月上旬取材)

◆ 黎明期の高校へ

―――渡邉さんは、筑紫高校の大先輩にあたります。私は22期生、渡邉さんは‥‥。

4期です。

―――まだ学校の黎明期といってもいいですね。

ようやく体育館や校門ができて、学校らしい体裁が整ってきた時期ですね。

―――えっ、体育館もなかった? そんなことってあるんですね。

確か、計画より1年か2年前倒しで開校したんですよ。大牟田線沿いの人口増の受け皿としてね。
最初は、切り立った台上にポンと校舎だけが立っていて、本当に何もなくて。そんなところもおもしろかったんですが。

―――逆に、教室さえ作れば学校がひらけるということで、本質的なのかも。新しさ、まっさらさが魅力だったんでしょうか?

僕の場合はちょっと変わっていて、初代の校長先生を慕って入学したんです。

―――中学生が、高校の校長先生を? それはどういう‥‥。

従兄が一期生で、「ちょっと来てみるか?」と高校に連れて行ってくれたことがあったんですね。

―――それこそ、校門も体育館もない学校に。

そうそう(笑)。校内をまわっていると、校長室の窓がガラッと開いて「何してるんだ、おまえら」。初代の重松校長でした。
従兄が説明すると「そうか、ちょっと入って来い」と部屋の中に招き入れられて、話しているうちに「よし、おまえはぜひうちの高校に来い」と‥‥。

―――囲い込まれたんですね。

文字通り囲い込まれた(笑)。僕も中学生だったから舞い上がっちゃって、その場でこの高校に進学することを決めちゃいました(笑)。

―――ドラマチックなお話ですが、入学後にギャップはありませんでしたか?

まあ、とても厳しい学校でしたよね。当時は7時間授業に加えて朝の補講までありました。
でも、振り返ると良い時代でしたね。新設校特有の熱っぽい雰囲気の中にいたなと思います。
そうだ、修学旅行でスキーを始めたのもうちの学校だったんですよ。

―――知りませんでした。スキー教室、すごく楽しかった思い出です!

アイデアと実行力に優れた校長だったんでしょうね。話は長くて難しかったけど(笑)。

―――まさに「創・愛・健」ですね。

校訓「創・愛・健」

ただね、その校長は僕が2年に進級するときに辞められたんですよ。
まるで梯子を外されたようでした。高校の後半は、何をやっても気持ちが入らなかった。

―――心底から慕っておられたんですね~。

◆ オケと青春

西南学院大学管弦楽団第19回定期演奏会
(1981年12月5日)

―――西南学院大に進学されて、打ち込んだのは?

やっぱり、オケでしょう。

―――管弦楽団ですね。卒業後もずっと続けていらっしゃる。

いえいえ、今はぼちぼちですが。

―――大学時代、オケのように大人数の活動では、自然と役割のようなものがありませんでしたか? たとえば、リーダー格、参謀、ムードメーカー、縁の下の力持ち、宴会部長などなど‥‥。

うーん、それでいうと、僕は宴会部長でしょうか。そんな気がする(笑)。

―――あら。飲むのはお好きですか?

わいわい騒ぐのは好きだと思います。飲み会もよくやっていました。
そういう意味では、打ち込んだといっても運動部のようにストイックな感じじゃないですね。
ただ、部室や練習室にいる時間は長かった。
西南までは少し遠かったので、親友のいる芸工大の練習室も使わせてもらっていました。

―――すごく熱心じゃないですか。

まあ、練習もしますが、部室でだべったり、寝てしまったりね。で、終わったら近くに飲みに行って、終電を逃して歩いて帰るという。

―――大学生らしい、いい思い出だ~。楽器は何をされていたんでしたっけ。

コントラバスです。

―――とても大きな楽器ですよね。オーケストラの中ではどんな存在なんでしょうか?

ご存じのように低音楽器で、和声の基礎を作ったりテンポをコントロールしたりして、オーケストラを支えています。
例外はありますが、音符がたくさんある楽器ではなく、この間やった曲では最初の百何十小節はずっと休みでした(笑)。
でも、バスの音が入るところから音楽が大きく動いていくんです。
そんなふうに音楽全体をひっぱっていくことが多いです。

―――百小節以上! そんなに休んでいたら、入るときすごく緊張しそう。

上手な人は “ ここぞ ” というタイミングで入れるんですね。あれはセンスもあるんじゃないかな。僕はそういうのは下手です(笑)。

フィルムミュージックオーケストラ福岡
「ジョン・ウィリアムズコンサート2」 
(2021年12月26日)

◆ 1988年のソ連で「何もない」を得た


―――素朴な疑問ですが、違う楽器を担当したいと思ったりしないんですか?

僕の場合はないですね。

―――大学時代から今までずっと一筋。

いや、逆に僕はさほど楽器に執着がないんですよ。働きながら毎日のように練習している人はほんとにすごい。あの大きな楽器を取り出すだけでひと仕事ですからね。
僕は、演奏会の日取りが決まって、楽譜をもらってからやりだすタイプ。

―――では、演奏とは別のところに楽しみが?

そうですね、音楽の構成だとか音楽家のバックボーン、その国の文化などを探っていくのが好きです。

―――なるほど! 好きな作曲家を教えてほしいです。

やはりチャイコフスキーとシベリウスは外せませんね。「くるみ割り人形」なんてすごい曲だと思います。

―――ソチ五輪の閉会式で、ロシアには山のように名曲があるなと感じ入りました。

ありますね(笑)。いやほんとに。

―――そのつながりで、ロシア文学も読まれるんですね。

そうですね。ロシアは音楽も文学も演劇もバレエも名作ぞろい。政治や経済が良かった時代はほとんどないのに‥‥。不思議な国です。

―――渡邉さんは、ソ連時代に旅行されたことがあるとか。

1988年、ゴルバチョフ政権下。日本ではバブル景気のころです。
凄い経験でした。何もないんですよ(笑)。どこに行っても待たされるし、百貨店に行っても商品がほとんど陳列されていない。飛行機なんか、乗務員が客より先に降りるんですから。
でも、あの時代に触れることができたことは、僕の人生の宝ものです。

◆ 自己満足としての読書

―――ロシア文学はおもしろいですか?

おもしろさを理解できているかといわれれば、自信はないですね。ロシアという国に興味があるから、何とかその文化を紐解いて探ろうとしているだけで。
まあ、「罪と罰」なんか、あの分厚くてしかもわかりにくい文章を一生懸命読み通したぞという妙な達成感はあります(笑)。

―――数学の本もお好きで?

数学もできはしないんですが、数学の本は、読んでわかったときに爽快感があるんですよ。
読書って、一種の自己満足のような気もしますね。棚にずらっと並べた本を見て、「どうだ、これだけ読んだぞ」とちょっと悦に入ってるような。

―――渡邉さんの幅広い選書やSNSの投稿を拝見していると、物事を俯瞰されているなと感じます。オケの経験と俯瞰の力には関連があるんでしょうか? クラシック音楽は解釈や批評が欠かせないジャンルでしょうから。

うーん‥‥。達観する、俯瞰するというのは、もしかしたらコントラバスの人間に多い傾向かもしれませんね。さっき、最初の百何十小節か休みだったという話もしたように、曲によっては暇なんですよ(笑)。それでいて、オケ全体をリードする役割もあるので、自然と全体を見渡す癖がつくのかもしれません。

―――なるほど! とても興味深いです。物事を俯瞰できる・自然と俯瞰しているだけではなく、「俯瞰したい」という欲求のようなものはありますか? 

あると思いますね。

―――やっぱり。

そういう意味では、狡い人間なのかもしれません。俯瞰は綺麗な場所からするものですよね。

―――ご自身のことも俯瞰されているところに、渡邉さんの文学性を感じます。

◆ あこがれ

文芸部の同僚たち

―――書くほうもお好きなのかなと。文芸部の活動について投稿されていたのを拝見しましたが、我が母校に文芸部はなかったはず‥‥。

ははは、バレてましたか。実はあれは、筑紫丘高校の文芸部です。

―――ああ、そうだったんですね。

中学で仲の良かった奴がいたものですから。
2年のとき文化祭をちょっと覗いたら、そいつらが入部していて、これからまた盛り上げていこうという機運を感じて、気づいたら部員になっていました(笑)。

―――たまに、大学のサークルに違う学校の子がいることはありますが、高校ではなかなか珍しいような(笑)。
ともかく、高校時代から書くほうのキャリアも積まれていたんですね! 今でもマメにSNSに投稿されていて‥‥。

記録に残るし、整理しやすいからいいですね。身近な人の目に触れると思うと、それなりにきちんとした文章を書こうという気にもなりますし。

―――内省といいますか、内心を吐露されていることもあって、読みごたえがあります。

我ながら青臭いことを書いているなと思ったりしますが(笑)。

―――先ほど校長先生の話も出ましたが、SNSではピアニストの舘野泉さんや元横綱の栃錦関について時折書かれています。どんな人に惹かれるのか、共通点があったりするのでしょうか?

うーん。あえていえば、父性的な強さ? 意思を持つ人というところでしょうか。あくまで、僕の興味がある分野で、ですが。

―――物事を俯瞰されている一方で、巨星とでもいうような人に強い思い入れをお持ちなのが興味深いなと。

自分に欠けているものをもっている人たちなので、余計惹かれるのかもしれませんね。心の奥底ではそうありたいと思っているのかもしれない。

―――そうなんですね。ちょっと意外かも?

井上さんは僕よりずっと若いから、そうは見えないかも知れないけれど、僕は年上の人からは、きっと落ち着きがなくて、頼りなく見えていると思う。

―――まぁ。ご自分でもそう思われますか?

思います。純朴なんです、良くも悪くも(笑)。

ピアニスト舘野泉さんとファンクラブスタッフ

◆ あっというまに四十年

コントラバス会のオリジナルパーカー

―――私と渡邉さんのご縁は、とある私設勉強会ですね。どちらかといえば自営の方や女性の参加者が多い中、渡邉さんはお勤めの男性で。

早いもので、会社で働き始めて四十年近くになります。

―――四十年というと、一時代ですね。私の経験上、会社にはいわゆる体育会系的なところがあると思うのですが‥‥。

ありますね(笑)。

―――そして、渡邉さんには、体育会系的なところがないような。

ないですね(笑)。

―――となると、空気になじまないというか、なかなか大変なことも‥‥?

ま、「そんなもんだ」と思ってきた感じかな。
それに、会社で働いていればどうしたって追い込まれる場面があります。そんなときはみんなきつい思いをしているでしょう、体育会系の人間かどうかにかかわらず。
‥‥とはいえ、僕はストレス耐性はあまり強くないタイプでね。

―――どのように乗り切ってこられたのでしょうか?

乗り切ってきたのかどうか、難しいですね(笑)。
ひとつは、やっぱり公私にラインを引くことですかね。仕事がきついときも、プライベートのほうはまぁ、楽しいことのほうが多いから。半分、演じているような部分もあるかもしれない。

―――モードを変えて。

ギアチェンジしているというかね。ただ、やりすぎは禁物ですね。こっちと向こうの行き来に幅がありすぎると、それもまたきついんですよ(笑)。

◆ 敷居の低い人間です

大船山から眺める九重連山


―――渡邉さんといえば「趣味の人」というイメージがあります。QOLが高い人生

そんなにたいそうじゃないですよ(笑)。オケに関しては、幸いずっと福岡在住で、続けられる環境にあったのが大きいです。

―――登山は? 40歳を過ぎて本格的に始めたと知り、驚きました。

面倒くさがりなので、シンプルに遊べていいんですよ。

―――登山ってシンプルな趣味でしょうか(笑)。

オケに比べると、ほとんど自分の都合で動けますからね。
自然のすばらしさに触れて、頭を空っぽにできるのが好きです。

―――空っぽになる前には、道具や準備が必要ですが‥‥。それに体力も。

もちろん事故がないよう気を使っていますが、大半は行き慣れた山ですから。体力の限界に挑むようなすごい山には登らないので、そんなにしんどい思いはしません。

―――雨に打たれたり、寒かったり暑かったり‥‥。

基本的には、相手が自然なのでそのまま受け入れています。最初のころ、雨に打たれて酷い目にあって、これは装備をちゃんと整えないと駄目だなとは思いましたね。

―――なるほど。雨に打たれても「もうこりごり」じゃなく「装備を整えよう」と思う人が山登りを続けるんですね(笑)。

オケも山も、僕のフィーリングに合っているんでしょうね。

―――漠然としたことを尋ねますが、ご自分の長所はどんなところだと思われます?

ええ? 難しいですね。
今日話していてあらためて思ったのは、僕は管理、干渉されるのが嫌いなんだなと。
裏を返せば、あまり枠にとらわれないんじゃないでしょうか。
違う大学に入り浸って楽器の練習をして、違う高校の文芸部に入り‥‥。僕を筑紫高校の生徒だと知らない部員もいたようです(笑)。

―――女性が多い勉強会にも、一人ですっと入って来て。

好きな方向にふらっと向かう性質があるんでしょうね。敷居が低い人間なのかなと思います。

―――これからのことは考えておられますか。

あんまり考えてませんが、やっぱり好きなことをするんじゃないかと。いずれ会社を卒業すれば、またひとつ、枠が外れて自由になるのかな。

―――そうだ、ご自身で楽天的だとも言われてましたよね。

なんとかなると思っています(笑)。

―――そうですね、なると思います!

(おわり)

編集後記

フットワークの軽さは存じていましたが、今回インタビューのご依頼をいただき、さらに「忖度せず、自由に書いてくださいね」と念を押され、あらためて渡邉さんの好奇心に興味がわきました。

SNSを拝見していると、ときどき含羞とともに自己開示のような文章を書かれていて、文学青年のような趣も感じます。インタビュー中はさらにナイーブな部分もお話されていて、ちょっと驚きました。

父性とか、大いなるもの。それは渡邉さんにとって「自分に欠けているもの」であり、そんな対象にあこがれ、興味を抱いて、足を運び、人と出会い、本を読んで‥‥そうやって、今の渡邉さんがあるのだなあと。やっぱり、好奇心の人ですね(最後まで、生意気に書かせていただきました!)。 
(イノウエ エミ)


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