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カリフォルニア・コネクション

「これは何ですか?」
「マッシュポテトとグレイビーソース」

「これは何ですか?」
「セロリとピーナツバター」

その日の食卓は、深い謎に包まれていた。言いたいことは山ほどあったけど、知っている言葉といえば「これは何ですか?」だけ。仕方ない、ここはだんまりだ。僕は見たこともない食べ物がずらりと並べられたパズルのような食事の時間を、うまいことやり過ごす方法ばかり考えていた。

小さい頃住んでいた東海村には、外国人の家族が住んでいる小さな地区があって、僕らはみんな「外人住宅」と呼んでいた。日本で最初に原子力研究所が建てられたこの村は、今考えるとなんだか不思議な場所だった。「僕のなつやすみ」みたいなのどかな風景が広がる向こう側に、原子力関連施設のサイバーで最先端の施設が立ち並んでいる。そうした施設の研究員としてアメリカ、カナダ、フランスなど世界中から優秀な研究者が集められ、彼らとその家族が住んでいたのが「外人住宅」地区だった。

「外人住宅」は、ほとんどパラレルワールドだった。塀や垣根がどこにも見当たらない広大な敷地には美しい芝生が切れ目なく広がり、大きくて真っ白な平屋の住宅がぜいたくな距離感で立ち並んでいる。広場では毎日のようにストリートバスケが行われていて、ライオネル・リッチーのような髪型の大男が変幻自在に動きまわり、テニスコートではマイク・マイヤーズみたいなコーチが木製ラケットにヘアバンドをつけてボルグを気取っているのだった。イースターにはカラフルなタマゴがあちこちに並べられていたし、クリスマスにはすべての家に見たこともないような大きなツリーが飾られていた。そこはまるで「映画のスクリーンの向こう側」みたいな世界だった。6歳の時、僕の一家はその地区の一番奥にある一画に引っ越すことになった。それから毎日「パラレルワールド」を通って小学校に通った。

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時々、ケビンとアリソンという小さな兄弟が住んでいた家に遊びに行かされた。「グローバルな人になりなさい」という母親の無言の圧力だ。ランニングシャツと黄色い通学帽でザリガニ釣りを嗜む無邪気なイナカ少年だった僕にとって、パラレルワールド内へのリアル・ツアーは、何度体験しても慣れることがなかった。

ケビンの家に遊び行くときは、いつも襟の大きな赤いチェックのシャツにデニムのベスト、そしてデニムのフレアパンツを着ていった。きっと母親の中では最高にアメリカンなスタイルだったのだ。玄関を開けるとふかふかの絨毯が隙間なく敷いてあり、家中のドアが開けっ放しで、レンジで作るポップコーンのバターの匂いが一日中漂っていた。スペーシーなデザインのダイニングチェアとペンダントライト、冷蔵庫には家族の写真とメモがびっしりと貼ってあった。リビングの陽当たりは最高で、ダックスフンドのケリーがいつも窓際で居眠りをしていた。

「ねえ、これ、あげるよ」。マシュマロにチョコレートクッキー、ホットチョコレートにコーラ。ケビンは甘いものを持ってきては、僕を熱心に遊びに誘うのだった。「いらない」。強がる僕。「みんなで食べなさい」と母親に持たされたおやつは、茨城名産の「乾燥いも」。見た目も甘さも完敗だった。ケビンがくれた手のひらより大きなマシュマロはちっとも美味しくなかったけれど、それが入っていたカラフルなパッケージに僕は夢中になった。

ケビンは僕が欲しかったものを、何もかも持っていた。ローラースケートはブーツ型だったし、赤と青の3Dメガネも持っていて、自家製ポテトチップスはびっくりするほど美味しかった。なにより兄貴が乗っていたデコトラみたいな6段変速が世界で一番クールだと思っていた僕にとって、ハンドルがぐにゃりと曲がったコンパクトなKUWAHARA製のBMXは衝撃的だった。かっこよすぎる。

そうか、アメリカはきっと最高にかっこいい国なんだ。体もでかい、家もでかい、肉もでかいし、声もでかい。なんでもでかい。なんだかわからないけど、全部かっこいい。「外人住宅」の暮らしは、その頃の僕にとって世界中で一番幸せな生活みたいに思えたのだ。まるで、未来の暮らしだ。そして僕は、アメリカを大好きになった。行ったこともないのに。

僕の唯一の武器は、LSIゲームの「ミサイルインベーダー」だった。カードみたいに小さな画面の中でピコピコと華麗にインベーダーを倒す僕を、ケビンがうらやましそうに覗き込む。僕は無言で、ケビンを右のボタンの操作係に任命する。それ以外、僕たちは、ほとんど言葉を交わさなかった。

やがて2人とも甘いものを欲しがらなくなり、ミサイルインベーダーにもすっかり飽きた頃、僕はケビンの家に遊びに行かなくなった。

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高学年になると、外国人の家族たちは役目を終えて、次々と帰国していった。すっかり人の気配がなくなった「外人住宅」は、素早くモダンな団地へと作り変えられた。もうアメリカよりも「すすめ!パイレーツ」や「ハイスクール奇面組」に夢中だった僕は、その過程をほとんど覚えていない。それから少し経って、映画「E.T.」が公開された。大画面に映しだされるエリオットの街は、まるで外人住宅そのままだった。それでも僕は、ケビンのことなんて、すっかり忘れていた。

僕が高校生になる頃には、毎日原チャリで通り過ぎる近所の農道沿いの自動販売機の「メローイエロー」と「ゲータレード」だけが、残された唯一のアメリカの匂いだった。

20年以上経って、僕は南カリフォルニアにいた。初めてのアメリカ取材で、緊張しながらローカルサーファーの部屋に足を踏み入れた時、突然記憶がフラッシュバックしたのだった。ふかふかの絨毯と開けっ放しのドア、バターの甘い匂いと、陽当たりのいいリビング。初めて訪れたカリフォルニアの知らないだれかの家を、なぜだかわからないけれど、涙が出るほど懐かしく感じたのだった。そこが「自分の場所」みたいに。ああ、そうか。その時になってようやく、自分がアメリカを好きになった理由をはっきりと思い出した。苦手だったグレイビーソースも、甘すぎるホットチョコレートも、得意げなケビンの顔も。小さい頃にあんなに憧れた世界中で一番幸せな生活は、僕がずっと探していたあの場所は、本当にあったんだ。遠い記憶の中の「外人住宅」は、「グッド・オールド・デイズ」なんかじゃなくて、僕にとって、永遠に憧れ続ける「未来」だったんだ。

それ以来、幾度となくアメリカを取材しているけれど、「セロリとピーナツバター」はいまも食べられないままだ。

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