天稲のサクナヒメをクリアして、人生というクソゲーをレビューする。
先日、天穂のサクナヒメをクリアしました。約80時間、楽しみました。
中間管理職として、仕事の仕方を考えさせられるゲームでした。
控えめにいって神ゲーでした
ゲームとしては、レベル上げのあるスーパーマリオという感じでしょうか。
レベル上げの仕方が変わっていて、稲作をして品質の良い稲が育つとステータスが多く上がるという激渋な設定。
世界観は、名作「大神」に似た日本神話✖️ほんわかカワイイ系。(下の写真は、犬抱いて記念撮影、かわいい)
それでいて、三国無双シリーズのような爽快感。
わらわら出てくる敵を同時に大量撃破します。
計算し尽くされたイベント、パラメータ設定の数々
例えば、ステータスアップのための稲作。
初回こそ、新鮮なものの、単調な繰り返しになりそうなイベント。ところが、上手く飽きさせないように、飽きるか飽きないかのギリギリのところで、新しい便利な技を覚えます。例えば今まで一つずつしか苗を植えられなかったのに、二本同時に植えられるようになる、という感じです。
その新しい技を使いたい欲求にかられ、また飽きるか否かのラインで、さらに新しい技を覚え、どんどん効率化されていきます。
気がつくと、いろいろな稲作ノウハウも自然と脳に定着し、「あー、そろそろ三次分けつの時期だし、水を中ぬきしておこうかな。」というみたいになります。
日本人に生まれたからには、米の作り方という教養を身につけるのも悪くありません。
このゲームはステータス以外にも、素材を集め、武器や服を作ったり、必殺技を利用してその熟練度をあげたり、"しこん"と呼ばれる武器や服につけられるアビリティを集めたりなどできるのですが、これも絶妙なバランスになっており、一回の探索で同時にいくつものミッションや収集をクリアすることが珍しくなく、ほどよい達成感を味わえ続けられます。
今作、表ボスを倒したあとも300階まである建物?を制覇するというクリア後やりこみイベントがありますが、絶妙な難易度で全く飽きることなく進めていけました。
仕事の極意
私はアラフォー中間管理職。
全く質の違う数十の案件を同時平行に対応するのが常であり、メンバーへも同じようにマルチタスクをお願いすることになります。
複数の課題を同時に回していると「あれもやらないと、これもやらないと」と、あせり追い詰められ感が高まりやすく強いストレスに感じますよね。
一方、同じような状態であっても、ゲームであれば「あれもできたし、これもできたし」となり、ストレスでなくむしろ達成感にカウントされる。なぜでしょうか。
ゲームは楽しいことだから違うに決まってるでしょ、と言ってしまえば、その通りかもしれませんが、そもそも、なぜ、一方は楽しく、一方はつらいのか、その違いが生まれるのでしょうか。考えてみました。
1.ゲームは成果と進捗がはっきり見えるから楽しい
ゲームは、レベル上げにせよ、お金やアイテム収集にせよ、そのゴールがはっきりしていて、その進捗(自分が今どのあたりにいるか)も明確ですよね。もし、レベル上げなどで、あとどれくらいやればよいかがわからなければ、すごく苦痛になるだろうと思いました。
改めて仕事で思い出すと、案件の計画をより細かくタスク表としてリスト化して、一つ一つクリアするごとに塗り潰していくやり方をした時に、すごく達成感を感じていた気がしました。今後、この目的で意識してみようと思いました。
2.仕事は失敗すれば誰かに批判される
ゲームは、ミッションをクリアしようがしまいが、誰にも褒められないけど、誰にも批判されることもないですよね。(ゲーム内では、世界中の人々から感謝されることもしばしばですが。)
一方、仕事は、失敗して誰かに批判されたらどうしようという不安のせいで嫌な気持ちになるのではないかなと思います。そんなことは気にするべきではないと、他の記事で何度か書きましたが、私は難しい課題に挑戦する時は、「自分のするその仕事は、その成否にかかわらず、誰かがしないといけなかった仕事で、少なくともその誰かのためになっているはず。」と、考えるようにしています。そうすると、サラリーマンに待ち受けるレベルの困難であれば、それなりに気楽に乗り越えられるものですね。
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