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藤井聡太 天才はいかに生まれたか

現実は時に、想像を超える。藤井聡太はそういう存在である。と語るのは

東京大学将棋部OB。在学中より将棋書籍の編集に従事。同大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力し、「青葉」の名で中継記者を務める本書の著者こと、松本博文氏。

メインテーマは藤井少年という天才である。藤井の生い立ちから、将棋を憶え、強くなり、棋士となって活躍する現在までを記しています。

引用P13
「トランプでも、小さい時は、本当に勝つまでやめませんでした」
と祐子は回想する。トランプは今でも家族でたまにやる。ちょっと前は大富豪で、今は七並べが多い。負けずきらいなところは変らないが、今では多少は、折り合いをつけられるようになったという。以前はどんなゲームでも、聡太が勝つまで、家族は突き合わせれた。

引用P20
将棋を憶えたのは、確か五才の夏だった。祖母がどこからか盤と駒を出してきたのだ。駒は動かし方が書いてあったので、ぼくにもすぐ指す事ができた。相手は祖父や祖母・・。毎日のように隣の祖父の家に行っては将棋を指していた。だが、三人とも肝心の詰め方が分からない

引用P67
中一になったばかりの藤井二段にとって、当然次の目標は、三段となる。三段になると、これまでとは違う条件での戦いとなる。それが「三段リーグ」である。
三段リーグまでたどり着いて、ようやく道半ば、と言われるのが奨励会というところである。三段と四段で天と地ほどの差がある将棋界において、三段リーグほど制度の厳しさ、残酷さを表わすところは内。事実、ここで多くの英才達が棋士への夢を絶たれ、涙を呑んできた。「半年一期のリーグで昇段は上位二人。年齢制限は26歳」これが鬼の鉄則である。

引用P160
「29連勝は歴史的な快挙です。結果も素晴らしいですが内容も伴っている点でも凄みがあります。この記録は時が経つにつれ重みを増して来るはずですし、将棋界の新しい時代の到来を象徴する出来事になりました。檜舞台で顔を合わせる日を楽しみにしています」(羽生善治三冠〔当時〕」

藤井聡太 天才がいかにうまれたかの記録である。
負けん気の強い聡太少年は、好奇心を育てる教育を受け、将棋に興味をもつ。祖父母と将棋を憶え、将棋教室で将棋を差し強くなっていった。棋士になるという決意は固く、目標どおり史上最年少でプロ棋士になった。そして、デビューから負けなしの29連勝と前人未到の記録を打ち立てました。

何がスゴいって
・小学校1年の時に倉敷の大山名人の記念館にて『名人になる』と宣言している。 
・小学校3年の時には創作の詰め将棋を書いて谷川賞までもらっている。
・小学校の卒業文集は身震いするほど凄い。
 よく耳にする文集ではない。ぼくが知る限りで最高の決意と覚悟だ。

引用P66
3段になると東西合わせてのリーグ戦になる。半年かけてリーグを行い、その中で二人しか昇段できない難関だ。しかし、その壁を破らなければ未来はない。奨励会に入ったからにはプロになるしかないのだ。『中学生の内になれなかったら相撲部屋』と母に言われたことがあったが、その覚悟で行きたいと思う。あと3年だ。全力を尽くしたい。そして、三十歳までに将棋界の横綱になりたい。将棋史に名を残す棋士になるために、日々精進していきたいと思っている。

わずか11才の少年が、生き残るだけでも大変な棋士の世界に入っていくさまがわかる。
この決意だけでも天才だ。

わずか11才の少年に何がそこまでことを思わすのだろうか?

たしかに幼少期から、
・どんなゲームでも勝つまで止めない。
・また、まわりの祖父母たちも聡太少年の勝ちに最後まで付きあわされてい    たようである。
・たしか小学2年の時、あるイベントで谷川9段との差しで、引き分けにしようかと持ちかけられたとき盤上を離れず、泣きじゃくり。最後にはお母さんが抱きかかえて席を離れたそうである。
・3才で入園した。学園はモンテッソーリ教育という
こどもの好奇心を伸ばし、それを支援し、応援する学校だった。
・将棋教室の環境は、易しい問題を数多く解かす形式。
感想会では、勝った方が主導権をもち棋譜を並べる。
こどもにはヤル気がでる。
そして、昇段試験はどこの教室よりも厳しい。

環境に恵まれることも天才に育つ過程なのではないかと思う。

そして、前人未到の8冠を達成をしているが
それまでに残酷な姿を見ている。
それは、聡太少年が勝つことにより、負けた人は将棋界を去るという
現実をつぶさにみている。将棋で生きていこうと思っている人が将棋の世界で生きていけなくなる。
プロ棋士になれず去って行く。残酷な世界をわずか13,4才のときに見ている。

そのことが、天才になる過程なのかもしれない。

天才はいかにうまれたか
歴史のめぐり合わせであろうか。天才加藤一二三がちょうど将棋界から去るその時期に、新たな天才が登場した。それが藤井聡太である。まず一つは、詰め将棋を解く速さと正確さだ。もう一つの指標は、史上最年少、一四歳二ヶ月での四段昇段。これは「神武以来の天才」、加藤一二三を超える記録である。

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