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「なりたい姿」なのか「ならなければならないと思っている姿」なのか

おはようございます。
本日は昨日から明日の夜までの2泊3日、東京に出張で来ております。

以前記事にもしたことがありますが、私の関東出張の決め方はまず「誰と夕食を食べるのか」、そこから決めます。
「出張行っても夜飲み歩いているだけなんじゃないですか?」
その通りです。
飲みに行くために出張です。
打ち合わせは入れていますが、別にズームで出来ます。

という事で夜、会食へ。
19時から会食開始予定だったが、その相手の1人と先に2人で少し飲むことに。
お相手は、ある介護施設の施設長をやっている方。
「昨年はコロナ対応で本当に大変でした」
その方の施設は入所施設でクラスターが発生したとのこと。
「職員さんの工面、大変だったでしょう?」
「そうですね、早番やって遅番もやってそのまま泊まってまた早番みたいな連勤を自分が1ヶ月くらい続けていたような気がしますね」

それは大変だ、ただ日本全国このような施設が多かったのではないだろうか。
そこからあれやこれや、会社や職員への愚痴を吐露する彼。
言葉遣いが非常に丁寧ではあるが溜まっているねー。

もう一人合流してからも話は続く。
「しみずさんって話を聞いてもらいたい!と思う時ってあるんですか?」
「うーん、あんまりないのかもしれない」
「自分はどうしても話を聞いてもらいたい!ってなる時あるんですよね」
いろいろうまくいかない時、嫌なことがあった時、話を聞いてもらいたいとなる人は多いと思う。

その人の心理を考えて見る。
「聞いて聞いて、こんなことあったんだよ」
と伝えた後、
相手から
「大変だったね」
という承認の言葉を欲しいことが多いのだろう。
多くの人が解決を望んでいるのではない。
聞いて欲しい、そして承認してほしい、という事だろう。
すぐに解決したがる私はまだまだ傾聴力が足りないが、意識するようにはしている。

とりあえず聴く、受け止める、大事。

彼の話を分析する。
「職員さんから言われました。施設長が全部自分でやってしまうので他職員が甘えて育たないんですよって。自分でも分かっているつもりなんですが、任せたら任せたで負担が大きいとか不満を陰で言われたりするし…でも施設長は業績を最優先に考えなければならないので自分でやるしかないんですよね…」

「なりたい姿」と「現在の自分」のギャップ、ここをどう埋めていくのかが「成長」である。

この施設長に伝えたこと。

「「なりたい姿」なのか「ならなければならないと思っている姿」なのかじゃない?」施設長たるもの、こうならなければならない、という姿を自分の中で強く印象付けている。悪いことばかりではない。そうやって成長はしていくからね。しかし、どんどんその偶像に近づこうとするがあまり、自分自身の個性や大切にしたい軸がすり減っていく。「自分」を消すために、何枚も何枚も服を着重ねる。
服を脱げ。
自分の大切にしたい家族、仲間、そして信念に裸で向き合ってみたらどうだい。批判する人も出てくるだろう、会社からは怒られるだろう、ただ、所詮他人や他人の思想なのだ。気にするな。気にしている時間はもったいないぞ!自分の大切にしているものがあれば、どこでも何でもできるはず。自分の一番近くの人たちを幸せに出来ない人が、少し遠い他人を幸せにできるはずはない。自分の一番近くの人たちを幸せに出来る人は自分を大切にしている人だと思う。そのために裸の自分を大切にしよう。」

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