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【コンサル物語】さらばビッグ・エイト 1980年代アメリカは大合併時代

1970年代のアメリカでは、本業の会計監査が頭打ちとなっていく中、大手会計事務所ではコンサルティング等の非監査業務が伸び始め救世主となりつつありました。

1980年代に入るとその傾向に拍車がかかり、会計事務所は監査をする企業から総合プロフェッショナル・ファームへと変化を遂げつつありました。今回から数回にわたり、1980年代アメリカにおける大手会計事務所(通称ビッグ・エイト(Big8)※)の大合併の歴史を、コンサルティングサービスの観点で見ていきたいと思います。

※1980年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のこと。ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォーターハウス、ハスキンズ・アンド・セルズ、ライブランド・ロス・モンゴメリー、アーサー・ヤング、トーシュ・ロスの各社。後にDeloitte、PWC、EY、KPMGへと統合されていく

1980年代に会計事務所が置かれていたビジネス環境について、プライス・ウォーターハウス(後のPWC)は社史『ACCOUNTING FOR SUCCESS』のなかで三つの点を指摘しています。

一つ目は、情報通信技術の発展が会計士の仕事のやり方に根本的な変化をもたらし、コンサルティング分野等に新たなビジネスチャンスが生まれたこと。二つ目は、アメリカ企業の再編成が広く行われた時代であったこと。多くの誇り高き企業が苦境に立たされ、消滅する企業もありましたが、買収や合併を通じて乗り越えるというパターンが少なからず見られました。三つ目は、アメリカ経済の急速なグローバル化により国際的なプレゼンス強化が重要になったことです。それぞれが会計事務所の将来に多大な影響を及ぼすものでした。

特に一つ目の情報技術の発展は、会計事務所のコンサルティングサービス拡大を強く後押ししました。多くのアメリカ企業にとってコンピュータが経営と切り離せないものになってきており、業務効率化のための利用目的から、新しい事業を生み出すための利用目的へと変わっていきました。そのため、クライアントは会計事務所に対して一層広範なサービスを求めるようになり、企業のコンピュータシステムを整理し設計を行うシステムインテグレーションはその一つでした。

大手会計事務所内のコンサルティング業務は劇的に拡大した。情報テクノロジーは、この拡大に重要な役割を果たした。情報テクノロジーは、常に会計事務所のコンサルティング業務の基盤であったが、その複雑さとビジネスへの応用は飛躍的に拡大していたからである。多くの企業にとって、コンピューター・システムは経営の根幹をなすものとなっており、競争力を維持するためには、この分野発展を利用し続けなければならなかった:

情報技術はもはやバックオフィス機能の自動化に限定されるものではない。それは、旧来を凌駕する新たな製造方法を生み出し、まったく新しい製品やサービスを生み出し、国内組織、グローバル組織に新たな形をもたらしている。

顧客は会計士に、財務情報をどのようにビジネスに役立てるかを求めるようになった。その結果、会計士のサービス範囲は拡大し多様化した。

しかし、情報テクノロジーが高度化するにつれ、それを使いこなすために必要な知識も高度化していった。会計事務所が成功するためには、各クライアントのトータルな環境に精通する必要があった。会計事務所には、業界の動向をモニターし、テクノロジーが業界に与える影響を理解し、技術革新についてアドバイスできること、そして損益のダイナミズムやビジネス戦略について精通していることが期待された。

また、企業は異なる情報テクノロジーの統一に悩まされることが多かった。会計事務所は、こうしたシステムの設計、整理、監視を支援するようになった。情報技術によって生まれた重要なコンサルティング分野の中に、システム・インテグレーションがあり、これはクライアント・コンピューター・システムの設計と設置に関与するものであった。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

コンサルティング業務は会計事務所の収入に大きな影響を与え、Big8の収益に占める割合はますます大きくなっていました。1980年代の会計事務所によるコンサルティングサービスはどの程度のものだったのでしょうか。アーサー・アンダーセンのみ突出していますが、大体会計事務所の売上に占める割合は20%が平均だったようです。

1987年、アメリカの大手会計事務所では、コンサルティングの売上高が全体の平均21%を占めた。アメリカ国内の経営コンサルティング会社の上位10社のうち5社が会計事務所で、1位がアーサー・アンダーセン、5位がピート・マーウィック、8位がプライス・ウォーターハウス、9位がアーンスト・アンド・ウィニー、10位がクーパース・アンド・ライブランドだった。アンダーセンのコンサルティング業務は、1987年の同社の世界売上高約20億ドルのうち33%を占め、主にコンピューター・システムの設計に携わっていた。すべての主要企業のコンサルティング収入は、年平均30%の伸びを示しており、監査や税務の収入のほぼ2倍の伸びを示している。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

1980年代のビジネス環境として上がった二つ目、三つ目の企業再編成や国際的なプレゼンスの強化に影響を受け、会計事務所自身も合併を進めることになりました。Big8の会計事務所再編を描いた『ビッグ・シックス』によると、再編成されたクライアント企業を相手にアメリカで有力な会計事務所となるには、国内に100ヶ所の事務所を持つ必要があること、国際的企業との契約を勝ち取るには会計事務所にもグローバルな組織力が求められることなどが必要とされたようです。Big8は互いの強化点を踏まえて合併の交渉相手を探っていたのでしょう。

さて、1980年代にBig8の会計事務所間でどのような合併が行われたのか確認しておきたいと思います。1983年と1990年のアメリカでの会計事務所ランキングを見ると、その間に大きな動きがあったことが分かります。

Big8(ビッグ・エイト)ランキング(1983年)
※会計事務所(監査+税務+コンサル)での売上順

参考資料:『アカウンティング・ウォーズ』

Big6(ビッグ・シックス)ランキング(1990年)
※会計事務所(監査+税務+コンサル)での売上順

参考資料:『闘う公認会計士』

この10年の間にBig8事務所同士で2組の合併があり、Big8はBig6になりました。

1987年、Big8ランキング2位のピート・マーウィック・ミッチェルとKMG(クリンベルト・メイン・ゲルデラー)会計事務所が合併しKPMGを設立しました。KMGはアメリカのBig8に対抗するため設立された欧米の有力会計事務所の国際会計事務所連合体です。

1989年、Big8ランキング5位と6位のアーンスト・アンド・ウィニーとアーサー・ヤングが合併しアーンスト・アンド・ヤング(EY)を設立しました。また同年には、Big8ランキング7位と8位のデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズとトーシュ・ロスが合併し、デロイト・トーシュ(Deloitte)を設立しました。Big8の下位事務所が生き残りをかけて行動を起こしました。合併後のビッグ・シックスでのランキングは、アーンスト・アンド・ヤング(EY)が2位、デロイト・トーシュ(Deloitte)が3位、KPMGが4位であり、合併の成果はあったと言えそうです。

一方で、20世紀前半のアメリカ会計士業界のリーダーとして圧倒的な存在感を示していたプライス・ウォーターハウス(後のPWC)は、20世紀最後の10年を前に最下位まで落ちてしまいました。実は未遂に終わっているものの、プライス・ウォーターハウスの周りでは合併話が二度持ち上がっていました。一度目は1984年のデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズとの合併未遂、二度目は1989年のアーサー・アンダーセンとの合併未遂です。どちらも未遂に終わらなければ、最強の超巨大会計事務所・コンサルティング会社が誕生していたことでしょう。

プライス・ウォーターハウスとの合併が成就しなくとも、単独一社の力でビッグ・シックスのトップを守っていたアーサー・アンダーセンは、長年に渡る社内内紛から、1989年ついに会計サービスのアーサー・アンダーセンとコンサルティングサービスのアンダーセン・コンサルティング(後のAccenture)に分離しました。

(参考資料)
『ビッグ・シックス』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀・長沢彰彦 訳)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN、KATHLEEN MCDERMOTT)
『アカウンティング・ウォーズ』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀 訳)


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