Big4コンサルティングの歴史 第12話(コンサルティング部門の切り離し 1990年代アメリカ)
本編(第12話)のあらすじ
コンサルティング頼みの各社
1995年度のアンダーセン社の収入と内訳
1990年代のアンダーセン社(Andersen Worldwide)は会計(監査・税務)のアーサー・アンダーセンとコンサルティングのアンダーセン・コンサルティング(後のアクセンチュア)で構成されていました。1989年に会計事務所から独立しアンダーセン・コンサルティングは成長を加速させ、1995年にはコンサルティングの収入が会計の収入を超えました。
アンダーセン社に限らず1990年代のアメリカ大手会計事務所Big6(ビッグシックス)※は本業ではないコンサルティング等の非監査業務の収入の伸びが顕著でした。
会計事務所にとってコンサルティング事業が切っても切り離せないものだということは、アーサー・アンダーセンの例から分かります。1989年にコンサルティング部門をアンダーセン・コンサルティングとして独立させたアーサー・アンダーセンは、その直後から会計部門内に全く別の新しいコンサルティング組織を作り、コンサルティングサービスを再開させました。そして数年後には1億ドルの収入を上げるまで成長していました。
この時代はアンダーセン1社だけではなく、他のBig6においてもコンサルティングが大きく伸びていることが分かります。
1995年度のBig6の収入内訳と伸び率
上記のような1990年代におけるBig6各社のコンサルティング拡大の動きについて、具体的にどのような事をおこなっていたのでしょうか。いくつかの事例をご紹介したいと思います。
アーンスト・アンド・ヤングはコンピュータ支援ソフトウェア・エンジニアリングへの進出を開始し、企業向けの経営システムおよび戦略立案サービスを提供するようになった。(EY)
1996年にはインドのタタ・コンサルティングと提携。同年、銀行業界のコンサルティングにも参入。また、企業買収により石油・石油化学コンサルティング事業にも進出した。(EY)
1990年代に入ると、経営コンサルティング事業の落ち込みを緩和するため、データ処理アプリケーションを使った補完的サービスに乗り出した。(Deloitte)
1992年、経営コンサルティング・サービスを拡大するため、デロイト・アンド・トウシュはソフトウェア会社と業務提携を結び、さまざまな経営問題に対するコンサルティング・サービスなどのソフトウェア・アプリケーションを提供した。(Deloitte)
コンサルティング業務の成長を促進するため、1995年にデロイト・アンド・トウシュ・コンサルティングという新しい事業部門を設立(Deloitte)
1999年5月、カリフォルニア州サンノゼを拠点とするSoftline Consulting & Integrators, Inc.を買収し、コンサルティング事業を拡大した。(KPMG)
クーパース・アンド・ライブランドとプライス・ウォーターハウスの成長の最も重要な要因は、米国でのコンサルティング・サービスの拡大に成功したことだ。両社とも、特定の業界へのサービス提供に注力し、その分野のスペシャリストとなった。クーパース・アンド・ライブランドは主に製薬、保険、通信業界のクライアントにアドバイスを提供し、プライス・ウォーターハウスは銀行、メディア・娯楽、石油・ガス業界に特化していた。(PWC)
合併後のプライス・ウォーターハウス・クーパースの売上高は16億ドルに達し、コンサルティング収入ではアーサー・アンダーセンに次ぐ第2位となった。(PWC)
『company-histories.com』
このようにコンサルティングは拡大していく一方で、監査での収入は頭打ちが続き、1990年代にはBig6全体の収入において遂にコンサルティング等(非監査業務)の収入が本業(監査業務)を上回るという状態になりました。
コンサルティングを中心に非監査業務を拡大するため、従来の会計士に加えてコンサルタントや弁護士を何千人も抱えていた事務所は、もはや会計事務所という枠を超え、プロフェッショナル・サービス・ファームと呼ぶのが相応しくなっていた言えます。
1990年代、本業としてきた会計監査を凌ぐビジネスを生み出したBig6各社。勢いそのままにその後はコンサルティングを中心に据えることも可能だったはずです。ところが歴史は違っていました。Big6のコンサルティング部門は21世紀に入るや、多くが売却され、それぞれ新しい社名でコンサルティングサービスを提供するようになっていました。なぜそのような道をたどったのでしょうか。コンサルティングを伸ばせば伸ばすほど、会計監査とコンサルティングを同じクライアントに提供することが利益相反の点で許されなくなったことは理由の一つとして考えられます。ただ理由はそれだけでもなかったようです。
(参考資料)
『ビッグ・シックス』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀・長沢彰彦 訳)
『名門アーサーアンダーセン消滅の軌跡』(S・E・スクワイヤ/C・J・スミス/L・マクドゥーガル/W・R・イーク 平野皓正 訳)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)
『company-histories.com』
コンサルティング部門の切り離し
1990年代アメリカの大手会計事務所Big6(ビッグ・シックス)は、本業の会計監査を凌ぐ売上をコンサルティング等から上げるようになりました。その背景には、システムコンサルティング分野への積極的な進出や様々なコンサルティング専門会社との提携等がありました。
ところが21世紀に入るとBig6からコンサルティング部門は切り離され、以前のように会計監査を中心とした会計事務所に姿を変えていました。Big6がコンサルティングを切り離した20世紀末から21世紀初めの歴史を見てみましょう。
1社目はKPMGですが、1995年の同社の売上全体に占める監査/税務/コンサルの割合は、監査45%、税務19%、コンサルティング36%でした。2000年にコンサルティング部門はKPMGコンサルティングに分社化されますが、それまでにも段階を踏んだ切り離しの動きがあったようです。その一例をご紹介したいと思います。
最後に挙げた、2000年設立のKPMGコンサルティングは後にべリングポイント(BearingPoint)という社名にブランド変更され、2002年に解散したアーサー・アンダーセンのコンサルティング部門の受け皿になる会社でもあります。残念ながら2009年にべリングポイント自体が破産しビジネスコンサルティング部門はプライス・ウォーターハウス・クーパース社(PWC)に吸収されていきます。
KPMGに続いてもう1社はアーサー・アンダーセンですが、組織としては1989年に会計部門とコンサルティング部門が分離し、コンサルティング部門はアンダーセン・コンサルティングとなっています。1995年の売上全体に占める監査/税務/コンサルの割合は、監査32%、税務16%、コンサルティング52%でした。
Big6においてコンサルティング部門を切り離す理由には、①会計監査の独立性の問題、②コンサルティング部門からの圧力、③売却による資金の獲得等があったと言われています。ところがアーサー・アンダーセンの場合は少し違っていたようです。双方が裁判所に告訴するという争いの形になり喧嘩別れしました。
アーサー・アンダーセンからコンサルティング部門がアンダーセン・コンサルティングとして独立してすぐ、アーサー・アンダーセンの内部に新たにコンサルティング部門が設置されました。両社はクライアントの売上規模ですみ分けの約束をしていました。
ところが、ほどなくして両社のクライアントが重複する事態が起こり、互いが相手側に否があるとし1997年国際仲裁裁判所に告訴しました。両社が最終的な合意に至ったのは2000年頃ですので長期間の泥沼状態だったようです。「アンダーセン」名称の帰属とお金に関する問題は次のように解決されました。
KPMGとアーサー・アンダーセンでのコンサルティング部門の切り離しは以上の通りですが、残りのBig6各社も2002年までにコンサルティングの処分を行いました。
アーンスト・アンド・ヤングは2000年に110億ドル(当時のレートで約1兆2000億円)でキャップジェミ二に売却され、プライス・ウォーターハウス・クーパースは2002年に35億ドル(約4,200憶円)でIBMに売却されているようです。
1990年代にBig6各社はコンサルティングを成長させましたが、常に会計監査とコンサルティングの利益相反について監督官庁のSEC(証券取引委員会)が目を光らせていました。そのような中でも監査部門とコンサルティング部門は両者の距離をうまく保とうと努めていたのでしょうが、2002年に成立したサーベンス・オクスリー法(SOX法)が切り離しにとどめを刺しました。
(参考資料)
『名門アーサーアンダーセン消滅の軌跡』(S・E・スクワイヤ/C・J・スミス/L・マクドゥーガル/W・R・イーク 平野皓正 訳)
『The World’s Newest Profession』(Christopher・Mckenna)
『company-histories.com』