これからは「対話」が大事と講師がいうが理解が追い付かない私【前編】
昨日の夜は参加している協会のセミナーに参加。
今回のテーマはメンタリングマインド。
この講師の講義は非常に学びが深く毎回楽しみにしている。
冒頭、講師が言う。
「世界は変わった、そしてこれからも変わり続けていく、正解にもはや価値は無い」
なかなか哲学的なスタート。
これに関して私も同意。
AIの発展、仮想空間の進化、国家の基本となる通貨でさえ価値が不透明になる中で過去の事例から導かれる「正解」というのは価値が無くなっていくだろう。
講師は続ける。
「会話、対話、議論、この違いは分かるかな?」
会話は普段の言葉のやり取り、対話は面談のようなもの、議論は意見を対立させる、ってところかな。
「会話(トーク)‥交流する、議論(ディスカッション)‥合意する(何かを決める)、ここまではいいだろう、対話(ダイアログ)は他者のことを探求するということだ、これからは対話の重要性が増してくる」
うんうん、つまり他者のことを理解するって大事だよね。
ここまでも大丈夫。
「対話をするには心理的安全性が必須。心理的安全性があったうえで対話の達人になるには以下の事を気をつけなければならない」
「相手を尊重する思いを忘れるな!」
「どんな時も人として対等であると思え」
「知ったかぶりをしてはいけない」
「ノージャッジの姿勢で臨め!」
「分かったつもりになるな」
うんうん、そうですね対等ね、そこで判断するなってことね。
講師が続ける。
「皆さんの周りに要するに〇〇ですよね?ってよく言っている人いませんか?この口癖、コンサルタントに非常に多い。コンサルの人たちは頭がいいねと言われるが好きな人種です、なあしみずくん笑」
来ました、名指しイジリです。
この先生とは2年くらいの仲なので皆の前でいじられても私は大丈夫だがなかなかのストレートな表現。
でもそれはその通り。
「要するに〇〇ですよね?つまりこう言う事ですよね?」
よく使う。
これは私がこの言葉をよく使っている理由は3つ。
①相手の言葉を自分自身が理解しやすいようにするため
②相手が言語化できないニュアンスを自分なりにアシストしてあげるため
③周りの人に伝える際に齟齬があってはいけないので確認のため
至極最もな感じがしているなあ。
他受講者が講師に質問する。
「分かったつもりになるなと先生がおっしゃりましたけど、話をしていて承認欲求が強い子なんか何で分かってくれないの?という感情になることがよくあり、分かったよ分かったよという雰囲気を分かってなくても出すことによって相手との関係もよくなるケースが多いのですがそういうことではないのでしょうか?」
そうそうそう、私もこの意見。
質問したのはケーキ屋さんのオーナー。
日々若いスタッフとバチバチやりながら経営しているんだという話を聴いたことがある。
講師は言う。
「話し方も流暢力、語彙力も豊富、このような人が自分の感情をどれくらい正しく表現できるのかというと30%くらいであると言われている。とすると70%はその言葉とは違う感情なのである。言葉だけを聞いて分かったつもりになるというのは非常に危険なのである。その本人ですら自分の感情を正しく理解できていないのである。結局のところ、相手を理解するということは到底無理なことであるということを対話では念頭に置いた方が良い」
おおう、これは分かるが…でどうすれば良いの?
という対話が出来ない代表的な仕事に就いている私は思う。
明日へ続く。
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