見出し画像

【往復書簡エッセイ No.4】うなぎでピンシャキ

うららちゃん、こんにちは!

天丼と栗きんとんのお話、(お父さんであろう)ポチっとされた方の高揚感が愛おしく、食べたかったんだよぉ!という小さなつぶやきが聞こえてきそうでした。

「食べることは生きること。」どこかのCMから聞こえてきそうだけど、年齢を重ねてなお、「食べたい。」と思えることは元気に直結しているのかもしれないですね。

今回は、そんな「食欲」が「体力」を超えた父の話など。


うなぎでピンシャキ

2021年の暮れに心不全で救急搬送された父。コロナ禍で面会することも叶わず、携帯は母しか使っていないため、毎日病院に電話して、看護師さんを通じて体調を確認するのが精いっぱいだった。

年末年始に急きょ実家に帰って、救急搬送でつくりが中途半端になったと母が嘆く煮しめや、少し気の抜けたおせち料理をつまんで、父に何かできることはないかと考えてみた。
きっとICU(集中治療室)に入って、新年が訪れたこともよく分かっていないのではないかと思ったからだ。

そこで、私が帰省する時の飛行機で、機内から撮った富士山や、ささやかな家の正月飾りなど、正月らしさが感じられる写真を、元旦から開いているプリントショップに行き、紙焼きにして、手紙を書いた。病院に持参し、受付に預けて帰るだけの1月2日。じっとしていると悶々としそうなので、動いていた方が気持ちも落ち着いた。

父が退院したのは1月半ばだったが、私は三が日が終わると一度実家を離れたので、次に帰省するのは退院の立ち合いだった。母に聞けば、病院に行くと父からの手紙も受け取り、次第に元気になってきているという。

そしていよいよ退院の日。
思ったよりも歩いているし、顔色はあまりよくないけれど、なんとかなりそうだと安堵した。

帰宅して疲れたのか、父はそのまま長い時間寝てしまい、気が付けば夜。
さて食は細くなったのだろうか、と心配を感づかれないように「入院中、少しは食べたの?」と聞いてみる。すると「実は1月1日には食事できたんだよ。」と父。「おもちはさすがに出ないけど、ちょっとした正月気分。完食したよ。」と続ける。「はい?」
私が一生懸命こさえた写真や、めったに書かない父への手紙より、正月を祝う食事が出ていたとは!というか、それを美味しく食べたんかい!

「それはよかったよ。ほんとうによかった。」私は自分に言い聞かせるように、父の無邪気さを心のなかにぎゅうっとしまい込むように、大笑いしながら言った。

そして7月初旬。私が都心に出張となり、母を通じて父に都心まで来てみないかと提案した。心不全になり、父は遠出するのが怖いと言うようになったが、ここで気持ちが萎縮してしまっては、なんだか内向きになってしまうと思ったからだ。

そこで考えたのが「うなぎ」。
銀座の老舗のうなぎを食べないかと誘ったのだ。

母から半ば呆れ気味に「やれ寒いから窓を閉めろとか、散歩は心配だから行かないと言ってたくせに、うなぎと聞いたら「それはいいねぇ。」と、ころっと態度が変わりました。」とLINEが送られてきた。現金だわぁ、父。

私だってめったに行かない銀座のうなぎやで、父は目をきらきらさせてうな重を頬張る。
「美味しいねぇ。美味しい。」もう少しゆっくり食べてもいいんじゃないかと思うほど、いつもよりペースが速い父の食べっぷりに、こちらが圧倒される。

「食べたい」という欲がなくなったらおしまい。食べられるうちに食べておく、というのは動物の本能だと以前聞いたことがあったっけ。

父の本能に一瞬スイッチが入ったなら、それはそれでよしとしよう。
初夏、「うなぎでピンシャキ」の日。

(ちなみに、その後は、散歩をおっくうがったりして「相変わらず。」と母より。やれやれ。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?