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Bigコンサルティングの歴史 第6話(コンサルティング再参入編 1940年代アメリカ)


本編(第6話)のあらすじ

1930年代に一度はコンサルティングから撤退したアメリカの大手会計事務所は、1940年代に入り再びコンサルティングへの参入を始めました。その背景には第二次世界大戦を機に発展した技術領域のビジネスへの利用がありました。会計事務所はコンサルティング専門組織を続々と立ち上げ、来るべきコンサルティングの時代に備えていました。

コンサルティングへの再参入

1940年にはアメリカのコンサルティング会社は400社にもなっていました。マッキンゼーやブーズ・アレン・ハミルトンなどのコンサルティング専門会社が市場を拡大していた時代です。一方、会計事務所各社は本業の会計監査制度を確立しながら、会社規模を拡大していました。

1930年代の連邦法によってコンサルティングサービスを禁じられた会計事務所ですが、1940年代から少しづつ新たな形でコンサルティングを再開していきました。企業への監査制度の確立で本業を拡大し、監査クライアントからコンサルティングの相談を受けることもありました。

会計事務所のコンサルティング再参入の背景の一つには、当時のアメリカ企業に広がり始めていた電子データ処理の会計への導入や、関連する事務作業の機械化支援への期待がありました。

第二次世界大戦で軍用に開発されたデータ処理技術は、戦後民間へ戻ったビジネスマンにより企業への導入が促進されました。またアメリカでは新しい税金や規制の導入で仕事量が増えたこともあり、1920年以降事務職が爆発的に増加していました。増加率は1950年までに150%に達していたという記録が残っています。同じ期間の工場労働者の増加率が53%だったようですので、いかに事務職が急増したかが分かります。しかも増加のスピードは留まることなく、更に増え続けていました。当時の企業は大量の事務作業を高速で処理し、余分な人員を削減することに悩まされていたのです。

会計監査だけではなく、会計業務とそれに関連する事務職の機械化支援が会計事務所に期待されていたことについて、プライス・ウォーターハウス(後のPWC)の社史にも書かれています。

戦後の会計士は、会計や事務の機械化を支援し、会計や報告システムをより有用な経営ツールに変えることが期待された。同様に、公認会計士事務所にも、こうした技術革新に精通し、その手法を新しい電子プロセスに適応させることが期待された。

『Accounting for Success』

会計監査とコンサルティングの利益相反からコンサルティングサービスの提供を禁じられた会計事務所ですが、1940年代の業務機械化支援はまだ利益相反と見なされなかったのか、会計士が適任と見なされたのか分かりませんが、会計事務所がアドバイザリーサービス(コンサルティングサービス)を再開するきっかけとなった一つでした。

ちなみに、事務作業の機械化・自動化の代表的なものにはタイプライター、事務用録音機、自動卓上計算機といった機械が挙げられます。これらの機械は後年機械式からコンピュータに変遷し、会計事務所のコンサルティングサービスの中心となっていくことになります。

(参考)事務用録音機「ディクタフォン」(Wikipediaより)


(参考)アメリカ、レミントン社のタイプライター(Wikipediaより)

(参考資料)『Accounting for Success』(DAVID GRAYSON ALLEN / KATHLEEN MCDERMOTT)

コンサルティング部門の組織化

大手会計事務所のコンサルティング部門

1920年代までにほとんどの大手会計事務所がコンサルティングサービスを提供していましたが、それは独立した部門ではないことが多く、会計監査を行っている部門の一サービスとして提供していることが殆どでした。第二次世界大戦中もしくは戦後に、会計事務所各社はコンサルティングサービスを行う独立した部門を組織化し始めました。

アメリカの大手会計事務所でコンサルティング部門が独立した組織として設立されたのは、時代の早い順に、1942年のアーサー・アンダーセン(後のアクセンチュア)、1946年のプライス・ウォーターハウス(後のPWC)、1947年のトーシュ・ニーブン(後のDeloitte)、1948年のアーンスト・アンド・アーンスト(後のEY)、1950年代のライブランド・ロス・モンゴメリー(後のPWC)です。

アーサー・アンダーセン(後のアクセンチュア)

1942年にアーサー・アンダーセンはコンサルティングを専門に行う組織「管理会計」部門を設立しました。その背景には、アーサー・アンダーセン経営陣の先見性がありました。第二次世界大戦中、軍隊や政府ではデータ収集や会計領域において機械化が一気に進んだことで、そこで働いていた人たちが、戦後、民間企業に戻るとき、必ず企業会計の業務においても機械化の波が押し寄せるだろうと考えました。戦争が終わる前からコンサルティング組織を持っていたのは、アーサー・アンダーセンのみであり、アンダーセン社の早くからのコンサルティングの組織化は、同社がコンサルティング分野で圧倒的な地位を築いていく一つの要因になったと思います。

アーンスト・アンド・アーンスト(後のEY)

アーンスト・アンド・アーンストでは、第二次世界大戦の数年前にスペシャル・サービス部門という部門を設立していますが、この部門は税務アドバイスと経営コンサルティングを専門としていました。1948年にはスペシャル・サービス部門はマネジメント・サービス部門に改編され、その名の通り、データ処理、オペレーションズ・リサーチ、組織・人事、会計・予算、マーケティングなどに関する知識や経験を、顧客企業に提供することを目的とするようになりました。マネジメント・サービス部門のおかげもあり、1940年から1949年にかけて、アーンスト・アンド・アーンストの売上は2倍以上になったようです。

例えば、Ernst & Ernst は労働組合との交渉課題の立案、人事政策、新製品計画、工場のレイアウト、ニューヨーク州の高速道路のコントロール・システムの開発(混雑時における切符売り人数の決定や売却した切符をチェックするための記録システム)等を請け負った。

『闘う公認会計士』

プライス・ウォーターハウス(後のPWC)

会計事務所は歴史的にコンサルティング積極派と慎重派に分かれます。上記のアーサー・アンダーセンやアーンスト・アンド・アーンストは積極派で、こういったグループの考え方は、監査とコンサルティングはワンパッケージであるべきだというものでした。そのほうが良いサービスが提供できるし、それは顧客側も望んでいることだと考えていました。

そんな積極派を1920年代から牽制し会計監査の独立性を保とうとしていたのが、業界のリーダーを自負していたプライス・ウォーターハウスでした。ところが、慎重派プライス・ウォーターハウスもコンサルティング再開に向かう会計事務所各社の動きや当時の事務作業機械化の動向から、1946年、ついにコンサルティング部門を設立することを決定しています。

(参考資料)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN / KATHLEEN MCDERMOTT)

『THE FIRST SIXTY YEARS 1913-1973』(ARTHUR ANDERSEN & CO)

プライス・ウォーターハウスは会計部門と独立したコンサルティング部門である「システム部」を1946年に社内に設立しました。シカゴ事務所から、その方面に才覚のある会計士ジョセフ・ぺレジ(当時の役職はマネージャー)をニューヨークに異動させ、コンサルティング部門の立ち上げを進めました。ぺレジ氏は1年後にパートナーにまで昇進しましたが、しばらくの間は孤軍奮闘してコンサルティング部門を切り盛りしていました。なぜなら、会社は部門設立から7年後の1953年になってようやく、ぺレジ氏以外のパートナーをコンサルティング部門に配置したからです。そして翌年1954年にはシステム部門はマネジメント・アドバイザリー・サービス(MAS)部門に名称が変わり、コンサルティングも第2ステージに入っていきました。

ライブランド・ロス・モンゴメリー(後のPWC)

半世紀後の1998年にプライス・ウォーターハウスと合併してPWCとなる、当時のライブランド・ロス・モンゴメリー会計事務所は、少し遅れて1952年にマネジメントコンサルティングサービス専門の部門を設立し、新たな分野に踏み出しました。

ライブランド・ロスブラザーズ・モンゴメリーは、第二次世界大戦後、アメリカ最大の会計事務所の一つとして生まれ変わった。しかし、時代は変わり、会計事務所も従来の監査・会計業務にとどまっているわけにはいかなくなった。1952年、銀行や大企業のクライアントのために経営コンサルティングを開始し、新しい分野に進出した。

『Company-Histories.com』

変わったところではパン屋の焼くパンの最適量の決定といったコンサルティング案件も行っていた。

『闘う公認会計士』

トーシュ・ロス(後のDeloitte)

後にDeloitteとなり、1950年代当時まだ合併前のトーシュ・ロス会計事務所でも、ビジネスにおける情報技術の重要性を理解し、コンピューターの誕生で大きな影響を受ける職業の一つが自分達会計士だと考えていました。そのためトーシュ・ロス社はコンサルティング事業の展開を進め、1952年にはBig4会計事務所として初めて簿記の自動化を実現しています
(参考:Deloitte社のHP)

ピート・マーウィック・ミッチェル(後のKPMG)

1950年代の合併戦略で会社を巨大化することで、1960年にはアメリカ最大の会計事務所になったピート・マーウィック・ミッチェル(後のKPMG)が、会計業務以外のサービスの範囲をひろげることを決定したのは1952年となっています。

会計会社が以前は活動停止の状態にあったマネジメント・サービスの分野に手をひろげるようになったのは、第二次大戦後、それも一九五〇年代の半ばになってからだった。ビート・マーウィックが、産業にたいする「会計事務以外の」サービスの範囲をひろげることを決定したのは、一九五二年だった。

『ビジネスの魔術師たち』

このように、1950年代までには大手会計事務所がコンサルティング専門部隊を組織に抱え、コンサルティング事業を展開していました。その規模はアーンスト・アンド・アーンスト(後のEY)、プライス・ウォーターハウス(後のPWC)、ピート・マーウィック・ミッチェル(後のKPMG)などはコンサルティング部門に250人を超える人員を抱える規模でした。

ただし、コンサルティング部門が組織化されたと言っても、当時の大手会計事務所はまだまだ会計監査業務を生業とする、会計士中心の会社でした。そのためコンサルティング部門の立場は弱く、種々雑多なコンサルティングサービスを提供する色々な専門家から構成されている部門に過ぎませんでした。事実、コンサルティング部門の収益は1950年代においてはどこも赤字だったのです。

Big8会計事務所とコンサルティング部門設立時期

(参考資料)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN / KATHLEEN MCDERMOTT)
『Company-Histories.com』https://www.company-histories.com/PricewaterhouseCoopers-Company-History.html)

『ビジネスの魔術師たち』(ハル・ヒグドン 著 鈴木主税 訳)


(第5話)

(第7話)



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