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ニャブリ「チャンピオンズリーグを3連覇したい」

—— 以下、翻訳 (インタビュー記事全文)

バイエルン・ミュンヘンのスター選手、セルジュ・ニャブリは、アーセナルとウェスト・ブロムでの挫折の苦しみを明かした。「僕はもっとタフな男になったんだ」...そして「チャンピオンズリーグを3季連続で制覇したい」と語り、今後数年間でさらなる欧州制覇を目指している。

■セルジュ・ニャブリは2020年のチャンピオンズリーグ優勝時に無観客の虚しさを感じた
■今は再び優勝し、バイエルンの偉大な選手として記憶されることを望む
■キャリア初期にはウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンやアーセナルに所属したが出場機会は得られず
■現在、ニャブリは世界最高の選手の一人として認められている

チャンピオンズリーグ決勝の試合後、セルジュ・ニャブリ、ダビド・アラバ、ヨシュア・キミッヒの3人は、選手としてのキャリアのハイライトでもあるこの試合の余韻に浸りながら、スタジアムのピッチに座っていた。

バイエルン・ミュンヘンが、チャンピオンズリーグ決勝でパリ・サンジェルマンを破ったほか、準々決勝ではバルセロナに8-2で勝利したときの高揚感はまだ記憶に新しい。そして、それは、ニャブリ自身もゴールを決めて3-0と勝利した、準々決勝のリヨン戦も同様だろう。

クラブのスタッフだけがいる空っぽのスタジアムに声が反響する中、選手たちの周りには、こうした高揚感のある瞬間には似つかわない不自然さが漂っていた。

そこには、仕事を成し遂げたことへの静かな満足感だけが存在していたのだった。「試合後、僕とダビドとヨシュアはセンターサークル付近に座り、ぼんやりと周りを見渡していたのを覚えている。」先週、イギリス『メール』紙のZoomインタビューの中で、ミュンヘンの練習場からニャブリはこう語った。

何かが足りないことは明らかだった。「ファンや家族、僕らにとって重要な存在が、そこにはなかったね。」

それでも、パンデミックが蔓延している中とはいえ、チャンピオンズリーグ勝利というのは、たとえそれが選手たちの内輪でだけでも、祝うべきものである。「チームメイトと過ごせた時間はとても信じられないものだね。この1年間、共に汗を流し、最後は共に祝えたのだから。」

昨シーズン、バイエルンはチャンピオンズリーグだけでなく、ブンデスリーガとカップ戦という国内タイトルのダブルを成し遂げ、ドイツスーパーカップ、UEFAスーパーカップを制した。しかし、それでもビッグイヤーのトロフィーの存在は際立っている。「明らかに、チャンピオンズリーグは欧州全体のタイトルであり、子供たちの誰もが夢見るものだ。」

「ビッグイヤーを掲げることができたこと、この大会で優勝できたことは、言葉では言い表せない。それほどの喜びがあり、最終的に達成感に満ちた感情があるからだ。この優勝を実感するのに数日、飲み込むのに数日かかった。僕はまた優勝したいと思うし、チームとしてもまた優勝したいと思える大会だったと言えるだろう。」

そこが難しいところだ。ブンデスリーガで再び首位に返り咲き、チャンピオンズリーグのグループステージを突破したバイエルンは、チームとしての一貫性の低いイングランドの対戦相手たちを今年も振り切る準備ができているように思える。バイエルンは、この瞬間を、そしてこの突出したチームを最大限に活かす必要があるのか、我々は彼に尋ねた。

そして、ニャブリはこう述べた。「それは、非常に良いポイントだと思うよ。僕もそう信じている。今のチームは、多くの若手や個性、そして意欲に満ちている...。僕らの目標は、チームがピークの時期にチャンピオンズリーグでできる限り多くの優勝を果たすことだ。バルセロナやレアル・マドリードが、3季連続でチャンピオンズリーグを制覇したようにね。僕らは、その再現を目指している。」

「きっと数年後には(キャリアの最後に)、自分が歴史を作ったのを実感することになるだろうと願っているが、それは、誰にも奪うことができないものだ。獲得した数々のトロフィーのほか、特に、トロフィーを掲げ、優勝し、チームの姿を見て、仲間たちと過ごした瞬間というのは、自分がキャリアを終える頃に振り返りたい思い出だね。」

今シーズン、彼は優勝候補のタグを捨てたわけではない。バイエルンが再び優勝できる可能性は高いと考えているかとの質問に、彼は謙虚な表情で答えた。「今シーズン?もちろんさ。昨季優勝したことで得た自信が、僕らをさらに後押ししてくれていることは間違いない。そして、僕らのプレースタイル、諦めない姿勢は、自分たちに新たな活力を与えてくれる。僕らはハングリーだが、連覇が難しいことは誰もが知っている。」

当然、来月ラツィオとのベスト16の試合に臨むバイエルンが再び勝利を収めれば、1974年から1976年にかけて欧州チャンピオンズカップを3連覇したフランツ・ベッケンバウアー、ウリ・へーネス、ゲルト・ミュラー、セップ・マイアーという史上最高のバイエルン・チームと比較されることになるだろう。

25歳のニャブリにとって、それは遠い過去のことではあるが、目標であることに変わりはない。「正直に言うと、僕は知らなかったんだ。まだ生まれてもいなかった。30年後や40年後には、僕の名前やチームメイトの名前が語られることもあるだろう。そうなれば素晴らしいね。」

これまでのニャブリの驚異的な成功と、サッカー界で世界最高の選手の一人という現状を語るうえで、トニー・ピューリス氏を抜きに語ることは難しい。ニャブリは、かつてアーセナルを指揮していたアーセン・ヴェンゲル氏のユーロキッズの一人として知られていた。16歳でシュツットガルトからアーセナルへと移籍し、プレミアリーグやリーグカップの試合に出場した。

2015年、彼がまた20歳だった頃、ピューリス監督のウェスト・ブロムに期限付き移籍していたが、プレミアリーグでの出場時間は、5ヶ月間でわずか12分間のみだった。ピューリス監督は彼の加入以来、このウインガーがプレミアリーグでプレーするにはフィジカルがまだ不十分であると感じていたのだと、その理由を説明する。公平のために言っておくと、ローン加入選手であるがゆえに、ウェスト・ブロムは彼に長期的な投資を行うつもりはなかった。彼らには、プレミアリーグでの残留が懸かっていたのだ。

しかし、この若者と和解するのは難しい。彼はローン期間を終えてアーセナルに戻ったが、ザ・ホーソンズ(ウェスト・ブロムのホームスタジアム名)でもアーセナルでも出場機会を得られなかったためだ。アーセナルは彼の残留を望んだが、2016年に彼は別れを告げ、ホッフェンハイムへと移籍した。

「僕のキャリアの中でも、非常に重要な時期だった。多くのことを学ぶと同時に、受け入れなければならなかったね。」とニャブリは語る。「当時の経験が、ピッチ上で僕をよりタフな男にしてくれた。若い頃は、才能さえあれば通用し、ただ楽しければ良かったかもしれない。そうして、僕は気づいたんだ。ハードワークの必要性や、物事には思い通りにいかないこともあるんだとね。」

「ウェスト・ブロムではうまくいかなかったが、僕はひたすら努力を続けた。常に自分自身のクオリティを信じてきた。他の誰かがそう思わないなら、僕にできることは何だろうか?」

「結局のところ、もしウェストブロムに行かなかったら、もし物事が違う形で進んでいたら、今頃、僕はバイエルン・ミュンヘンにはいなかっただろう。そして、チャンピオンズリーグでの優勝や、1シーズンで5つものタイトル獲得、サッカーチームとして世界最高のチームでプレーする現在の僕もなかっただろうね。最終的には、これまでの道のりが、今の自分になるのに大いに役立ったと言えるだろう。これこそが、物語だね。」

彼の目標は、ウェスト・ブロムでスタメン入りすることよりも、今はいささか高く設定されている。「僕自身の野心は、さらにもっと成長し、FIFAワールドイレブンに入ることだ。そして最終的には、どうなるか分からないが .... あらゆるサッカー選手にとって、バロンドール獲得は夢だと思うよ。」

彼はまた、波乱に満ちた2020年を経て、サッカー選手たちがこれまで以上に政治的な役割に関わるようになったことにも言及している。そして、白人警察官による黒人男性ジョージ・フロイドの殺害事件をきっかけに、(政党とは関係なく)なぜ『Black Lives Matter (ブラック・ライブズ・マター)』の運動が、サッカー選手たちに受け入れられたのか、その理由について彼はこう説明する。

「その背景には歴史がある。すべての命は大切だが、この活動の最も根底にあるのは、かつての歴史や奴隷制度だと思う。そして、(膝を差しながら)これはその意思表示だね。『黒人の命が他の命よりも大切だ』と言っているわけではないと思う。もし立場が逆だったなら、こんな事件は起こらなかったと思う。」

「もしかしたら、事件が起こっていたかもしれない。それは誰にもわからない。黒人が理由もなく白人を殺しても、悲劇となっていただろう。意味がないわけではないが、この活動は一つの意思表示だ。いま一度、歴史を考えるべきだというね。」

彼が自身のルーツを理解するのに時間をかけていることを考えると、彼の言葉は正しい。というのも、彼の父、ジャン=ヘルマン氏は、コートジボワール出身だからである。パンデミック以前は、ニャブリ自身も好きで定期的にこの国を訪れていた。より深く親族のことを理解するため、コロナウイルスが落ち着けば、再び訪れてより多くの時間を過ごそうと計画している。

彼は16歳でアーセナルへ渡ったことで、より広大な世界へと自身の視野が広がったと感じている。ブレグジット(英国の欧州連合離脱)のため、今は叶わないものだ。こうした若い年齢で国を越えて移籍するメリットを彼は挙げている。

「大きなリスクを取ること。人として、サッカー選手として成長すること。新しいことに挑戦すること。そして、家族や友人、学校から離れ、自分の居心地の良い場所から離れること。それが人としての成長を早めるのに役立ったと思う。それは僕をよりタフにしてくれた。」

「ロンドンに住み、多文化の街がもたらすあらゆるものを目の当たりにすることができたのは、最高の時間だった。イギリスの文化に触れることもできたね。もしアーセナルに来ていなかったら、これらすべては見れなかったと思うし、世界中のあらゆる場所に対してこんなに心を開いていなかったと思うよ。」

一方、バイエルンではドイツ代表を助けるために重要な仕事をしなければならない。ドイツ生まれだが、人生の大半をイングランドのチェルシーで過ごした17歳のジャマル・ムシアラが、現在、両国間の忠誠心をめぐる綱引きの渦中にいるのだ。

ムシアラはここ数ヶ月でバイエルンの最年少出場と最年少得点の記録を更新したことで、優れたプロ選手たちの中でも特に注目に値する存在となっている。彼がイングランド代表の招集を受ける可能性があることに対し、ニャブリは軽くこう話す。「あの才能を手放すわけにはいかないだろう。彼は素晴らしい選手だ。最初の数回のトレーニングで見た時から、彼が傑出した選手になることは分かっていた。」

「彼の才能は素晴らしい。そして彼は何事にも動じない。まだ多くの時間があるため、今後も成長を続け、イングランドではなくドイツのためにその才能を発揮してくれることを願っているよ。」

▼元記事
https://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-9129673/Serge-Gnabry-winning-Champions-League-no-fans-trying-emulate-Real-Madrid.html

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