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井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た #20

「書く→対話→書く→…」がかなう
もったいないイベント(習い事)前編

このほど、私の願いがかないました。

 誰かにインタビューしたり、場を取材したりして文章を書いて読者に届けるという仕事を20年以上続けてきました。それは本当に意義深いことですが、構造として一方通行になるという宿命があります。

 書いたものを読んでくださった人たちと対話をして、またそれを振り返りながら書く。そんな「書く→対話する→書く→……」という新しいサイクルが生まれたら、「書く」と「対話」が化学反応を起こすのではと夢想していました。そもそもこの連載も、井上真祈子さんとの「対話」からスタートしています。

 一字一句を文字に起こしたとしても、その場を再現できるわけではありません。とはいえ、子育てや教育といった、正解のないテーマの場合、みんなの気づきが、ある種のアナログな「集合知」のようなものになるのでは、という予感がありました(「対話」の環境については、追って別の回で)。

 今回【それって「もったいない子育て」!? イベント 習い事】の開催にあたり、参加者の方々には、この連載の「習い事編」を読んで来てくださいと事前にお願いをしていました。ご参加くださった方々ありがとうございました! 

 記事に共感するところや「そうは言っても無理だよね」と思ったことなどをシェアしてください、というざっくりとしたお題でスタート。参加者のお子さんの年齢は、1歳代から30代までと幅広く、多様な意見が出ました。

 記事(#16)には、親の「思い込み」が観察を妨げるとあったけれども、親自身の子どもの頃の体験を参考に、自分なりのルールを決めている、という意見。どういうことかというと、何事もやってみないと分からないので、子どもが好きそうなものをまず習わせてみる。その習い事をすぐに好きにならなくても、期間が短すぎることが理由で楽しさに気づけないで「楽しくなかったから」やめるのはもったいない。だから「1年間は続ける」というルールを決めている。その結果、高価な楽器を購入したけれども1年間でやめた習い事もあれば、1年間なんとか耐えているうちに発表会があり、それが大きな成功体験になり、今は大好きになった習い事もあるそう。

 こんな声もありました。保育園の年長頃、周りの子が2~3個習い事をしていて、どうやってみんな時間をやりくりしているのかと不思議に思った。そして、わが子は本人が好きなことについては「行く」と言うけれども、そうでないものは誘ってみても「行かない」と言うから、親の意向で通わせることはそもそも無理だった。

 また、ある方は、上の子と下の子を同じ習い事に入れてみたけど、上の子に合う習い事は、下の子には合わなかった。紆余曲折の末、今は上の子と下の子が別の習い事に通い、上の子が下の子の習い事送迎を手伝えるようにもなり、両者とも自分の好きな習い事をすることができている、という話をしてくれました。

 みなさんの話を聞いていると、忙しい日々の中で、習い事が子どもの預け先として機能している現実的な側面があることも改めてよく分かりました。

 一方で、子どもが保育園児になり、体操教室などの存在が目に入ってきて、習い事をどうしようかなとふと思うことはあるのは事実だけど、自分たち親もあまり習い事をしてこなかったし、小学生ぐらいから考えればいいかなと思って焦ってはいない、という声もありました。

(#21に続く)




書き手:小林浩子(ライター・編集者/小学生の親)

新聞記者、雑誌編集者などを経て、フリーランスのライター・編集者に。 自分の子育てをきっかけに、「学び」について探究する日々を重ねる。現在、米国在住。



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