【コンサル物語】20世紀初頭(1900年〜1920年代)のBig4コンサルティング事情②(ルーツとなる会計事務所の発展)
1913年に最後発のアーサー・アンダーセンがシカゴに会計事務所を開設したことで、100年後の21世紀にBig4と呼ばれるコンサルティング会社のルーツとなる会計事務所がアメリカに出揃ったことになります。これらの会計事務所は本業の監査業務の増加に加えて、税務顧問、財務調査サービス、原価計算等の会計・財務アドバイザーといったコンサルティング業務の仕事も手広く始めました。当時の企業を取り巻く背景や各社の成長の歴史を見ていきたいと思います。
主にニューヨークやシカゴから事業を始めたBig4のルーツとなる各社は、アメリカの地方都市の会計事務所の買収や業務提携で拡大していきました。
20世紀初頭に盛んに行われた企業の合併運動の後、各業界では大企業が支配する経済構造が出来上がりました。例えば名の知れた所では、スタンダード・オイル(ロックフェラーの会社、石油業)、グッドイヤー(ゴム)、USスティール(鉄鋼業)、GE(電機メーカー)、ナショナル・ビスケット(現ナビスコ)、デュポン、アメリカン・タバコなどの大企業です。
当時会計士業界のリーダーであったプライス・ウォーターハウスなどは、これら大企業の多くを顧客として持つために事務所の規模を拡大する必要がありました。アメリカでの大企業の誕生が会計事務所の成長を促したと言えます。プライス・ウォーターハウスの社史にはそのことが記されています。
大企業の誕生によるもう一つの興味深い点は、経営コンサルティングに対する新たな需要が生まれたことでした。
大企業のような巨大な組織を適切に運営するための方法がビジネス上の重要な問題点として認知されるようになりました。従来のように本社だけで巨大な組織を運営するのではうまく行かず、事業部門のトップに権限をすべて与え、会社の上層部はより広い観点で事業を考えて部門を監督するという方法が、いくつかの大企業で実践されるようになりました。
さて、下の表は1920年代におけるBig4のルーツ各社とブーズ・アレン・ハミルトン、マッキンゼー・アンド・カンパニーのアメリカ国内での事務所数とパートナー数です。パートナーとは事務所の共同経営者のことです。事務所の資本は各パートナーからの出資で成り立ち、コンサルティングファームや会計事務所はこの会社形態を取ることが多くなっています。事業拡大に合わせパートナー数も増えていくと考えて差し支えないでしょう。
1920年代における各社の事務所数・パートナー数(アメリカ国内)
上記からも分かるようにBig4のルーツ各社はアメリカ国内でどんどん事業を拡大したことが分かります。
ちなみに、当時すでに設立されていたブーズ・アレン・ハミルトンやマッキンゼー・アンド・カンパニーはまだまだ小さな会社でした。
ブーズ・アレン・ハミルトンの場合、1914年に事業を始めてから1930年時点で、創業者のエドウィン・ブーズ以外の従業員は3人しかいませんでした。(1930年代の事業拡大により35年には従業員も総勢11人になり、ニューヨークに初めて支社を設立)
マッキンゼーも1926年にシカゴに事務所を設立し、1930年時点でパートナーのA・トム・カーニーと従業員15人で事務所を運営していました。(1932年に2番目のオフィスをニューヨークに構え、1936年には従業員も25人を超えた)
1920年代のコンサルティング業界では、ブーズ・アレン・ハミルトンやマッキンゼー・アンド・カンパニーといった後の巨大戦略コンサルティング会社は、わずか数人の社員でシカゴでのみビジネスをしている状態でした。一方でBig4コンサルティングのルーツ各社はアメリカの主要都市に事務所を構え大企業相手にビジネスを展開していました。会計事務所が圧倒していた時代であり、ブーズ・アレン・ハミルトンやマッキンゼーもいつ淘汰されてもおかしくない状況だったでしょう。
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