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古典って必要?不要?



先般、親身にしている文学部准教授から一冊の書籍をオススメされ購入した。
タイトルは『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』

https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-16-6.html

この書籍は2019年1月13日の成人の日に古典に関して、古典肯定派と否定派の研究者が古典教育に発展して、古典の必要性や文学部廃止論までとことん古典についてディベートを行った議事録をまとめた一冊。

私は文学部出身なので、肯定派として最初読み進めていった。
「古典は本当に必要か」ということは言い換えれば「古典がなくなったらどうなるのか」ということでもある。
昨今の国語教育において実務的な国語教育に移行すべきという声が各所から聞こえる。しかし古典教育をしなくなった子供たちは一体どうなっていくのか?実務的な国語教育が一体何をもたらしてくれるのか?文学畑の自身においてはとても気になる事案である。

読んでいくと否定派の猿倉先生は古典の必修に関しては否定をしているが、古典を学ぶことは否定していない。
つまり義務教育で古典を学ぶことは是としていない。選択して学びたい人が学べば良いという持論なのだ。もう一人の否定派の前田さんという方は古典の学習を否定、実務的な国語教育の移行に切り替えるよう力説していた。一方の古典肯定派に関しては文章のリテラシー、読み書き能力を高める上で古典は必須なのだ。古典が無くなったら実務的どころか読解力が乏しくなるとの論を展開している。
お互いに歯に衣着せない持論の応酬で、なかなか読み応えがあった。実際の現場で見ていたらまた印象は変わったかも知れないが、古典について最終的に双方で結論は出ないまま終わる。

私は古典のみならず、数学の並列や理科の基礎(本書掲載)も指導要綱から消されていく実状に、社会に出て行く上で必要なものだけを教育現場で指導する教育は、間違えていると思う。そもそも学校教育全てが社会で活用されることはほぼ100%ない。むしろ社会は学校教育で習わないことばかりである。だから専門学校や職業訓練校が存在する。大学で習うことが仕事に直結する場に巡り会う人など僅かななのだ。日本の教育が全て社会に対応する教育しかしないなら、AI開発同様人間は機械化される気がしてならない。常に教育は変化をしていく、しかしその中でも変化しなかったものがある。多くの学ぶべきものがあって、それが自然淘汰され古典は生き残った。それは決して不要ではないからではないか。
古典や道徳は滅んではいけない学問ではないだろうか。決して要らない学問ではない。

最後に中国の教育現場ではどうなっているのかというまとめを。
中国では2001年から『詩経』『楚辞』唐宋の詩文など古典が教科書に多く掲載している。以前は43%から53%の量になったそうだ。中国は今教育から古典を見直そうと古文復興運動さながら古典を見返すという教育している。
日本では古典を切り捨て、中国では古典を再評価、どちらが良いのだろうか?



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