愉快なイラン
私が今まで旅した30の国の中で、最も楽しかったの国の1つがイランである。理由は幾つかあるが、治安がよくて物価が安い、という基本的なところがそろった上で、記憶に残る人々と出会えたからだ。
9.11より前の1998年の話だし、人によっては異なる経験もしているかもしれず、相性や巡り合わせもあるから、私の場合、程度のものとしてご参考に。
街で立ち止まると人だかりができる
街に着いて宿を探す際、路上で少しでも道を探すそぶりを見せると、すかさず周りのイラン人が「どうした」「どうした」と集まってくる。イスラムには旅人を大事にする教えがあり、人情も素朴なイラン人は、真心から助けようとしてくれる。何人か集まるのを見て周りの人も集まりはじめ、あっという間に10人20人の人だかりとなって、皆がワイワイ言っている。
親切なのはありがたいが、英語が全く通じない。ペルシャ帝国の末裔たちは、言葉が通じようと通じまいとお構いなしで、身振り手振りで真剣に伝えようとしてくれる。その上、実際に宿がどこか知らない人も親切心で「きっとこっちだ」みたいに、てんでバラバラな方向を指し示すから、ありがたいけどアテにならず、これもまた楽しい。
日本語スピーカー登場
そうこうしていると、必ず「どうしましたか〜」と、混みをかき分けて日本語を話せる人がやってくる。我々の世代では馴染みがあるかもしれないが、それより少し前まで、日本で不法就労していたイラン人がたくさんいたのだ。海外では旅行者を騙すために日本語を覚える輩が少なからず、日本語で旅行者に話しかけてくる人を最初からあまり信用しない方がいいのだが、イランの場合は単に日本に住んでいただけの人が多い。その人が、宿を知っている人との通訳となり、コトはあっという間に解決するのだった。
ちなみに、イランでは全てペルシャ語・アラビア文字なので、最低限の会話と数字の読み方・言い方くらいは覚える必要がある。まあ、その必要ならすぐ覚えてしまうけれど。
頗る非常に親日的
イラン人の日本人に対する親愛ぶりも相当なものであった。その理由は幾つかあるが、私の勝手な解釈では以下の通りである。
1)アメリカと戦争した
2)おしんに感動した
3)日本に住んでいた
敵の敵は味方
イラン人はアメリカとイスラエルが大嫌いだ。敵の敵は味方ということか、アメリカと戦った日本には親しみを感じるらしい。
テヘランには、横壁一面に反米の風刺画が描かれた有名なビルがある。星条旗を90度回転させ、縦縞となった赤のストライプが爆弾の落ちる軌道となり、青地の星がドクロになっている絵の上に「Down with the U.S.A」と大きく書かれている。
最強コンテンツ「おしん」
恐るべきは「おしん」である。古い雪国で貧困や困難に耐える少女のいじましい姿は、特に途上国の人には刺さるようで、イランでの視聴率は90%を超えたという。ある街の行商人向けの安宿で、イラン人のおっちゃんと相部屋になったのだが、彼はペルシャ語で1時間くらい「オシン!オシン!」「リンチャン!リンチャン!」と、おしんの素晴らしさを身振り手振りも交えて、まくしたててくれた。何をいっているかは1ミリも分からなかったが、心から感動しているのは伝わった。主演の小林綾子などイランでは国賓並の待遇を受けるそうだ。
スペインでドラえもんが「ノヴィータ!」とか言ってたし、ソウルではクレヨンしんちゃんがあの口調で韓国語を話しているを見かけたりしたが、言葉や文化の壁を超えるコンテンツは偉大だなと思い知った。
日本在住の思い出
前に述べたように、日本で不法就労していたイラン人がたくさんいた。ひと頃は偽造テレホンカードの売人といえばイラン人が相場だったし、私の実家の近くにも不法就労者が住んでいて、6畳のボロアパートに10人近くで雑魚寝をしていた。建築現場などで働いていたのだろう。
なぜそんなにいたかというと、その頃はビザなしで入国できたから。ビザは互いに対等というのが国際慣例で、日本人がイランに行く時にビザが不要なら、イラン人が日本に来る時も同じ条件でなければならない、となる。物価差は10倍以上。年収200万円の若者が海外に出稼ぎに行くと年収3,000万円くらいになるようなものだ。観光名目で来日し、そのまま不法滞在・不法就労、となるのは不可抗力だ。住環境は劣悪だが、何年か耐えて国に帰れば親類縁者を養えるくらいのひと財産になったようだ。
イランではお酒も飲めないし、公共の場では男女が一緒になることはできない。バスに乗るのも男性は前の入り口から、女性は後ろ、というようにして分離する。住むには窮屈な面もあるだろう。その点日本では何でも食べられ酒も飲め、女性とも遊べる。「国にいる時だけイスラム教徒」なんて、誰かが言っていたな。
客人に親切
イランでは長距離の電車の向かい合わせやタクシーの相乗りで一緒になると、赤の他人であろうが外国人であろうが、相手には親切にするという文化があり、例えば、タバコを吸う、何かを食べるといった際は、自分より前に目の前の相手に勧めるのが礼儀なのだ。欲しければ貰えばいいし、いらなければ礼を言って断ればいい。
ちなみにイランはタクシーが安く、長距離を移動するときでも相乗りしていく。街の大きな交差点などに行くと、タクシーが徐行しながら行き先を大声で叫びながら相乗りする人を集め、乗る人も自分の行きたい場を叫ぶ。この原始的なマッチングサービスは、案外ワークしていた。慣れるとそれなりに楽しい。
トルコからの国境を超えて最も近い大都市タブリーズに行くとき、イラン人の家族連れと一緒に乗った記憶がある。この慣習は聞いたかで知っていたのだが、3時間以上の相乗りの間、何度も食べ物を勧められ、これがそれかと、ちょっと面白く思ったのを思い出す。
スレてない
途上国では旅行者を騙すのはちょっとした小遣い稼ぎで、ぼったくりや押し売りは日常茶飯事だ。貴重な旅の時間を揉め事や、言葉の通じない警察とのやり取りに使うくらいなら、金で解決しようと思うのが旅人の最適行動だし、騙す側も二度と会わない外国人からちょっとの手間で数カ月分の稼ぎが入るなら、魔が差すこともあるだろう。
イランは海外からの人をあまり入れないようにしており、ビザを取る点では大変なのだが、そのおかげで現地の人が旅行者ズレしていない。旅行者を騙す人が出て増えるのは、ちょっと悪い奴らが試しにやったらうまくいき、それを見て真似する人が増え、徐々にエスカレートしていく、というサイクルなのだろうが、そもそも旅人があまりいなければ騙そうという発想も起きないのだろう。だから安心できた。
それでも悪いことを考える輩は出てくるもので、私も一度海外ではよくいるニセ警官に出くわしたが、偽造IDが思い切り手作りで、鼻で笑って終わるくらい純朴な手口であった。
警察がしっかりしている
海外の旅では常に犯罪に遭わぬよう無意識に気を張っているので、治安がいいというのは案外馬鹿にできない。
イランは警察がしっかりしている。実は、警察が当てにならない国は少なくない。お隣パキスタンなどは、「部族支配地域」という政府の支配が及ばない地域がある。ビン・ラディンが長く潜伏し、米軍に射殺されたエリアである。他の国でも、警察や軍が旅行者を殺害したなんて犯罪は当たり前にある。日本の警察不祥事が可愛く見えるくらいだ。
ヨーロッパでも北欧を除けばドイツやフランスですら目つきの悪い連中がふらついている路地があり、途上国なら尚更だ。その点イランは途上国の割に安全で、物価が安いので、結構楽しく暮らせた。
マッチョ人気
イランのキオスクで必ず売っていた謎のグッズがマッチョ・ブロマイド。色んなマッチョがポーズを取っている写真が連なったものがぶら下がっている。記憶に残っているのは、ムッキムキの黒人が、バスケットボール選手の格好をして、バスケットボールを肘当てのようにして、地面に斜め座りしているものだ。お土産の小ネタに買った気がするが、どこかにやってしまった。
イランの女性は黒い布で髪も顔も肌も隠さなければならないくらいなので、女性のブロマイドなんてもってのほかだから、そういうものを売っているのだろうか。
インターネットがまだ当たり前ではない20年以上も前の話だから、今や人情も大きく変わっただろう。何が変わり、何が変わっていないのか、見てみたい気もする。