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思い込みからのすれ違い

東京出張中。
展示会に自社として初出展。
来場者だけではなく他出展者とも交流を図る。
大型の展示会とは違うので、まだほとんど世に出ていないベンチャーなどこれから頑張ります的な企業が多い。
とはいえ、何でも売りまっせ的なおじさんたち3人がマッサージチェア売っていたり、苦いサプリメントを飲ませてくれるブースがあったり、VRでかめはめ派が打てる的なブースがあったり、非常に1日楽しめた。
ただ参加者ではなく出展者なので楽しいだけではなく結果に繋げなければならないですね。。

昨夜は、その展示会に参加したメンバーで食事会。
参加者の1人は今50代。20代のころ勤めていた会社が全国に支店がある公益財団法人という。

「全国に行ったので本当に県民性ってあるよね、例えば飲食店でいうと東京は値段を出せば値段に応じた食事が出てくる、大阪は値段を出さなくてもとんでもなく美味しいものが出てくることがあるがハズレもある、愛知は甘辛く味付すれば何でもOKみたいな店が多い。あと愛知は排他的だね、他地域のチェーン店は流行らない」

へえーまあ20年くらい前の話なので時代は変わっていると思うが何となく分かる。
愛知って排他的というのは何となく聞いたことがあったけど自分は愛知に住んでいるだけあってそんなことを感じたことはない、まあそりゃそうか。

この方がその公益法人を退職してからの変遷は以前聞いていた。
退職したのも
「やっていることは面白かったが経営が全店的にうまくいっていなくてね、給料の遅延などあり、子供が小さかったこともあり転職した」
と聞いていた。
他の話をいろいろしていると宗教の話になる。

「実はさっき話した企業を退職した理由に改宗して洗礼をうけなきゃダメだと言われたことがあったんだよね」

へえー初めて聞いた。
「形だけする、という人もいたけど自分は中途半端が嫌いだから辞めたというのもある」
その法人はある一定の役職になるには改宗しなければならないといったルールがあったらしい。それはそもそもその企業の理念がある宗教の考えから来ていることからだという。

昨日の朝、ある人と打ち合わせを行った。
社長の考えが好きで会社に入社したが最近その考えが分からなくなった、そんなような相談を受けた。

企業というのは一種の宗教であるということもできると思う。
会社が掲げたビジョンや理念を基に利益を得て、社会に貢献していくというのは会社や社長の考えを信じていくという事。
宗教の事は全然詳しくないがある絶対的なものがあり、その絶対的なものに基づいて行動していくということなのかな。
会社は社長が言う事に対して異を唱えてはいけない、ということはないと思う。
違う意見があったら違うと言ってよいと思う。
しかし、意見が通ることばかりでは当然ない。
自分の意見とは反することもある。
むしろ意見が通らないことの方が多い。
それでも会社や社長を信頼できるかどうか。

「ある人」よ、昨日聞いた話から推測すると、社長の気持ちを「こう思っているんじゃないか」というような思い込みがほとんどである。
本当にそうかもしれないけどそうじゃないかもしれない。
確認する他ないよ、確認した上で進むべき道を考えればよい。
その会社に就職したからといって改宗したわけではないのだから。

でも、「ある人」よ、社長のこと、スキでしょ?
自分から話をしに行こうね。

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