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Big4コンサルティングの歴史 第5話(コンサルティング撤退編 1930年代アメリカ)

本編(第5話)のあらすじ

1920年代アメリカは未曽有の好景気に沸いていました。会計事務所のコンサルティングもシカゴのアーサー・アンダーセンを中心に高く評価されていました。ところが1929年の世界恐慌を機に取られた政策により、会計事務所はコンサルティングから撤退せざるを得なくなりました。会計事務所の代わりにコンサルティング業界を拡大したのは、シカゴのマッキンゼーやブーズ・アレン・ハミルトンといったコンサルティング専門ファームでした。

世界恐慌とその後の10年

会計事務所のコンサルティング規制

未曾有の好景気、狂騒の時代。アメリカの歴史上、1920年代はそのように形容されることが多いと思います。そして、その結末は1929年から始まる世界恐慌です。株価の大暴落、数千行に上る銀行の倒産、25%以上の失業率といったことが起きた時代でした。

1933年にアメリカ合衆国第32代大統領に就任した、フランクリン・ローズヴェルト大統領の元、矢継ぎ早に打たれたニューディール政策。政策の一環として施行されたいくつかの法律や規制により、当時のコンサルティング業界は副次的に大きな影響を受けました。そして、コンサルティング会社の勢力図が大きく変わるきっかけにもなりました。

大恐慌前の1920年代のコンサルティング業界は、大手会計事務所が一端を担っていたという歴史があります。特にシカゴのアーサー・アンダーセン会計事務所は、ニューヨークやボストンの銀行と一緒に、企業の財務調査コンサルティングを提供し高く評価されていました。一方でマッキンゼー・アンド・カンパニー、ブーズ・アレン・ハミルトンといった、後に巨大戦略コンサルティングファームとなる経営エンジニアリング各社は、社員数名で事業を始めたばかりでした。

そのようなコンサルティング業界に大きな影響を与えたニューディール法がありました。1933年の銀行法と連邦証券法、翌年1934年の証券取引所法です。

ただし、これらの法律の目的はコンサルティング業界に対する規制などではありませんでした。コンサルティング業界は当時まだまだ小さな業界でしたので、銀行や証券業務に対する規制の余波がコンサルティング業界に大きな影響を与えた、という方が適切でしょう。

各法の目的は預金者や投資家の保護にあり、銀行を商業銀行(預金)と投資銀行(投資、証券)に分割したうえで互いの領域には踏み込めないこと、株式会社には会計士によって監査された財務諸表の情報開示が求められるようになりました。

コンサルティングへの影響という点では、これらの法律と時を同じくして設立された証券取引委員会(Securities and Exchange Commission 通称SEC)の情報開示規制により、銀行や会計事務所のコンサルティング活動が禁止されたことが挙げられます。それぞれの本業とコンサルティング業務が利益相反するため中立性を脅かすという理由です。

それまで銀行と共に財務調査等のコンサルティング業務を展開していた会計事務所にとっては、ニューディールの規制により会計事務所として留まるかコンサルティング会社に鞍替えするかの経営判断を迫られる状況になったわけです。

一般に、小規模で専門性の高い事務所、例えばマッキンゼー・アンド・カンパニーやスティーブンソン・ジョーダン・アンド・ハリソンは経営コンサルタントの道を選び、ピート・マーウィック・ミッチェルやアーサー・アンダーセンなどは会計士にとどまることを決断した。
(中略)
経営コンサルティングの分野から撤退したアーサー・アンダーセンの決定は、1920年代のこの分野における同社の影響力とその後1990年代に世界最大のコンサルティング会社として再興されたことを考えると特に注目すべきである。

『The World's Newest Profession』

1920年代に財務調査でコンサルティング技術を評価されていたアーサー・アンダーセンがコンサルティングを放棄し撤退を決めたことは、規制にあらがえないものとして同社の社史に残っていました。

1929年の大恐慌で、融資の仕事は減り、この種の仕事は1930年には実質的に廃止された。その後しばらくの間は、組織内でエンジニアリングのスキルを持つ者が日常的なシステム業務を続けていたが、次第にシステムの専門家がいなくなり、1930年代後半から1940年代前半には、発生するシステム業務は専門家ではない会計監査部門が担当するようになった。

『THE FIRST SIXTY YEARS』

さて、ニューディール法により会計事務所や銀行が抜け空席となった経営コンサルティングの席には、マッキンゼー・アンド・カンパニーを始めとするコンサルティング専門会社が殺到するようになります。1930年代アメリカで、経営コンサルティングの新たな担い手が誕生するのです。

(参考資料)
『アメリカの歴史』(有賀夏紀・油井大三郎)
『コンサル一〇〇年史』(並木裕太)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)

コンサルティング業界の拡大

世界恐慌をきっかけにアメリカで制定された銀行法(1933年)、連邦証券法(1933年)、証券取引所法(1934年)といった法律は、コンサルティング業界を大きく転換させるきっかけになりました。20世紀初頭から財務調査や会計システムといったコンサルティングサービスを提供してきた銀行や会計事務所は、これらの法律によりコンサルティング・サービスの提供を禁止され、その空席をマッキンゼー社を始めとするコンサルティング専門会社が奪い合うという構図になっていきました。これが1930年代のコンサルティング業界の一面と言うことができます。

コンサルティング業界に関わる各プレイヤーがこの1930年代をどのように送っていたのでしょうか。

空きとなったコンサルティングの席を奪い新たな担い手となるコンサルティング専門会社は、組織のホワイトカラー層と最高経営責任者に狙いを定め急速に成長しました。アメリカでは1930年から1940年にかけて、経営コンサルティング会社の数は、平均して年15%増加しました。1930年に100社程度であった経営コンサルティング会社は、1940年には400社になり、1940年代には年率10%近くで増え続け、1950年には推定1000社の経営コンサルティング会社が存在していました。

その中から、後に巨大戦略コンサルティング会社に成長する、マッキンゼー・アンド・カンパニーとブーズ・アレン・ハミルトンを中心に1930年代の歴史をみていきたいと思います。

『マッキンゼー』(ダフ・マクドナルド 著/日暮雅通 訳)
『ビジネスの魔術師たち』(ハル・ヒグドン 著/鈴木主税 訳)
『The World's Newest Profession』等から作成

1930年代のコンサルティング提供会社が、それまでの銀行や会計事務所からコンサルティング専門会社に移っていったことがわかる事例があります。当時のアメリカを代表する超大手企業USスティール社の経営コンサルティング会社の活用事例です。20世紀に入ってすぐの頃、複数の鉄鋼会社が合併し誕生したUSスティール社は、全米の鉄鋼業の4分の3を支配する規模でした。

1901年、銀行家のJ・P・モルガンはU.S.スティールが誕生して最初の組織運営を自ら指揮していたが、1935年、U.S.スティールは当時の会長の大学時代の友人であるジョージ・ベーコンに組織運営の指揮を依頼した。ベーコン氏の会社フォード・ベーコン・アンド・デービス社は3年の歳月をかけ、マッキンゼー・アンド・カンパニーなど5つの下請けコンサルティング会社と共同で、最終的に203の報告書を作成した。フォード・ベーコン・アンド・デービス社は、USスティールの組織、戦略、運営に関する提言を行い、1950年代までの投資、労働、管理政策に影響を与えた。

『The World's Newest Profession』

当時は主契約をフォード・ベーコン・アンド・デービス社が結び、下請けにマッキンゼー社等のコンサルティング会社を使う時代でした。マッキンゼー社の役割はUSスティール社の注文処理の改善コンサルティングでしたが、当時のマッキンゼー社の売上の55%を占める規模であり超重要なクライアントでした。

以上のように、1930年代のコンサルティング業界は新旧の会社の入れ替えや、新たに400社に上るコンサルティング会社の誕生があり、業界的に大転換を迎えた時代でした。また、マッキンゼー社が創業者ジェームズ・マッキンゼーの死後、会計やエンジニアリングサービスから経営コンサルティング中心の事業運営にシフトしたように、後の戦略コンサルティング会社に繋がる形が生まれ始めた時代でもあったのです。

(参考資料)
『The World's Newest Profession』(クリストファー・D・マッケナ)

(第4話)

(第6話)


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