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【コンサル物語(日本編)】Big4コンサルティングの歴史〜PWC〜③

21世紀に入ってすぐに日本のコンサルティングマーケットからPWCコンサルタントという会社は姿を消しました。同時期にアメリカで発生したエンロンスキャンダルの余波を受け、日本でもPWCのコンサルティング部門はIBMに売却されることになったためです。
(厳密にはPWCの監査法人グループにコンサルティング会社は存在していたようですが、こちらはM&A等がメインでシステムコンサルティングはやっていなかったようです)

私自身の体験になりますが、当時勤務していた事業会社では最初PWC社のコンサルタントを利用していましたが、ある時から同じ人がIBMの名刺に変わったことをよく覚えています。また1,600名程いたPWCのコンサルタントの中にはIBMへの売却時に転職した人も少なからずいたようです。当時の日本IBM社はまだまだメーカー色が強く、コンサルティング会社の中には移籍に抵抗がある人も多かったのかもしれません。

さてその後PWC社が日本市場に再び登場するのは2009年になってからです。PWCの監査法人グループが抱えていたコンサルティング部門はM&Aや事業再生などの分野に偏っており、戦略系、プロセス・システム系といった機能が不足していました。IBMに売却した当時のコンサルティング部門の立て直しを図れるような組織は育っていなかったわけです。

そのため、ちょうどその頃アメリカの大手コンサルティングファームのべリングポイントという会社が破産し再建を模索しており、PWCジャパンは戦略系、プロセス・システム系の組織として同社に目を付けました。

2009年2月、米国発の金融危機によってコンサルティング・ファーム大手、ベリングポイント(BP)が日本の民事再生法に当たる米国連邦破産法第11条を申請した。同社は、KPMGコンサルティングとアーサー・ア ンダーセンのビジネス・コンサルティング部門との事業統合によって誕生したファームで、世界30カ国以上に拠点を持ち、1万6,000名を超えるコンサルタントを擁していた。同社の再建に当たっては、米国法人をパブリ ックセンター部門と企業向け部門に分割した上で売却することになり、PwC ジャパンもPwC 米国と共同で入札に参加し、収益性と成長性の高い ビジネスユニットに成長していたBP日本法人の買収に成功した。

『PWCジャパンの歴史』

2009年5月、あらた監査法人(PWCグループの監査法人)がべリングポイント日本法人の全株式を取得し、社名をプライスウォーターハウスクーパースコンサルタントに変更したことで、日本のコンサルティングマーケットにPWCが再登場することになりました。

2000年KPMG会計事務所から分離したKPMGコンサルティング社には約300名のコンサルタントがいました。またアメリカでのエンロンスキャンダルに端を発した2002年のアーサー・アンダーセン会計事務所消滅の余波は日本のアーサー・アンダーセン社にも波及しました。その結果、アンダーセン社のコンサルティング部門の約700名はKPMGコンサルティングに合流することになりました。そして両社から集まった約1,000名のコンサルタントは2002年にべリグポイント社という名の下、日本でのコンサルティング事業を展開していたのです。2000年代の順調な事業拡大によりPWC社に買収されたときには約1,200名にまで拡大していました。

このような歴史を考えると、2009年に再出発したPWCコンサルティング社はKPMGとアンダーセンのコンサルタントで構成されているとも言えて大変興味深いと思います。実際のところ、アーサー・アンダーセン社でコンサルタントになり、KPMG、べリングポイント、そしてPWCコンサルティング社といったように次々とコンサルタントの名刺が変わり続けた人も多くいるようです(本人自身は一度も転職はしていないのです)

さて日本でのコンサルティング事業を再開したPWC社は2014年にアメリカのPWCと歩調を合わせる形で、アメリカの戦略系コンサルティング会社であったブーズ・アンド・カンパニー社(2008年にブーズ・アレン・ハミルトン社の民間部門が分離した会社)を買収し戦略系コンサルティングの組織強化も図っています。

(完)

(参考資料)
『PWCジャパンの歴史』


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