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【往復書簡 エッセイNo.14】スターゲイザー

うららちゃん、こんにちは!

お父さんのケアで連日忙しい日々を送っている様子が伝わってきました。うららちゃんの家族の日々のできごともあるだろうし、疲れがたまっていないか、按じています。
どうか、休める時はココロもカラダもいたわってね。

今回は、急に旅立ってしまった伯母のお話をお届けします。
なぜか、今回のエッセイを書く間、高校時代にうららちゃんが推しだったスピッツの曲をかけていたの。とても心地よかった。


スターゲイザー

80代はじめの父と今年80歳になる母。人生100年時代なんて言われるけれど、80年生きるって結構すごいことだなと最近つくづく思う。

とはいえ、二人とも確実に年老いてきており、それぞれの故郷を訪ねる旅をしなければと、昨年あたりから繰り返し思っていた。しかし、父の故郷は青森、母の故郷は栃木と、冬は寒い地域のため、行くことができる時期は限られ、なかなか計画が立たないまま、時間だけが過ぎていった。

移住先で楽しく忘年会をしていた昨年末、母からの電話。涙声。何かあったと心臓がどきんとする。

「山形の伯父さんが亡くなったって。」

忘年会でほろ酔いになっていたけれど、店の外に出て冬の空気に触れて、母の涙声で一気に酔いは醒めた。「そうかぁ。」見上げると澄んだ夜空には星がきらきら輝いていた。
伯父が闘病していたのは分かっていたし、毎年秋になると庄内柿を送ってくれて、今年が最後の柿になるかもしれない、とここ数年は思っていた。だから、どこかで覚悟はしていたけれど、会いたかったし、会って今までのお礼を伝えたかった。大好きだった伯父さん。

折しも日本海側に寒波が襲い、父も母も葬儀に行きたい気持ちはあっても、たどり着ける自信はないと、電話口で母が言う。父にとっては実兄であり一番行きたかったと思うが、一年前の年末に心不全で救急搬送されてからは、特に寒さが苦手になってしまった。青森という生粋の雪国生まれなのに。でもその怖さも理解できる。お別れに会えず、遠いところから祈るしかできない気持ちを考えると両親の辛さが沁みたが、伯父さんにはいつかちゃんと会いに行こうと、母に伝えた。

春が過ぎ、両親を連れて、父の故郷である青森と、山形に眠る伯父さんに会いに行こうと決心し、二十数年ぶりという旅の計画を立て始めた。6月末に出かけることが決まり、両親も現在、体調管理に励みながら、出発の日を楽しみにしている。

そして、5月30日夕方。母からの電話。「今どこ?」涙声。「どうしたの?」
伯父さんの妻、つまり伯母さんが急逝したと言う。私は山形に向かう電車の時間が決まったので、いとこである伯父、伯母の娘さんにメールをしたばかりだった。言葉を失ったが、母が動揺しているので、冷静にならなくてはと思い直して会話を続けた。

伯母は普段と変わることなく、お昼を食べてひと休みしていて、そろそろコロナワクチンの接種をしに行こうと息子さんが声をかけに行ったところ、ぐったりしていたと言う。大動脈解離により救急搬送され、その後数時間して旅立たれた。

「あと数日で会いに行けると思っていたのに、こんなことが起きるなんて、人生って何なんだろう。」と母が嘆く。滅多に泣かない父が声を上げて泣いたと聞いて、さすがに我慢できず泣けてきた。

寒空で星を見つめたあの夜から季節は変わり、夜空には天の川も見えるようになってきた。

伯父さん、伯母さん、父と母を連れてもう少しで会いに行くよ。時を戻すことはできないけれど、永遠の時間になりますように。

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