サンプリングと細部が気になる人2
東京都現代美術館に行ってきた。高橋龍太郎コレクション。
90年代以降の現代アートも多く、僕の好きな感じだった。
特に00年代以降の現代アートは大衆カルチャーや社会問題とわかりやすく接続する表現が多い気がして、親しみ易いと勝手に思っている。アートに対する造詣が無いので、語ることへの負目が凄いが感想を書く。
日本の作家に絞った展示だったので、作品を通して日本人や日本の性質について考える時間が多かった。僕が思ったのは、日本人のもつ細部へのこだわりとサンプリング精神である。
最近細部が気になる人について考えていたので、思考が引っ張られている感は否めないが、細部にこだわる作品が目についた。まぁ細部にこだわって無い作品などないのだろうが。細部ってあまりに乱暴な抽象化で、言語化は難しい。
頑張って言うと、2パターン。1つは作品のデザインに対して、意味をもたせる最小単位が小さいこと。もう1つはデザインを細かくすること自体に意味をもたせること。
あとサンプリング精神の件。既存楽曲の特定パートを切り取って、コラージュする、サンプリングという音楽の方法論が好きなのだが、これと似た鑑賞感があった。
ここでも大きく2つの見方を覚えた。1つは西洋的な文脈に日本的な記号を融合して、新しい意味をもたせるパターン。もう1つは日本の古典的、ないし近代史的な文脈にポップカルチャー的なデザインを融合して、新しい意味をもたせるパターン。
まぁこの意見のほとんどは村上隆や山口晃のイメージに引っ張られているのかもれない。ただ千葉和成という作家はダンテの戯画を現代のキャラクターで置き換えていたし、小谷元彦のサーフエンジェルというモニュメントは、サモトラのニケに、タイタニックやサーフィンそして福島の震災という文脈を大胆に混ぜていた。作品を横断したサンプリング感はたしかにあった。
展示品の全てを提供した高橋龍太郎さんは、アートを介して日本をどう見ていたんだろうか。
細部へのこだわりとサンプリングは個人的にかなり典型的な日本人像だと考えている。あまりに普通すぎるイメージで、あとふた捻りくらい深い解釈を垂れ流したいものである。
ところで国産ITのデザインはこれらのアートから感じた美点があまり反映されていない虚しさがある。米国中国と比較した時の劣後が大きい。サンプリングも下手くそだし、細部のこだわりも圧倒的に負けている。これに関しては別のところで考えたい。