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入学式でうまく笑えなかった私に、今伝えたいこと(青山学院大学新聞)

春といえば、入学式に新生活といった「はじまり」を連想させる季節。
いつだって新しいはじまりはワクワクするし、胸が躍るもの・・・
だけど、
みんながみんな、ポジティブな気持ちを抱いているわけではない。

私のこの不安は、どこに行くのだろう。

大学3年生になった私が、
当時こんなことを思っていた入学式前の私に会えるとしたら、
こんな言葉をかけてあげたい。

不安な思いも、たいせつな自分の気持ち。
読んでくれた人へ小さなエールを送ります。


2021年4月、新入生に宛てたコラム


二年前の今日は、少し肌寒く、それでいて春の匂いが鼻をかすめる、そんな日だった。
桜が舞う校門前には、写真撮影の列ができていた。
カメラを向けられた新入生は、皆笑顔で輝いて見えた。

かく言う私も、フレッシュな新入生の一員として門をくぐっていた。
他の新入生には何故か既に友人がいて、私だけが一人だと錯覚した。

最初が肝心だからと、受験結果への苦い思いは胸の奥深くに押し込み、
友達作りに励まねばと意気込んだ。

結局誰とも言葉を交わせないまま、講堂に足を踏み入れた。
途端、前に倣って席を詰めるよう誘導された。

待って、まだ心の準備ができてない。

心が叫ぶのと同時に、体が会場の外へ出向いていた。

深呼吸をし、頭の中で何度も練習する。
席に着いたら隣の子に話しかけよう。

運が良かったのだと思う。
私が話しかけた子は明るくて、式が始まる頃には周りと談笑していた。
讃美歌なんか歌えないよね、なんて笑い合った記憶がある。

けれども、たかが一つ不安が消えただけ。
仕舞い込んでいたはずの苦い思いが、
顔を覗かせていた。

ヨハネによる福音書15章16節より。


「あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだ」

これは宗教部長からの祝辞の引用である。
各々の思いがあっても、
神様がここ青山学院大学へあなたを導いたとおっしゃっていた。


ならば、苦い思いにこだわるより
神様と、このご縁を信じてみたいと思った。

新歓のビラを一枚ももらえなくても、
こうして居場所がある。
入学式で話しかけたあの子は今も一番の親友だ。

ほんの少し先に入学した青学生から新入生のみなさんへ、
思い出話と共に、お祝いの気持ちを込めて。

(青学新聞第349号4月号より)

それからの話


このコラムを掲載した新聞を読んでくださったOBの方から、
感想を記したハガキをいただきました。

「自分の入学式を思い出した」と。

新入生だけではなくて、
同じ経験をされた方にも届いていたようで嬉しく思いました。

不安になっていた自分を
いつか愛おしいと思える日が来たらと思っています。

(青山学院大学新聞編集委員会 白鳥礼珠)



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