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「いま、しあわせじゃない…」母の言葉が胸に刺さる

オミクロン株感染の再拡大を受けて、

母が入所している介護施設へ

面会に行けなくなった。


それならせめてもと

電話をかかると、

電話口の母の声に元気がない。

「話し相手がいない」

とのこと。


しばらく母の言い分を聞き、

「おかあちゃん、しあわせ?」

と尋ねると、

「しあわせじゃない…」

と泣き声に変わった。


今お世話になっているのは、

グループホームという、

認知症の人だけが入れる介護施設。


母の認知症はまだ軽度なので、

発言にあやしいところはあるが、

人とのコミュニケーションもしっかり取れる。


ところが母以外の利用者さんは、

みんな重度の方ばかり。


"友達になる”というレベルの関係性を築くのは、

どう考えても無理だ。


母を私の移住先に呼び寄せて4か月。


母なりに我慢を重ねてきたのが、

いよいよ

限界に来ているのだろう。


思えば、

半世紀以上も住み慣れた場所から

突然離され、

積み上げてきた人間関係も

全部放り投げさせられて、

遠く離れた馴染みのない場所に

連れてこられたのだ。


その孤独は想像に余る。


今のグループホームは、

初めて入居した介護施設ではない。


その前に、

ケアハウスという、

「自分の事は何でも自分でする」

のが条件で、

割と経費で入れる施設に

体験入所していた。


そこには、

頭がしっかりしている方も

たくさんいらっしゃって、

楽しそうに過ごしていたのだが、

結論から言うと、

施設側から入居を断られたのだ。


その施設では

洗濯機やお風呂は、

曜日と時間の組み合わせで

順番に使うことになっている。


軽度とはいえ

認知症の母には、

そういった複雑なルールを理解することはできなかった。


さらに、

どこをとっても似たような造りになっている

大きな施設で、

毎回迷子になってしまうのだ。



というわけで

また振り出しに戻り、

今のグループホームを見つけた。


「空き室のあるグループホームは

なかなかない」

と言われている中で

丁度タイミングよく見つけることができた。


入所の際は、

正直に言って、

母が幸せかどうかじゃなく、

自分が疲れ果てていて、

「お願いだからここでもう納得して」

という想いだった。

「やっとこれで楽になれる」

という期待があった。

だから

「ここのスタッフの人はすごく親切だし、

まえの施設みたいに断られることもないし、

絶対気に入るよ!」

なんて言って母を説得した。


そして

湧き上がる罪悪感に気づかないふりをして、

何事もなく馴染んでくれることを願った。


しかし、

結局は、

母がしあわせじゃないと、

私もしあわせじゃないのだ。


母が苦しいと、

私も苦しくなる。


親子というのは、

自分が思っている以上に

繋がっているのだと思う。


母のためになることは、

結局のところ自分のメンタルを安定させるのだ。

お互いのしあわせを諦めず、

前に進むもうと思う。



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