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 コロナ禍で街が閑散としていた2020年の夏、バウハウス開校100年を記念した展覧会が東京ステーションギャラリーで開催されました。芸術教育の歴史としても大変興味深く、充実した内容でした。昨年亡くなったカナダの作曲家R.M.シェーファーは本来が画家志望だったこともあって美術教育に造詣が深く、氏がサウンドスケープ論を提唱した『世界の調律』ではバウハウスを「20世紀の美術教育において最も重要な改革」と定義しています。さらに音楽教育にもバウハウスの「インダストリアル・デザイン」にあたる「音響生態学(サウンド・エコロジー)や「サウンドスケープ・デザイン」といった学際領域が生まれると予見しています(第14章「聴く」より)。
 100年前のバウハウスがナチスの弾圧を受けて短命に終わったことはよく知られていますが、一方の原因には設立者グロピウスと教育者イッテンの思想の違い、カルト宗教をめぐる対立があったこともわかっています。グロピウスはピタゴラス教団の文脈にあるハルモニア思想、イッテンは詳細はよくわかりませんがマツダツナンという新興宗教に傾倒していました。興味深いのはグロピウスが生涯目指した「ハルモニア思想」は、フリーメイソン、薔薇十字団、「ゴシック建築」を最高建築とみなす数秘術につながっていくことです。この思想からミニマルなモダン建築やインダストリアル・デザインが生まれたのは技術的な結果論だったとも言えます。
 現代音楽家でもあるシェーファーのサウンドスケープ論の本の表紙には、「世界の調律」と名付けられた一弦琴の挿絵が使われています。これは中世イギリスの天文学者ロバート・フラッドの著書『両宇宙誌』の挿し絵ですが、氏は薔薇十字とも深い結びつきがあったと言われています。シェーファーがどのような理由でフラッドの絵を表紙に選んだのか真意は定かではありませんが、根幹にピタゴラスのハルモニア思想があったことは確かでしょう。
 現在、社会ではカルト教団や新興宗教をめぐるさまざまな意見が飛び交っています。ここで冷静に考えたいのは、人間が教義や思想を持つことそのものが「悪」なのではないということです。それを利用した別の何か(主に組織の権力や経済力、排他主義)に転嫁され、他者の人生を巻き込んで過激化する悪循環に問題があるはずです。ユダヤ人を虐殺したナチスはヒトラーの思想の権化であり、この国でも社会思想の激しい弾圧が行われたことは日本近代史で学びました。反戦を唱えただけで投獄され、国に殺された昭和の歴史です。
 今年の手塚治虫マンガ大賞となった『チ。地球の運動について』。これは天動説から地動説へ、人間が人間であること、信念や教義をめぐる知性の葛藤、何より時代の転換の過去と未来の拮抗の物語がよく描かれています。ここで忘れてはならないのは(漫画では描かれていませんが)、さらに時間を遡ると、もともとは「地動説」だったという西洋の歴史です。なぜこうなったのか?人間とは何かを問いかけます。
 今に集中することと、過去と未来をつなぐ時間軸と、両方を持ち合わせていたいと思うのでした。

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