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文字モジしながら文字についてへりくつをこねる。『うかんむりのこども』吉田篤弘

へりくつで、愉快なおじさん。
吉田篤弘さんの文章を読むたびにいつも思うこと。(大変失礼であることは千も万も承知しています)

へりくつで、愉快で、こちらが油断しているとときどきぐさりと差し込んでくる。
だから面白くて、やめられない。


仕事の合間にふらっと立ち寄った図書館で見つけた「うかんむりのこども」は”うかんむりのこ”=つまり文字についてあれこれ綴られた、版元の新潮社によれば”文字モジした言葉エッセイ集”。

ところで、「うかんむり」とは、辞書によれば「屋根」を意味し、生まれた子に屋根の下で名が与えられる、その名が字=「あざな」です。
人に限らず、生まれ出てきたすべての物事に「字」が与えられ、あざなで呼ばれたものは、すべて、うかんむりのこどもとなりました。

うかんむりのこども「始まり始まり」/吉田篤弘

こんな調子で、いろんな文字について紐解いてみたり、考察がぐるぐるめぐらされているのだけれど、読み進めながら「わたしにも身に覚えがある!」と共感することしばしばで、どうやらわたしも、へりくつなおばさんではないかと気づく。
愉快かどうかはともかくとして。

文章を書いている途中で、はた、と手がとまってしまうのは、たとえば「適当」と書きたいときである。
てきとう、というこの言葉は、相反するふたつの意味を持っている。ひとつは「ほどよいこと」。もうひとつは「いいかげんなこと」。さて、伝えたいのはどちらの意味か。特に後者の場合が難しく、「彼は適当な人だ」と書くと、場合によっては「的確な人」という印象にもなる。漢字を使わずに「テキトー」とカタカナで書けば本意が伝わるだろうが、そんなテキトーな表記はしたくない。

うかんむりのこども「てきとう」/吉田篤弘

「そうそう、そうなのよ!」と図書館でひとり、大きく頷いてしまった箇所。
日本語とは、何かを伝えるとは、なんて難しいのだろうと思う。

たとえば私は、”こだわり”という言葉をできるだけ使いたくないと思っている。
なぜならこだわり=固執すること(頑固で、何が何でも自分の意見を曲げない)と捉えているから。
だからできれば「コンセプト」「理念」「大切にしていること」等々、違う表現を使いたい。
でも、自分は”こだわり”という言葉を使わないことには固執したくないから、「ここは”こだわり”と表現してください」と言われたら、あっさり従うのだけれど。

それから、”忙しい”という言葉も使いたくない。
”忙”は心が死ぬと書く。
私のような人間が、いくらなんでも、死ぬほど忙しいってことはないだろう、と思うのだ。
だから、「ちょっとバタバタしている」とか、心が荒れると書く”慌ただしい”と言うようにしている。

「うわー、めんどくせー」と言っていそうな虎たち。
※虎ノ門駅のレリーフです

奈々という女の子が”々”という字はなんと読むのか、問い詰めるシーンも面白かった。
佐々木なら”さ”、代々木だったら”よ”、国々だったら”ぐに”、久々だったら”びさ”。
これほど自由度の高い字もない。
ずいぶん前だけれど、この文字を入力するときに困ったことがあり、Wordでそれこそテキトーに”くりかえし”と打ってみたら”々”と変換されて驚いた。
※ちなみにiPhoneでは変換されないから、Macではこの手は使えないのかもしれない。

気づいたら、あっという間に読み終えていた。
最近ちょっと慌ただしかったから、図書館でこんな風に時間を過ごすのは久しぶり。
”物語”ではないのに別の世界に連れて行かれたような感覚。
これぞ、吉田篤弘ワールドだなぁと感じ入る。
もう一度読みたいから、帰りに本屋で探してみようか。

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