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【コンサル物語】会計コンサルの胎動 in シカゴ

 19世紀後半にアメリカ合衆国の鉄道、道路、水路の中継地として大発展を遂げたシカゴでは、産業の発展とともに会計業務の重要性が認識され始めました。(シカゴの所在地である)イリノイ州では1903年に公認会計士制度が定められ、会計の専門家による産業振興のバックアップが進められました。

 シカゴでは20世紀前半の1910年代、20年代に会計事務所や会計をルーツとするコンサルティングが大きく発展した歴史があります。例えば、アーサー・アンダーセン会計事務所(後のアクセンチュア)であり、マッキンゼー・アンド・カンパニーです。シカゴの人口が全米第2位になっていた1890年から1910年頃までの世紀をまたぐ20年で、コンサルティング発展の布石がどのように打たれていたか、その歴史を紐解いて行きたいと思います。

 シカゴで会計の専門家が必要とされ始めたこの時代、後にBig4(Deloitte・PWC・KPMG・EY)となる会計事務所がシカゴに進出してきました。プライス・ウォーターハウス(後のPWC)はニューヨークに次ぎ2番目のオフィスとして、1892年にシカゴのジャクソン・ストリートにシカゴ事務所を構えました。また、1890年にスコットランドからアメリカに渡ったアーサー・ヤングは、1906年にアーサー・ヤング・アンド・カンパニー会計事務所(後のEY)を設立しています。

(参考)1892年シカゴのモナドノックビル(Monadnock Building)にプライス・ウォーターハウスはオフィスを構えた

(上)1890年代の事務所設立時のビル
2005年の同ビル Wikipediaより

 シカゴに事務所を開設した会計事務所の仕事には、本業の監査業務とともに、後の経営コンサルティング業務に繋がっていく「財務調査」もありました。1899年にプライス・ウォーターハウスは合併に関する仕事として、シカゴの6社の牛乳会社、19社の鉄道供給会社、後にアリス・チャルマー社に合併される6社の財務調査を引き受けています。このアリス・チャルマー社に関しては歴史の巡り合わせの面白さが垣間見える話があります。少し横道にそれますが触れておきたいと思います。

 プライス・ウォーターハウスが1899年に合併前の会計調査を行った6社の中に、フレーザー・アンド・チャルマー社という会社がありました。このフレーザー社は1901年に他の会社と合併しアリス・チャルマー社となり、20世紀の間世界的な産業機械/農業機械のメーカーとして成長していきます。

 後にシカゴでアーサー・アンダーセン会計事務所を設立するアーサー・アンダーセンは、自身の父親とともに親子二代でチャルマー社で働いており、アーサー自身は1901年から1906年まで同社で会計担当をしていました。

 アーサーはチャルマー社での会計担当の仕事を通じて会計業務に興味を持ち始めたと言われています。恐らくその時見聞きしたプライス・ウォーターハウスの仕事に何らかの影響を受けたのでしょう、1907年にアーサーはチャルマー社を退職しプライス・ウォーターハウスのシカゴ事務所に転職しています。そしてプライス・ウォーターハウスでの3年間で公認会計士資格を取得し、1913年にアーサー・アンダーセン会計事務所をシカゴに設立しています。

『アーサーアンダーセン消滅の軌跡』(S・E・スクワイヤ/C・J・スミス/L・マクドゥーガル/W・R・イーク 平野皓正 訳)など

 小話はここまでになり、話を戻しますと、プライス・ウォーターハウスのシカゴ事務所は他にも、当時シカゴの主要産業の一つであった食肉加工業者に関する合併業務を1902年に開始しました。また農機具メーカー5社の会計調査についてJ.P. モルガンから依頼を受けていたりしており、これなどはニューヨークやボストンの投資銀行がシカゴの会計事務所を雇い財務調査を行っていた典型として注目したい案件です。このようにシカゴでは会計事務所による財務調査が徐々に始まっていました。

 一方で会計事務所による初期のコンサルティングには、財務調査に加えて会計システムのアドバイザリー業務があったことを以前書いています。

20世紀初頭にオフィスへの事務機器や会計機の導入が進み、会計士が導入のサポートをしていたという話です。その中でアメリカにおいて会計システムの利用が進んだ背景として、アメリカのオフィスが伝統に縛られることが少なかったことと、アメリカ人の性質が新しもの好きだということがある、というコンピューター史の専門家の見解をご紹介しました。(『コンピューター二〇〇年史』)

 ところがどうもこの説明だけでは歴史を分析するという意味で少し軽薄に感じるため、当時のアメリカ社会の状況を踏まえた背景にも迫りたいと思います。

 19世紀末から20世紀への転換期に起こった革新主義と総称される改革がうまく説明を補足すると思いますので、まずは革新主義についての歴史的解釈をご説明したいと思います。各種書籍によると大体次のようなことが書かれています。

 19世紀後半の急激な社会経済的変化から起こった諸問題を解決するために、地方政治を皮切りに、各地で「革新主義」と呼ばれる改革が推進された。革新主義はきわめて多様な側面を持っていたが、既存の腐敗や非能率を改革し、効率性・能率性を重視した。その結果、専門家による科学的・合理的な方法が採用されることになった。

 それは、公衆衛生や高等教育の充実に繋がり、さらには女性運動、禁酒運動などの社会の改革に向けた地域レベルでの様々な改革が展開された。

 コンサルティングに関していえば革新主義時代の都市改善団体とともに、市の会計と簿記の方法とシステムの見直しに繋がっていく。この革新主義の改善活動に合わせ会計事務所も自治体会計へのコンサルティングに参入していった。市、州、連邦政府それぞれのレベルが会計事務所に助言を求めた。

『大学で学ぶアメリカ史』(和田光弘 編著)
『アメリカの歴史』(有賀夏紀・油井大三郎 編)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN / KATHLEEN MCDERMOT)
など

 革新主義による改善が進む中でもシカゴ市は早期に会計改革に取り組んだ自治体でした。1898年から1899年にかけて会計事務所のHaskins & Sells(ハスキンズ・アンド・セルズ、後のDeloitte)に会計調査を依頼し、1902年に新しい会計システムを採用しています。

 ちなみに、会計事務所は革新主義の改善をシカゴ以外にも行っており、1903年にはプライス・ウォーターハウスがミネアポリス市の会計システ厶見直しを、1907年にはデロイトとプライス・ウォーターハウスが共同で連邦レベルでの郵便局再編のための会計調査、会計システムの見直しなどを提言しています。

 このように世紀末を挟みアメリカ社会で進められた革新主義が、会計事務所によるシステム改善への助言というコンサルティング・サービスを推進する背景にあったことが分かります。特にシカゴではプライス・ウォーターハウスやハスキンズ・アンド・セルズ(後のデロイト)といった会計事務所によって実践されていたことがわかりましたが、コンサルティングを歴史的に大発展させた当事者はまだ登場していません。彼らは世の中に出てくる準備をしていました。


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